「歯医者まで把握されてる…」ネットストーカーに24時間丸裸にされた男の結末
夏・第七夜「人気のある男」
23歳で主演映画がスマッシュヒットした頃から、俺の人生は大きく変わり始めた。
東條煉(れん)は、王道のアイドル顔ではなく、少し影があるタイプだと自認していた。だから俺が、これほどブレイクするとは自分でも期待していなかった。
知らない人が、自分を知っているというのは、実に奇妙なものだ。売れてからは、そのことになかなか慣れなかった。
目の前の仕事に必死で取り組み、ファン層はありがたいことにどんどん広がっていったと思う。
もともとは一人で本や映画に没頭しているのが心地いいタイプだったので、気軽に外にも出られない生活が始まってからも、さほど苦労せず適応することができた。
そして27歳のとき、ゴールデンタイムのラブストーリーがその年の最高視聴率を記録し、名実ともに大ブレイクする。連日検索ランキングの上位になり、SNSでも大騒ぎになった。
順風満帆に見える俳優人生だ。でも、ときどきヒヤリとするようなことが起こる。
俺は事務所の指示で、日に2回はTwitterで呟き、2~3日に1度はInstagramをアップすることになっている。今日は撮影が午後からだったので、朝起きてすぐ、今のうちにマネージャーに内容を送ろうと思いスマホを手にした。
そして昨夜の自分の呟きについたリプライを見て、思わず「うっ…」と声を詰まらせた。
俺の最新作の宣材写真がはめ込まれている、あるファンのアイコン。今、俺に脅威を与えている唯一の存在だ。
熱狂的なファンの、恐ろしいSNSストーキングとは?
一番怖い
『煉くん、新作映画の舞台挨拶、お疲れ様でした♡煉くんがTwitterにアップしてたこの映画館前の大階段の写真、私も一緒に写ってます♡』
俺はあわてて昨日、自分でアップした写真を見た。確かにはるか後方に、一般の方が10人ほど小さーく写っている。
顔の判別まではできなかった。この写真は打合せとヘアメイクのため、舞台挨拶の2時間以上前に映画館に入るとき、SNS用にマネージャーがさっと正面に回って撮影してくれたものだ。
怖いのは、「ファン」は、一体どうして入る時間や階段で撮ることがわかったのかということだ。
俺はじっと写真を見た。昨日の舞台挨拶にも来たのだろう。ステージ前のプレス席のすぐ後ろの列は、いつだって熱心な常連ファンで埋め尽くされている。
抽選だったが、チケットを譲るためのサイトで10万円以上で売られていることがあるので、お金を出せば毎回最前列に座るのも無理ではないのだ。
― あの中に、きっとこの子もいるんだよな…。
記憶をたどっても、昨日来てくれた子たちは普通の可愛らしい女の子だった。少なくとも、一目で怪しく見えるような子はいなかったと思う。
でも、確実に存在するのだ。俺のプライベートな行動まで細かく把握し、気に入らない行動があるとSNSで晒す子が。
― ピンポーン。
その時、マンションのインターホンが鳴って、俺はハッとして顔を上げる。
恐る恐るモニターをのぞくと、駐車場からダイレクトの入口に女の子が立っている。ほっと息をついた。黙って解錠すると、彼女はにっこり笑顔になり、中にするりと入った。
彼女、麻木萌は、いまひとつブレイクしきれていないものの若手の女優で、もう3年付き合っている俺の彼女。
演技力は俺からみてもちょっと物足りないけれど、文句なしに美人だ。そのおかげでヒロインの親友あたりの役は、途切れることはない。顔は知られているので、会うのは俺の部屋と決まっている。
「おじゃましまーす。あれ、煉どうしたの、なんだか顔が青白いけど…よく眠れなかった?今日お昼に出ればいいんだよね?ごはん作って持って来たよ、一緒に食べて元気だしてから行こ」
「あー、ありがと。もしかして参鶏湯?さすが萌、なんか疲れ気味でさ、嬉しいよ。SNSにアップしたいとこだけど…匂わせになっちゃうな」
萌は、さっそく持って来た大きな紙袋から次々と料理の入った容器を取り出して、温めていく。萌のこういう家庭的で優しいところ、気を使いすぎなくていいところが結局のところ心地よくて、俺たちは長く続いているのだ。
「何か心配事?あ、もしかしてヤバいファンのこと?」
アツアツの参鶏湯とさっと焼いたサムギョプサルを並べながら、萌が心配そうに俺をのぞき込む。
「あー、まあそう。おとといは『雨の深夜に、西麻布の交差点でタクシー拾おうとするのは無謀だから、事務所に車回してもらってください』とかって書き込んできてさ。どんだけ監視してるのかと思うと気味が悪くて」
「何それ、こわっ。ていうか、深夜に西麻布なんか行って何してたの?私も連れてってよ~」
萌がプイとそっぽを向く。でもすぐに心配そうな顔になって、自分のスマホで俺のSNSをチェックした。
「うわ…なんかヤバい人、何人もいるじゃん…まあでもこの人が一番怖い。煉、気をつけないと。この前ドラマでやった役をダブらせて、西麻布の夜遊びなんてイメージじゃない!って言ってる人までいるよ。自重したほうがいいって。今度のドラマ主演だし」
俺は萌の手料理を頬張りながら、深々とため息をついた。
◆
「煉くん、久しぶりの共演ね、どうぞよろしくお願いします」
午後、ドラマの撮影でハウススタジオに入ると、今回のヒロイン、瀬野彩未が近づいてきた。ヘアメイクも完了していて、女優を見慣れていてもため息が出るほどキレイだ。
「彩未さん、ご無沙汰してます、3年ぶりかな?ついに彩未さんの相手役ができるなんて、3年前は思ってもいなかった。精一杯頑張ります」
本心だった。昔は格上だった超人気女優とW主演。素直に嬉しかった。
俺はガラにもなく高揚し、つかの間、SNSのことも萌ことも忘れ、演技指導を受ける彩未に目を奪われていた。
そして不気味なファンが暴走を始める。その戦慄の結末は…!?
顔の見えない女
『煉くん、今日はクランクインだね!ドラマ楽しみにしています。でも初日から張り切っちゃうと、息切れしちゃうからほどほどにね』
SNSには、あたりさわりのないことしかアップしていなかったのに、例の熱心なファンはどうやらスケジュールまで把握しているようだ。
ドラマの公式サイトなどを見ていれば、不可能じゃないのかもしれない。しかしそれが全方位になると、もはやファンでいてくれる感謝よりも気味の悪さが先立った。
あらためてその子のアイコンをタップしてみると、フォローしているのは俺ひとり。なんの情報もわからない。何度もブロックしようかと思ったが、かえって認識されたと喜ばれたり逆上したりする恐れがあるし、アカウントなんていくらでも作れる。刺激しないほうがいいだろう。
するとちょうど「彼女」がなにかを呟いた。
『ホワイトニングに来ました。ぴかぴかになるといいな!』
「う、嘘だろ…!?俺が通ってるとこ…」
ハッシュタグは、うちから10分ほど、ホワイトニングの審美歯科だった。
これは絶対にどこのSNSにもでていない。もちろんPR案件でもない。
「何がしたいんだ、こいつ…」
するとさらに、間髪入れずにリツイートがはいる。
『スキャンダルにご注意。浮かれて彩未さんと接近したりしないでね』
「…マネージャーに連絡いれて、なにか対処しないと、これはヤバい」
俺は、戦慄しながらマネジャーの番号をタップした。
◆
「じゃあ事務所もこの程度じゃ何もできないっていうの?ひどいねえ」
萌がアイランドキッチンで料理をしている間、俺は顛末をかいつまんで話した。
「もう意思表示としてブロックした。みんなが本格的に気をつけてくれることになったよ」
「彩未ちゃんの名前を出してくるのはわかるけど、歯医者っていうのがね…とくに芸能人御用達ってほどでもないから当てずっぽうじゃないんだろうし」
萌は腕組みしながら天井を見つめた。そんな風に素直に心配してくれると、俺は明日の予定を思って少しだけ胸が痛む。
明日、ドラマの撮りのあと、彩未と打合せという名目で、飲みに行く約束をしていた。
「でも、そのファンの気持ちもわかるかも。煉、すっかり人気者だからな。私、寂しい…」
「何言ってんだよ。その人気者と3年もつきあってんだろ。余計な心配いらないって。それよりさ、今度温泉いかない?誰にも見つからないお忍びの宿、俳優仲間にきいたんだ」
「え!嬉しい、行くいく。絶対行く~!」
萌がはしゃいで、腕を絡ませてきた。なんだかんだ言って、長い時間を一緒に過ごしてきたのは彼女なのだ。傷つけてはいけない。
…それでも彩未と飲みに行くのをキャンセルすることはできないし、したくないのが本音だ。
その時、ふと気がついた。どうしてストーカーは萌のことは非難しないのだろう。
ちょっと飲みにいったり、彩未にちょっかいを出そうとしていたりすることは調べていて、半同棲みたいな萌のことをスルーしてるなんて違和感しかない。
「私ね、煉を独り占めしたいの。本当は、この部屋から出したくない。別に人気俳優の東條煉じゃなくたっていいの。
煉が煉であれば、ずっと二人でいられれば、それだけで十分。絶対に離れない…」
甘えて頬を摺り寄せた萌が、腕の中でささやき、そっと俺を見上げる。
それはまるで、知らない女の目のようだった。
「…萌。俺さ、来週伊豆でロケなんだ」
「うん、知ってるよ、でもスケジュール変わって再来週に延期になったんだよね?あの女も行くんでしょ?煉、気を付けてね、何か『間違い』があったりしたら、そのファンに何されるかわからないわよ」
…どうして知ってるんだ。一体どこまで、どうやって。それを問いただしたら何かが壊れてしまう気がして、俺はいつまでも固まったまま萌を見ていた。
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