Daichi Yamamoto「音楽や芸術は差別や分断をチャラにできる」隔絶されたスタジオからの願いが込められた最新作

 2年前にリリースしたファーストアルバム『Andless』とは、着飾ったものを脱ぐという〈Undress〉から。2020年のEP『Elephant In My Room』は、自明なのに誰もが触れないという意味の慣用句を。そしてリリース間もないセカンドアルバム『WHITECUBE』は、あらゆる文脈から芸術を隔離した真っ白な展示場を指す言葉を使った。こうしてタイトルを並べると、おぼろげながらDaichi Yamamotoの作品に一貫した意思を感じる。それは、バイアスだらけの世の中に対する厭世観だろうか。

 しかし彼の柔和な表情と、落ち着いた言動からは、世の中のノイズには揺らがない自分を確立しているようも見える。その落ち着いたトーンで歌うリズミカルな彼の音楽はとても心地が良い。それだけでなく、曲と向き合った者が感じ取れるテーマも織り込むことができる。だからこそCMやドラマに活躍の場を広げても、彼に称賛が集まるのだろう。では、彼は内面とどう向き合い、音楽を制作しているのか。アートに対しての考え方を軸に語ってもらった。

――まず、どのような考えがあって、このアルバムタイトルにしたのでしょうか?

Daichi Yamamoto(以下、Daichi) ホワイトキューブは、もともとお金持ちの家とかで鑑賞されていたアートを、何もない真っ白い空間に展示することで作品を世の中と切り離す、といった意味合いがあるんです。去年からコロナ禍で人と会わなくなり、街からも生活感がなくなって、ネガティブな意味じゃなく「なんで生きてるんだろう」と、ふと思ったことがあって。まるで生活が切り離されたような感覚になったときに、このタイトルがしっくりくるなと感じたんです。でも、大学時代に美術の授業を受けていたとき、担当の先生はホワイトキューブを否定していたんですよね。

――ホワイトキューブの否定、とはどういうことですか?

Daichi 次の新しい表現方法にいかないとダメ、っていうタイプの先生だったので、クラスにも同じマインドの人が多かった。だから自分の中で否定的なニュアンスもあったんです。白い空間に、作品を解説とポンッと置いて、ただそれを観賞するだけの一方通行な展示方法。

――「Love+」でサンプリングされている古橋悌二氏の言葉、「作品を作る人がいて、それを好む人、嫌う人がいる。その程度のコミュニケーションに、受け手も送り手も、どっちも飽きてるような気がする」にも通じますね。

Daichi そうですね。制作中、迷っている時期があったんですけど、その言葉を聞いてそうだよなと思ったことがありました。

――古橋悌二氏、およびDumb Typeの作品との出会いはどのようなものだったのですか?

Daichi Dumb Typeは京都のアーティスト・グループで、10代の頃から名前は知ってたんですけど、2年前くらいから本屋とかで彼らの本が目に留まることが増えたんです。そこで、そういえば作品を見たことがないなと思い、初めて展示を観に行きました。そして古橋さんをオンタイムで見ていた人は「彼はカリスマだった」と言うので、みんながどんなところに惹かれてたのかと古橋さんの本やインタビューを探していって、古橋さんの言葉の扱い方にビビッときたというか。複雑なことを人に伝えるときに一種の美しさを感じて強く惹かれました。そこから(サンプリング部分の言葉に)たどり着きましたね。

――ただ、サンプリングされた古橋氏の言葉は、一方通行のアートを否定的に語る部分でしたが、一方的な展示方法だというホワイトキューブをアルバムタイトルにしたのは今、ちょっと疑問に思いました。

Daichi アルバムに込めたメインの意味としては、切り離された感じがテーマになっていて、前作のEP『Elephant In My Room』も「見て見ぬふり」という意味で、当時と現状では何も変わってなかったので前作の続きみたいなニュアンスで付けたんです。

――確かに、前作のEPに通じる印象を受けました。今作の13曲がアルバムとしてまとまってきたと思えたのは、どんなタイミングだったのでしょうか?

Daichi もともとアルバムは「1曲目と13曲目」「2曲目と12曲目を」と曲が対比するような構成にしようと思っていたんですね。アルバムの真ん中に「Paradise」が来て、最後から聴いても最初から聴いても“楽園”に向かうようなイメージで。だけど、最後に辻褄が合わなくなってきて、曲順を並び変えていたら今のような形が見えてきましたね。

――その対比構造が残っているのは、どの曲のペアですか?

Daichi 最終的にはそこまで内容が対比していないんですが、「Ego」と「Cage Birds」や「Pray」と「Chaos」とか、「Simple」と「People」でも「Love+」の対極も作ろうとしたあたりから、うまいこといかないなぁって。

――ちなみに、2ステップやドリル、Gファンクとさまざまなビートを使用したのは一種のチャレンジだったのでしょうか?

Daichi 特にチャレンジしようという考えはなくて、ラップを書きたいと思ったらとりあえず書く感じですね。例えば「Wanna RideThe Breeze)」も、「アルバムで忙しいと思うけど、この曲時間あったら書いてみて」ってKzyboostさんとgrooveman Spotさんのお2人から送られてきた曲だったんですね。アルバム収録を考えずにリリックを書いていたんですが、出来上がったら良かったのでアルバムに収録しました。なので、結果的に好きな音楽を入れただけですね。

――普段はどんな音楽を聴いているんですか?

Daichi 歌ものやエレクトロが多いかもしれないですね。最近はスノー・アレグラのアルバムをずっと聴いています。

――過去に「自分で設定したハードルを越えるような曲が作れていない」と思うこともあったようですが、どんなときにそう感じたのですか?

Daichi 制作中ずっと、前のEPのほうがいいんじゃないかって思ってました。でもリリースしてから、クリアできたかなって思えましたけど、それまではずっと悩んでましたね。

――クリアできたと思えた瞬間を、覚えていますか?

Daichi 超えたというより、気にしなくなったのかもしれない。ファーストアルバムの後にEPを出したとき、制作方法も変わって、何かつかめた実感があったんです。だから今回も実感を持ったレベルアップがないと納得できなかったんですけど、終わったらそもそもどっちでもいっか、って思えるようになって。今回は今回で、前回は前回で良いと思い始めました。ジェイ・Zがそんなことを言ってた気がします。

 あと、周りにすぐ相談できるアーティストがいなかったので、結構アーティストのインタビューをよく見ていましたね。ケンドリック・ラマーやビッグ・ショーン、タイラー・ザ・クリエイター、カニエ・ウェスト、ジェイ・Zとか。BIM君のインタビューにもすごい救われました。

――「maybe」では音楽制作の辛さを吐露するリリックもありましたが、どのような経緯で出来上がった曲ですか?

Daichi Kzyboostさんに「アルバムが進まないんですよ」っていう話をしていたんですけど、そのことをAru-2君と制作をしているときに話したみたいで。それでAru-2君からビートが届いたんですね。聴いた瞬間に「書ける」って思いながらも、「上海バンド」にテンポ感が近い気もしてブレーキも入ったんです。自分では意識せず等身大というか、フィルターなく書けました。

――リリックにある「でも今は苦しくてFuck Music」になる瞬間は、やはり制作の生みの苦しみなのでしょうか?

Daichi 生めるんですけど……納得できない感じっていう感じですかね。しかも今はSNSを見れば、いろんな人の音源がたくさん出ていて、そういうのを聴いては自分はダメなんじゃないのかなって、悪い方向に向かうことがあります。

――とはいえ、自身としてはドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』のエンディング曲「Presence Ⅳ」を担当したり、頭一つ抜けた活躍をされています。そうした大きな舞台での仕事が、音楽に対しての意識を変えたのでしょうか?

Daichi あまり変わってないと思います。でも、自分が思ってるポップは良い意味で周りが思ってるポップじゃない、と感じ始めました。高い声でメロディを歌ったり、歌詞の内容に「こんなことしちゃダメかな」という線を引いていて、それを超えるのが不安だったんです。だけど、そのNGラインを超えたものを周りの人に聴いてもらうと良いリアクションをもらえて、自分と周りの人の感覚って全然離れてるんだなって。

――具体的にその曲というのは?

Daichi 「Love+」ですね。ハードなヒップホップが好きな人からのリアクションは少なかったんですけど、父親に聴かせたときに「めっちゃええやん!」と褒められてハッとしました。そもそもお父さんは、いわゆるメロウな曲は好きじゃないパブリック・エネミー世代なので、ラップはガシガシしてないとっていう考えなんです。それもあって自分は表現の幅を狭くしていたのかなと思いました。

――「Love+」を聴くと、明確に触れてなくても2020年にいろいろと思うことがあったのだろうなと感じてしまいます。

Daichi そうですね……ありました(笑)。なんとも言えない気持ちになった1年だった。今日もそれを新幹線で考えてまして。

――同局の「分断されてる世の中で」というリリックには、BLM運動の高まりに対しても、人より何倍もの考えをめぐらせたのではないかと感じています。

Daichi 一言で言うと、疲れちゃったというか。こんなことを言ってしまったらがんばって活動をしている人に怒られてしまうかもしれないけど、どれだけ伝えようとしても表面でしか捉えられなかったり、面白い話としてしか扱われなかったりとか、揚げ足取りあったり、本当にわからなくなってくる。純粋になぜ知りもしないのに、見た目や生まれとかで、人をカテゴリーにはめて蔑んだり、嫌いになれるのかがよくわからない。個として向き合ったら、そのカテゴライズ絶対おかしいってなると思うんです。

――そんなときに人をカテゴライズせずに向き合おうとするDumb Typeの作品や古橋悌二氏の言葉に出会い、共感することもあったのでしょうか?

Daichi 共感はもちろんあったんですけど、音楽や芸術の世界はそういったことをチャラにできる分野に感じていて。だから最初は作品に共感というより、漠然としてかっこいいなと思ったり、心が落ち着いたり、安心する感覚がありました。

――落ち着きや安心を感じて惹かれた、ということなので「疲れた」というのは、本当に素直な意見なのだと思います。

Daichi 父がレゲエバーをやってるんですけど、差別は相手のことを知らないから生まれてるんだと思っていたようで、だから「ブラックカルチャーはかっこいいんだって思わせたら勝ちだ」と昔から言ってたんですよね。その言葉を強く意識してるわけじゃないけど、ベースにはあるというか。とやかく曲で言うより、めっちゃええやんって曲で思わせるほうが意識は変えられる気がする。余談ですけど、イギリスにいたときも日本の文化がカッコいい! って話しかけてくれる人がたくさんいたので。“かっこいい”って強いなって思いました。

――最後に、7月30日の大阪、8月11日に東京で行われるワンマン・ライブに向けての意気込みを。

Daichi いい感じにできたら、と思っています。

――ステージとスタジオ、どちらが好きですか?

Daichi ……スタジオのほうが好きです。

 こうしてDaichi Yamamotoは、隔離された空間ともいえるスタジオへと戻るのだろう。しかし、インタビューを通して明らかになったように、隔絶された空間を銘打ったタイトルであっても、外の世界との繋がりの延長が積み重なって出来上がっている。そしてスタジオの外で起きているノイズに、ひとりの人間として彼は迷い、疲れ、揺さぶられた感情が制作に反映される。だからこそ、同じ時代に生きる聞き手としての我々は、より敏感に曲に織り込まれた感情に揺れに同調することができ、彼のアートが一方通行なものではなくなるのかもしれない。

[プロフィール]

DAICHI YAMAMOTO(だいち・やまもと)

1993年、京都府生まれ。日本人の父とジャマイカ人の母親を持ち、19歳からラップ/サウンド・メイキングをスタート。地元京都で精力的に活動し、大学進学で渡英。SoundCloud上にアップした楽曲が話題を呼び、帰国後にJazzy Sportと契約を結ぶ。

Twitter〈@daichiyamoto〉

Instagram〈daichibarnett〉

『WHITECUBE』

Daichi Yamamoto

Jazzy Sport

2021/7/21 19:00

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