ラブホテル女性オーナーが見た“ワケあり”の人間たち。刑務所から感謝の手紙も

 男と女の愛憎が渦巻く場所、ラブホテル。日本でのラブホテル産業は1960年代から本格化し、1980年代から始まるバブルに相乗して発展を遂げてきた。最盛期には1万を超えるホテル・モーテルが営業していたと言われている(※警視庁「風俗行政研究会」資料より)。

 そこには表社会では生きられない人々が集い、大小さまざまな事件も多発していた。ラブホテルの実態を見守り続けてきた関西のホテルオーナーに、今まで遭遇した数々の修羅場を教えてもらった。

◆バブル崩壊でお嬢様生活から一転、ラブホテル勤務に

 自身のホテルで起きた事件を語ってくれたのは、女性経営者の中西葉子さん。中西さんは大阪市内の中心部でラブホテル『ローズリップス』を2店舗経営しながら、ビルなどの不動産業も営む、やり手の女性オーナーだ。

 建築業を営む父のもと、「お嬢様」として育ったという彼女。自身がラブホテル経営に乗り出したのは、バブル崩壊がきっかけだった。

「父の会社が倒産するまで、まさか自分がラブホテルをやるなんて思ってもいませんでした。父はホテルやビルを建てる傍ら、サイドビジネスとして自分でもホテル経営をしていたんです。そのうちゴルフ場の経営にも関わるようになって……そっちのほうに足を引っ張られてしまい、バブル崩壊とともに不渡りの連続で倒産。私はそれまで父のおかげで裕福な生活をさせてもらっていて、何も知らずに遊んでいたお嬢様だったので、いきなり路頭に迷わされたんです」

 幸いなことに、母親名義のラブホテルが1軒だけ残っており、中西さんが引き継ぐこととなる。

◆生きていくための唯一の資産

 経営不振に陥っていたホテルだったが、彼女にとっては生きていくための唯一の資産だった。

「私は経営の勉強なんてしたことが無かったし、父も外部に任せていたので何も知らなかったんです。当時、父は倒産の整理整頓で大変で、母も病気がち。姉は嫁いでいたので、私ひとりでやるしかなかった。何も勉強できず時間もない中、まずは客室のお掃除から始めました。なんせ閑古鳥が鳴いているホテルだから、お部屋がドロドロで汚くて。管理も何もできていなかったんですよ」

 ホテルの支配人やスタッフに教えてもらいながら、経営に関するノウハウを実践で学んでいった中西さん。経理だけでなく、清掃にフロント業務、ルームサービスの食事作りまで全ての業務をこなす日々。48時間働いて8時間寝るという生活が続き、過労で何度も病院に運ばれた。夢中で業務をこなすうちに利用客も増え、売上も大きく出るように。

 転機が訪れたのは29歳の時だ。

「インターチェンジ開発でホテルに立ち退きの話がきたんです。そこで上手いことやって(笑)大きなお金が入ってきたので、大阪で再出発させてもらいました。こっちに来てからの1号店が『ローズリップス鶴橋店』です。でも土地柄、お客さんにもスタッフにもワケありの人が多かったですよ」

◆部屋を散らかすヤクザに大説教

 1999年、大阪で新たなスタートを切った中西さん。社員教育をしながらホテル業務をこなしていたある日、「ヤクザの女親分」が泊まりにやってきた。

「組長である旦那さんと喧嘩して家出したそうで、1ヶ月以上泊まってはりました(笑)。いつも舎弟さんが食べ物とか差し入れを持ってきていましたね。ちゃんとお金を払ってくれてルールさえ守ってくれれば、私どもにとっては“お客様”なんですが……部屋の使い方がとにかくひどかったんです。ゴミをあちこちに散らかして、もうぐっちゃぐちゃ。毎日お部屋に90リットルのゴミ袋を持って行き、『どうにか部屋をきれいにしてくれ!』とお願いしていました」

◆父親からもらった大切なアンティーク家具に…

 そして決定的な事件が起こる。部屋に配置していたアンティークの家具に向かって、「姐さん」が食べ物をぶちまけたのだ。

「お掃除のために部屋に入ると、家具にちらし寿司がぶちまけてあったんですよ。その上に脱ぎ捨てた靴下も置いてあって。どうしたらこんなことになるの!? って、さすがに私もブチ切れました。『あのね、これ父親からもらった大事な家具なのよ。もうちょっときれいに使ってくれませんか? ゴミはゴミ袋に入れて!』って(笑)」

 当時中西さんは30代。裏社会の「姐さん」に向かって啖呵を切るのは怖くなかったのだろうか。

「怖くなかったですね。正しいことを言ってるつもりでしたから。ルールを守って部屋を使ってほしいとお説教しました。それに従ってもらえるんやったら、居ていただいても結構ですよと。1時間半くらいお話していると、あちらも心を開いてくれたんですよ」

「整理整頓はできるけど、掃除はできひんねん!」

 そう言って「姐さん」は自身でコレクションしている切手アルバムを取り出すと、中西さんに見せつけてきた。

 親子ほど歳の離れた中西さんに諭され、「姐さん」も改心したのだろう。その後は問題を起こすことなく連泊を続け、旦那と仲直りをしたのをきっかけにホテルを去ったそうだ。

◆窃盗団に利用され、刑務所から手紙が届く

「知らないうちに窃盗団のアジトにされていたこともありました」

 ホテル経営が軌道に乗ってきた頃に起こったのが、窃盗団事件だ。

「車を隠すにはもってこいだったんでしょうね。やたらと人の出入りが多いな、とは思っていたんです。でもまさか、そのグループが窃盗団だとは思いませんでした。ルールは守ってくれていたし、『社長、いつもお世話になっています』って挨拶してくれる人もいたので。ウチから他のホテルにアジトを移した後、そこでバレて逮捕されたそうです」

 逮捕されたグループのメンバーから、「あの時はお世話になりました」と手紙も届いたという。

「何にも知らへんかったから、手紙を受け取った時は『やめてくれ!』 って感じでしたけどね(笑)。いつも仲間を呼んで何組も泊まっていってくれていたし、こちらとしては良いお客さんだったんですが……窃盗団だったとは……」

 問題を起こすのは裏社会の人間だけではない。痴情のもつれや金銭トラブルなど、中西さんの気苦労は絶えなかった。

「カップルで大喧嘩して、テレビのリモコンを投げつけたらしくて。それでテレビが壊れちゃったので、ローン分割で払ってもらったこともありました。『アンタのとこは二度とけぇへん!』って怒ってはりましたけど(笑)。『お金が無いんです』って人も多かったです。親や親戚に電話してあげて、お金を持ってきてもらっていました」

 酔った状態で来店し、財布をすられたとすがりつく女性もいた。その度に警察や親族へ連絡してまわったそうだ。

「お部屋で精神薬を大量に飲んで、薬物中毒みたいになっている子もいましたね……。死なへんかなってドキドキして、生存確認の電話を何回もして。今は困ったお客さんも少ないんですが、昔はとにかく大変でした」

◆「脛に傷を持つ」スタッフたち

 客だけに限らず、ともに働くスタッフも癖が強い人間が揃っていた。

「借金取りに追われていたり、旦那のDVから逃げてきたり、病気だったり……あの頃ラブホテルで働いていたのは、事情を抱えた人が多かったですね。当時は社員寮があったので、ワケありで流れてきた人がたくさんいました」

 車に荷物を詰め込み、夜逃げ同然で面接にやってきたカップルもいたという。そういったスタッフたちに対し、当初は厳しく社員指導していたという中西さん。

 彼女の意識を変えたのは、とあるスタッフからの一言だった。

「私も30代で若かったので、スタッフへの物言いがきつかったんですよね。『葉子ちゃん、私ら脛に傷を持つ人間やから、もうちょっと優しく言って』とお願いされて、そこから人への教え方や接し方を考えるようになりました」

 修羅場を経験した時代から約20年。

 アングラ感が漂っていたラブホテルは、女性に人気のラブホテルへと変化を遂げた。今や「人気ラブホテルのオーナー」としてあらゆるメディアに登場している中西さん。

 当時を振り返りながら、最後にこう語ってくれた。

「父の倒産があったからこそ色んな人と知り合うことができたし、いろんな出来事も経験できました。考え方や視野が本当に広がりましたね。心に傷を持つ人など、様々な人と出会えたことが人間の肥やしになったと思います」

 現在は「女性が喜ぶ、非日常を楽しめるラブホテル」を目指している彼女。男前ならぬ「女前」な中西さんの成長物語は、今後も続いていくだろう。

<取材・文/倉本菜生>

【倉本菜生】

福岡県出身。フリーライター。龍谷大学大学院在籍中。キャバ嬢・ホステスとして11年勤務。コスプレやポールダンスなど、サブカル・アングラ文化にも精通。Twitter:@0ElectricSheep0

2021/7/17 15:53

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