ボクシング日本代表の田中亮明「五輪の延期は、僕にはいい影響しかなかった」

 東京五輪の開催が目前に迫った6月末、緑豊かな山々に囲まれた岐阜県瑞浪市の中京高校は、早朝から朝練に励む運動部員の活気に溢れていた。生徒たちに交じり、ボクシング部員十数人を従えランニングに汗を流していたのが、東京五輪ボクシング・フライ級日本代表の田中亮明選手だ。中京高校3年から進学した駒澤大学時代にかけて国体4連覇を達成。’15年、’16年、’19年の全日本選手権で優勝と輝かしい戦績を収め、現在は母校の教員を務めながらアマチュア・ボクサーを貫いている。

 高校時代には、現WBAスーパー・IBF世界バンタム級王者で、世界を震撼させ続ける“モンスター”井上尚弥選手と4回対戦して鎬を削り、元WBO世界フライ級王者で、世界最速タイで3階級制覇を成し遂げた田中恒成選手を弟に持つ亮明選手は、アマチュア・アスリート最高の檜舞台「五輪」でメダルを獲りにいく。ボクシング界の親子鷹として兄弟を指導してきた父・斉氏、弟・恒成選手を交え、五輪に懸ける思いに迫った。

◆応援してくれる人が見て楽しめる試合をするだけ

――開会まで1か月を切った五輪への意気込みを聞かせてください。充実した準備ができているようで、朝練では生徒とランニングを何回もしていたが、毎回トップでしたね。

亮明:五輪の代表内定後、やれることすべてをやってきたので、後悔がない1年でした。あとは、自分の力を出し切ることに集中し、応援してくれる人が見て楽しめる試合をするだけ。僕自身、とても楽しみです。

――昨年3月の代表内定後、東京五輪の1年延期が決まりました。コンディションやモチベーションの維持に苦しむ選手は少なくないが、影響はありましたか?

亮明:東京五輪の代表に決まるまでは、’18年まで教壇に立ち、自分でトレーニングメニューを組んで、一人で考え一人で練習して、代表を勝ち取りました。ただ、五輪が延期になり、モチベーションの維持のためにも練習環境を変えたんです。名古屋の畑中ジムで弟と一緒に練習したり、弟が行っているフィジカルトレーニングのジムに通っています。それまで一人でやってきましたが、マンツーマンでコーチングを受けたり、人に見てもらうことでより一層練習に打ち込めた自負があります。

◆延期を機に、攻撃的に「スタイルチェンジ」

――延期を機に、ボクシングの「スタイルチェンジ」を遂げたそうですね。昨年3月の東京五輪アジア・オセアニア予選で1回戦敗退を喫したことが関係しているのでしょうか?

亮明:代表が内定して五輪に出るという夢は叶えたので、次の目標はメダルになりました。ただ、3月のアジア予選で負けている……。負けたからには、これまでのやり方を変えなければならないけれど、変えるには時間が必要。五輪が延期になった1年間は、スタイルチェンジしたボクシングを従来のスタイルに積み上げてきました。もともと僕はカウンターを軸としたアウトボクサーですが、インファイトのスタイルを融合させたんです。

五輪の試合は3R(ラウンド)制(1R3分)で、KOできなければ勝負は判定で決まる。1、2Rは従来の僕のスタイルで戦い、3Rはポイントを取りにいかなければいけないので攻めのボクシングをやってみたら、これがよかった。ところが五輪前、最後の国際大会は準決勝で負けました。結果論ですが、あの試合も1Rから攻撃的に仕掛けていたら勝っていた。負けはしたけれど、五輪の本番前に「こうすれば勝てる」という気づきや確信を得られたのは大きい。五輪の延期は、僕にはいい影響しかなかった。

◆今の兄はボクシングを楽しみ、いい準備ができている

――より攻撃的なスタイルに進化したわけですね。延期となった1年、弟の恒成選手と一緒に行った練習もいい効果をもたらしたのでは?

亮明:昨年の自粛期間中に、父に教わってボクシングが変わっていったし、弟と一緒によく練習しました。弟は自分より練習量が多いので刺激になったし、フィジカルトレーニングも負けないよう取り組みました。

恒成:実は、一緒に練習したことがそれほど兄に影響を与えたとは思っていません。僕は「参考」の一つにすぎない。ただ、兄のボクシングについて気づいたことを伝えたりしました。確かに、兄のボクシングは変わったけれど、何より人として大きく変わった。例えば、兄はサウスポースタイルなので、対戦相手がサウスポーのときにスパーリングをお願いしてきたけれど、兄から僕らへアクションを起こすことは一度もなかった。

兄は一人で練習していたけれど、環境がいいとは言い難い……。でも、この1年で、誰にも頼らないスタイルの兄が、殻を破って父やフィジカルトレーナーに協力を仰いだんです。大勢の人が応援してくれるようになり、これを受け入れることで兄は周囲の応援を力に変えられるようになった。今の兄はボクシングを楽しみ、いい準備ができている。

◆自分の心が折れたからといって、投げ出すことなんてできない

斉:人間一人でやることには、限界がある。亮明が頼んできたことで協力態勢ができたが、受け入れる準備はできていた。ただ、自分で殻を破らないと本人の“栄養”にはならない。応援してくれる人たちがいるということは、背負うものがあるということ。だから、自分の心が折れたからといって、投げ出すことなんてできない。時間や労力を割いて、亮明が五輪で活躍できるよう応援してくれる人たちがいる。選手はやるしかないでしょう。

※7/13発売の週刊SPA!のインタビュー連載『エッジな人々』から一部抜粋したものです

【RyoumeiTanaka】

’93年、岐阜県生まれ。東京五輪ボクシング・フライ級日本代表。12歳でボクシングを始め、高校3年時から国体4連覇。’15年、リオ五輪のプレ大会・Aqueceリオ国際ボクシングトーナメントで金メダル。母校の中京高校で教壇に立つ傍ら、ボクシング部監督も務める

取材・文/齊藤武宏 撮影/八尋研吾

2021/7/16 15:53

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