「一度だけでいいから、僕の家に…」意中の年上男から誘われた25歳OLは…?
恋は焦りすぎると、上手くいかないもの。
だから、じっくり時間をかけて相手を知っていくべきなのだ。
結婚に焦り様々な出会いと別れを繰り返す、丸の内OL・萌。
“カルボナーラ”をきっかけに失恋した女は、恋も料理の腕前も上達していく…?
◆これまでのあらすじ
彼氏が既婚者だったことを知り、失意の中で思わず朝日に連絡してしまう萌。この出来事をきっかけに朝日への想いを再認識するが、料理教室で予想外の事実を知ることになり…?
▶前回:付き合ってから一度も自宅に招いてくれない彼氏。痺れを切らした女が、実行した作戦とは
2019年8月
「突然ですが、皆さんにお知らせがあります。実は朝日さんが、今日のレッスンをもって卒業することになりました」
それは、ある夜の料理教室でのことだった。レシピのおさらいをしていた講師が、間を置いて改まったように話し出したのだ。
その言葉に、生徒は皆驚いた顔をしている。一方の朝日だけは、どこか吹っ切れたような顔をしていた。
「皆さん、短い間でしたがありがとうございました。せっかく仲良くなれたのに、もう会えなくなってしまうのは寂しいですが…。今まで楽しかったです」
萌は予想もしていなかった展開に頭がついていかない。料理教室が終わると、すぐに朝日のもとへ駆け寄った。
「急に料理教室を辞めるって、いったいどうしたんですか」
「…驚かせちゃって、悪かったね。それでこの前LINEくれたことだけど、大丈夫そうかな?このあとカフェで話そっか」
2人は帰り支度を済ませると、カフェへ向かった。席に着くなり、朝日は口を開く。
「萌ちゃん、大丈夫だった?付き合ってた人が結婚してたなんてショックだったよね」
「いや、それより…!朝日さん、どうして料理教室辞めちゃうんですか?」
萌は自分が話したいことよりも、朝日に聞きたいことが山ほどあった。
「実は来週、軽井沢へ引っ越すことにしたんだ」
「えっ?軽井沢って…。そんな遠くに行っちゃうんですか?」
「実は、ずっとやりたかったことがあってさ」
朝日が料理教室をやめて、新しく始めたかったこととは?
「子ども食堂をね、やろうと思っているんだ」
朝日はそう言って、優しく微笑みながら嬉しそうに話しだした。
実は軽井沢に別荘を持っており、妻との思い出の地で、彼女の夢でもあった子ども食堂の運営をすることにしたらしい。
思いやりと優しさにあふれたその行動に、なんだか萌は自然に笑みがこぼれる。
「とっても素敵ですね」
「ありがとう。僕たちの間に子どもはいなかったけど、少しでも多くの子どもたちに寄り添いたいと思ってさ」
「…その夢、すごく朝日さんらしいです」
「それで、僕の話は置いておいて。萌ちゃん、さっきから無理してない?」
朝日の言葉に萌は視線を落とし、自嘲気味に答えた。
「なんか、自分で自分がイヤになっちゃいます。私は、ただ好きな人と結婚して、幸せな家庭を築きたいだけなんですけど、なんでこんな上手くいかないんだろうって」
「…ねえ。僕が前に料理教室で言ったこと、覚えてる?」
「焦らないこと、相手に感謝すること。あと外見や肩書きよりも中身を大切にすること、ですよね?」
「うん、そうだね。でも、なにより恋愛は思いやりが大事だと思うんだよ。まずは恋愛から始めようとするよりも、相手と信頼関係を築くことから始めてみたら?」
そんな朝日の言葉の真意をくみ取ろうとするが、理解できず顔をしかめる。その様子を見て、彼はこう言った。
「萌ちゃんはさ、結婚を意識しすぎて、男性のことを恋愛対象かどうかのみで判断してる気がするんだよ。まずは、その人となりを見ようとしない限り、上手くはいかないと思う」
「た、確かに…」
萌は図星を突かれ、ぐうの音も出なかった。
「萌ちゃんは、とても明るくて可愛らしいし、それに実は努力家。僕は、そんなところが萌ちゃんの魅力だと思ってるよ」
それを聞いて、萌は涙が出そうになった。
なぜなら、彼が挙げてくれた萌の魅力。それは以前、絵美が萌に言ってくれたことと全く同じだったからだ。
「…ありがとうございます。なんだか、最後まで朝日さんに助けてもらってばかりで、本当にすみません。私も1回くらい、朝日さんの役に立ちたかったなぁ」
すると朝日は、思い出したように口を開いた。
「じゃあ、一度だけ僕の家へ遊びに来てくれないかな…?」
「家に来て欲しい」と懇願する朝日の真意とは
朝日の自宅へ行くと約束した土曜日。萌はドキドキしながら、玄関のチャイムを鳴らした。
どうやら彼の家には、大量の食器が保管されているらしい。だが引っ越しの準備で困っているので、それらを引き取って欲しいのだそうだ。
チャイムを鳴らしてからしばらく玄関先で待っていると、朝日が笑顔でドアを開けてくれた。
「萌ちゃん、今日は来てくれてありがとう」
「こちらこそ、今日はありがとうございます。あの、これよかったら…」
萌は今までの感謝と今日のお礼も込めて、焼き菓子を手渡した。
「なんだか気を使わせちゃってごめんね。でも、ありがとう」
朝日が見せてくれた食器類は、インテリア好きの奥様が集めたものだったらしい。
「そんな思い出の品なのに、本当にいいんですか?」
「もちろん。こんなにあっても、僕1人じゃ使いきれないからさ」
いくつか選んだ食器類は後日、萌の自宅へ送ってもらえることになった。
「長々とごめんね。もうお昼になっちゃったね」
「全然大丈夫です。今日は特に何も予定なかったので。私も長居しちゃってすみません」
「そしたら、お昼ごはん一緒に食べようか。何か作るけど、食べたいものある?」
「…もしよければ、私に作らせていただけませんか?お世話になった朝日さんに、ちょっとはマシになった料理の腕前を見てもらいたくって」
朝日の許しを得て冷蔵庫の中を見ると、卵とベーコン、牛乳、パルメザンチーズが目に入る。
それらを冷蔵庫から取り出すと、パスタを茹でながら、厚めに切ったベーコンをカリカリになるまで炒める。
火を止め、パスタと卵液を混ぜ合わせて出来上がったのは、朝日と初めて出会ったときに作った料理、カルボナーラだった。
「萌ちゃん、腕上げたね。すっごく美味しいよ」
あの頃は、恋愛も料理のスキルも最低だった。それでも朝日は、萌にきちんと向き合ってくれていたのだ。
「最後に、朝日さんから褒めてもらえて嬉しいです」
その日、萌は初めて心から笑えた気がした。
それから後片付けを済ませ、帰り支度をしていたとき。萌はリビングに飾ってある、朝日と女性のツーショット写真を見つけた。
「奥様、すごくお綺麗な方ですね」
亡くなってもなお、彼の心を離さない彼女は、どのような女性だったのだろうか。
気にならないと言えば嘘になるが、2人だけの思い出を汚してしまう気がして、萌は聞くことをやめた。
「朝日さん。今日はありがとうございました。私、朝日さんに出会えて本当によかったです」
「こちらこそ。今日は来てくれてありがとう。僕も出会えてよかったよ」
結局、萌は最後まで想いを伝えることはしなかった。
朝日が未だに奥様を深く愛していることがわかったし、今告白をしたところで彼を幸せにしてあげられる自信もなかったからだ。
「それじゃあ、萌ちゃん。気をつけて帰ってね。今度、軽井沢に遊びにおいで」
社交辞令だとわかりつつも、別れ際の一言に笑みがこぼれる。
「はい!ありがとうございます」
彼の自宅を後にした萌は、電車に揺られながら、婚活に焦りすぎた黒歴史をあらためて振り返り、深くため息をついた。
「それらの原因を作ったのは、紛れもなく自分だった」ということに、ようやく気づいたのだ。
― まずは、自分が変わらなくちゃな。
萌は窓の外に広がる夏空を見上げて、そう強く決心したのだった。
Fin.
▶前回:付き合ってから一度も自宅に招いてくれない彼氏。痺れを切らした女が、実行した作戦とは