RAD 野田洋次郎 “泥酔パーティ”写真を自ら投稿した意図は?反自粛か、ただ幼いのか

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 ロックバンド「RADWIMPS」の野田洋次郎(36)の言動に、波紋が広がっています。事の発端は、8月7日から開催予定だったロック・イン・ジャパン・フェスティバルの中止。茨城県医師会などからの要請を受けてくだされた決定に、思いの丈をぶちまけたのです。

◆飲み会報道で、「ブーメラン」と批判される

 4月の時点で、緊急事態宣言に「聞く気になれねえ」とツイッターで疑問を投げかけていた野田氏ですが、3度目の発令に堪忍袋の緒が切れてしまった様子。
 多くのライブイベントや学校行事が中止に追い込まれる中、オリンピックだけが開催に前のめりになっていることに、「ここまで明らかで大きな矛盾の上で、僕たちはどう生きたらいいのでしょうか。いい加減『違う』ことは『違う』と声をあげていい時だと思います」と長文の声明を、7月8日に自身のツイッターで発表しました。

 ところが、その後、「NEWSポストセブン」(7月10日配信)が報じた“パーティー報道”によって、窮地に追い込まれます。声明以前の7月4日に、焼肉店を貸し切って自身の誕生日パーティーを開いていたというのです。
 泥酔状態の参加者同士でハグをするなど、かなり濃密な会合だったと報じられ、それが一部から“フェスの中止に文句を言っておきながら、当の自分たちは不要不急で酒を伴う飲食をしていたブーメラン”と、批判されている。以上が、ここまでの流れです。

◆自らパーティ写真を投稿、一貫しているとの擁護論

 多くの国民が制約を強いられる中、“ライブをやらせろ。俺はパーティーもやる”といった彼の姿勢が反感を買ってしまうのは、仕方ないことなのかもしれません。
 一方で、理不尽な自粛にNOを突きつけるという姿勢からすれば、一本スジが通っているとも言える。報道以前の7月6日、自身のツイッターにパーティーの写真をアップしていたのですから、コソコソとやっていたのではない。だとすれば、“どの口で言ってんだ”などと叩かれる筋合いはないわけですね。

◆“反自粛”はいいけれど、幼い印象も 

 野田洋次郎に限らず、海外でもミック・ジャガーが自主隔離のルールを破ってサッカー観戦をして罰金を課されましたし、エリック・クラプトンも政府による行動制限を批判する楽曲をリリースしたり、ワクチンの危険性を訴えたりしています。必死に我慢して新型コロナに打ち勝とうと言っている人ばかりではないという事実も押さえておく必要があるでしょう。

 それでも、一連の言動が、36歳という年齢より幼く感じられるのも否めません。それは彼らの楽曲に表れているのではないでしょうか。細々とした問題をひとつひとつ解決していく現実ではなく、いまここにないものを求めて未来を描く。そのモチベーションを、他者や周辺の環境に依存する傾向が、ことごとく歌詞に込められているからです。

◆夢や希望を「なぜ持たせたか」って?

 たとえば、映画『天気の子』の主題歌「愛にできることはまだあるかい」(作詞・作曲:野田洋次郎)のこの一節はどうでしょう。

https://youtu.be/EQ94zflNqn4

<何もない僕たちに なぜ夢を見させたか
 終わりある人生に なぜ希望を持たせたか
 なぜこの手をすり抜ける ものばかり与えたか
 それでもなおしがみつく 僕らは醜いかい>

 当然、誰かから強制されて夢や希望を持つわけではありません。各々が勝手に浮かれたり落ち込んだりするだけの話です。それなのに、野田氏にかかると、なぜだか当たり前のように使役(~させる)の形を取ってしまう。つまり、自分に責任が生じないというセーフティーネットが、物事が発生するための前提条件になっているわけですね。

◆良くも悪くも、一貫性があるのかも

 筆者は、ここに言いようのない違和感を感じると同時に、野田氏の言動を納得してしまうのです。いま被っている不自由の原因は、オリンピックを進めながらイベントを中止に追い込む政府にある。そうであるならば、自分の行動がもたらし得る結果に責任を負う必要はないだろう。
 そういうリアクションとしての破天荒な夜遊びだったり、物申してみたりするポーズたったりするから、ダサいと感じる人がいるのだと思います。

 ライブ中止に異を唱え、誕生日パーティーで酔っ払う姿は、確かに一部ファンが言うように一貫性があると言えるでしょう。その意味では、“アーティスト野田洋次郎”と“人間野田洋次郎”は、言行一致の男なのかもしれません。
 でも、憧れねぇ。

<文/音楽批評・石黒隆之> 


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