“密告社会”で芽生えた恋愛感情は成就するのか? 台湾発のホラー映画『返校 言葉が消えた日』

 恐ろしい悪夢から目覚めると、そこは現実の世界だった。だが、現実の世界は悪夢よりもさらに恐ろしかった。台湾で2019年に大ヒットし、映画賞を総なめした『返校 言葉が消えた日』は、生々しいリアリティーを感じさせるホラー映画だ。日本人が観てもどこかノスタルジックな気分になる、1960年代の台湾の高校に通う少年少女たちの純真さが悲劇を引き起こすことになる。

 本作がモチーフにしているのは、台湾における歴史的タブーとなっている「白色テロの時代」。戦後の台湾は日本による統治が終わり、代わって中国大陸からなだれ込んできた国民党が支配するようになった。台湾市民が喜んだのは束の間。国民党は恐怖政治を敷き、反体制的な思想を持つ者は投獄され、次々と処刑された。さらに市民には反乱分子と疑わしい人を密告することが奨励された。

 白色テロ=権力側による不当な弾圧行為が、台湾では1947年から1987年まで長きにわたって続いた。岩井俊二監督の痛い青春もの『リリイ・シュシュのすべて』(01)に大きな影響を与えたエドワード・ヤン監督の『クーリンチェ少年殺人事件』(91)やホウ・シャオシェン監督の代表作『悲情城市』(89)は、この歴史的タブーの時代をいち早く描いたことで高い評価を得ている。

 2017年に発売された台湾発の人気オンラインゲーム『返校 Detention』を原案とした本作で、ジョン・スー監督は監督デビューを果たした。台湾が「監獄島」と呼ばれた暗い時代と、思春期という悶々とした季節を過ごす少年少女たちのナイーブな心情とを重ね合わせるようにしてドラマ化している。

 物語の舞台となるのは1962年、戒厳令下にある台湾の高校。女子高生のファン・レイシン(ワン・ジン)が目を覚ますと、そこは夜の教室で、他には誰もいなかった。教室を出ると、ファンが想いを寄せているチャン先生(フー・モンボー)の姿が見えたので後を追うが、どうしても追いつけない。この学校は何かがおかしい。しばらくすると、後輩の男子学生・ウェイ(ツォン・ジンファ)と出会うが、2人の前には次々と不気味な現象が起きる。学校から逃げ出そうとするが、逃げ道はどこにも見つからない。ファンとウェイは校内に拘束(detention)された状態だった。

 ファンがもう一度目を覚ますと、そこは現実の世界だった。だが、高校には国民党のバイ教官(チュウ・ホンジャン)が常駐しており、生徒たちに自由思想を吹聴しようとする教師は憲兵に捕らえられ、激しいリンチに遭う。ファンが見る悪夢も恐ろしいが、現実の世界はさらにずっと恐ろしかった。

「愛」と「独占欲」はよく似ているが……

 学内きっての模範生で、美少女のファンのことを、ウェイは密かに憧れていた。ウェイにはもうひとつ、楽しみがあった。それは誰も使っていない備品室に一部の生徒がこっそり集まって開かれる読書会だった。チャン先生がインドの詩人タゴールや大正時代に恋愛ブームを起こした日本の文芸評論家・厨川白村らの本を持ち込み、女性教師のイン先生(チョイ・シーワン)が美しい声で朗読してくれた。自由や恋愛の素晴らしさを謳う言葉の数々に、ウェイたち生徒は酔いしれた。暗い学園生活の中で、チャン先生やイン先生が教えてくれる自由世界が、ウェイたちに明るい希望を与えてくれた。

 だが、弾圧の手は、ささやかな読書会にも迫ってくる。誰かがバイ教官に密告したに違いない。秘密を固く誓い合っていた仲間のことが、ウェイたちは信じられなくなる。楽園は美しければ美しいほど、その終焉はとても物哀しいものがある。

 両親の不和が原因で、家庭に居場所のないファンは、いつも優しく接してくれるチャン先生に好意を抱いていた。そんな年上の男性教師に恋する美少女に、年下のウェイは片想いしている。遊園地の回転木馬のように、どこまで進んでも一方通行なままの恋愛群像が描かれる。人が人を想う気持ちはなかなか通じないのに、裏切り行為は一瞬で成立してしまう。愛と独占欲はとても似ているが、よく見るとそれは別物だ。自由世界と恐怖政治くらいに違う。思春期の若者たちには、そのことを理解するにはまだ早すぎた。

 ホラー映画では、小道具が重要な役割を果たすことが多い。『返校』で重要な小道具となっているのは、「鏡」や「ガラス」といった割れ物だ。主人公たちは「鏡」や「ガラス」にひどく怯える。「鏡」や「ガラス」に映っている自分の姿を見るのが怖い。さらに悪夢パートに登場する不気味なモンスターたちの顔をよく見ると、顔の部分が「鏡」になっている。「鏡」に映っているのはモンスターなのか、それとも自分自身なのか。その答えを確かめるのが恐ろしい。

流血と痛みを伴う最後の授業

 ヒロインとなる美少女ファンを演じたのは、台湾の新世代女優として注目されている1998年生まれのワン・ジン。14歳で小説家デビューも果たしている才媛。モンスターに追われ、学校内を逃げ惑う際に揺れ動くショートヘアから覗く細いうなじが、ほんのりとした色香を感じさせる。ファンのことを一途に想い続ける実直な男子生徒・ウェイを演じたのは、オーディションで選ばれた新人のツォン・ジンファ。若いキャストたちが織り成す恋愛模様が、ホラーファンタジーを魅力的なドラマへと膨らませている。恐怖政治で校内を支配しようとするバイ教官を演じたベテラン俳優のチュウ・ホンジャンは、国立台北芸術大学演劇学部の学部長でもあるそうだ。

 台湾における恐怖政治は長きにわたって続いたが、次第に民主化運動が高まり、1987年になってようやく戒厳令は解かれる。国民党による一党支配が終わったのは、さらに2000年になってから。台湾の人たちは「自由」は与えられるものではなく、自分たちで手でつかみ取るものであることを知っている。そして台湾の人たちは自由を謳歌するまでに、大きな犠牲を払ってきた。およそ14万人が政治犯として投獄され、3000人から4000人が処刑されたと言われている。

 現実世界で台湾は民主化を実現させることになるが、悪夢の世界ではファンとウェイは学校からどうしても逃げ出すことができずにいた。過去のトラウマにこだわるあまり、心の中の檻へと自分から入っていく人は、劇中の主人公たちに限らずいるのではないだろうか。

 主人公たちは傷つきながらも、愛という言葉の本当の意味を知ったとき、心の檻からようやく解放されることになる。流血と痛みを伴う、大切な授業だった。夢と現実、自由世界と恐怖政治、愛と独占欲、そして大人と思春期……。台湾映画『返校』は、ふたつの異なる世界のはざまに墜ちていった若者たちの叫びを描いた鮮烈なホラーミステリーとなっている。

『返校 言葉が消えた日』

監督/ジョン・スー 

出演/ワン・ジン、ツォン・ジンファ、フー・モンボー、チョイ・シーワン、チュウ・ホンジャン 

配給/ツイン R15+ 7月30日(金)より日比谷・TOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー

(c)1 Production Film Co. ALL RIGHTS RESERVED.

https://henko-movie.com

2021/7/19 16:00

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