「深夜、旅館に“ある人”を呼び寄せて…」超お嬢様たちがハメを外す、禁断の修学旅行
東京には、お嬢様だけのクローズド・パラダイスが存在する。
それはアッパー層の子女たちが通う”超名門女子校”だ。
しかし誰もが永遠に、そのパラダイスにはいられない。18歳の春、外の世界に放たれた彼女たちは突如気づく。
―「お嬢様学校卒のブランド」って、令和の東京じゃ何の役にも立たない…!
ハードモードデビュー10年目。秘密の楽園から放たれた彼女たちの、物語。
◆これまでのあらすじ
1人目は大手広告代理店勤務・凛々子の“秘密”と不器用な恋を紹介した。
2人目は、凛々子の同級生で裕福な専業主婦・文香。お嬢様学校でコンプレックスを抱いた結果、お見合いで資産家と“愛のない結婚”をしてしまう。そのことに罪悪感を抱き始めて…?
▶前回:「お金のために、私はあるモノを棄てた…」28歳で広尾在住専業主婦になった女の、哀しき劣等感
28歳の広尾マダム・文香の話【後編】
「ああ美味しい~!やっぱり私、世界一好きなのはトリュフと卵のコンビかも!」
スライスされたばかりのトリュフが、口の中で溶けて芳香を放つ。文香は、この前美乃と話したときからくすぶっているモヤモヤが晴れていくような気がした。
「美味しいねえ、予約ありがとうだよ麻美」
「いいのよ、電話1本入れただけ。おじいさまの頃からのお付き合いだからね。ご主人と来たいときは連絡して!私経由でなんとかなるかも」
今日は高校の同級生の中で、文香とほぼ同時期に結婚した麻美と“放蕩ディナー”にやってきた。
なんのことはない、暇に任せて夫の金で予約困難店を順番にめぐり、心ゆくまでワインをあける会だ。
このような妻友会はあちこちのコミュニティで組閣することができるが、結局は夫への不満や噂話に終始する。
しかしあの学校を出た友達は、そういうものとは無縁で、文香はそれが好きだった。
もともと超絶恵まれた彼女たちが、若くして超絶裕福な家に嫁いだのだ。不満なんてたかが知れている。
それに文香は悪口や文句を言うほど、夫のことを理解しているとは言い難い。熱心に悪口を言うのは、愛情や期待の裏返しなのだ。
― やっぱりお金が大事なのよ。お金があれば、こんなにも優しくなれる。私は間違ってない。
文香は、ペアリングされた白ワインをこくんと飲み込んだ。
一方、帰宅した文香を家で待っていた夫は…?
セレブ修学旅行の思い出
「ただいま…」
玄関に入りパンプスを脱いだとき、夫の功一の靴があることに気づいた。
多忙であり、千葉での仕事も多い功一が、平日の20時半に帰宅するのは珍しい。
それに接待や会議が多いので「平日の夕飯は別々にしよう、準備は不要だよ」と言ってくれるのに甘え、これまで夕食はほとんど作ったことがないのだ。
「文香、お帰り。急に早くなってごめんね、予定がひとつ飛んで」
謝ることなんて何もないのに、ソファに座っていた功一は目を細めてリビングに入ってきた文香を出迎えた。
「ううん、こっちこそ遅くなってごめん!お腹すいてるよね?私、食べてきちゃったから…。何か作ろうか?」
「大丈夫、さっき適当に作って食べちゃった」
急いでキッチンに入ると、たしかに食洗器がすでに稼働している。基本的にマメで手のかからない夫なのだ。
文香は「ごめんね、疲れてるのにありがとう。すぐお風呂わかしてくるね」と、バスルームに向かった。
結婚して3年経つというのに、文香は夫の前だとほんの少しだけ落ち着かない気持ちになる。
功一が12歳も年上で、おまけにいつも落ち着いていて優しいから、なんだか先生や上司の前に出ているような気分がするのかもしれない。
見た目はとりたてて文香をときめかせる要素はない。中肉中背、メガネの奥の目は優しそうだが、とくにイケメンではない。
かなりの面食いを自認している文香にとって、どうにも高まりようがないのだ。
それでも、功一はいい人だと思う。夫としての務めを果たし、見合いの席での約束を守り、こんなに素晴らしい広尾の新居を与えてくれた。
早く心から好きにならなくちゃ。そして義実家から期待されている子どもを授かって、予定通りの理想的な人生をすすめなくては。
そう思えば思うほど、文香は友人との予定を詰め込み、逃避した。今夜のように。
バスルームには、文香のため息がむなしく響いた。
◆
「うわ、懐かしい…!京都の修学旅行ってことは、中2の春?みんな顔丸すぎでしょ~!」
10周年記念同窓会に、卒業生へ贈られたアイテムのいくつかを持ってくるようにと書いてあったので、文香は朝からロフトの段ボールを開けていた。
出てきた卒業アルバムや、大量の写真を懐かしく眺める。
「このとき、麗が部屋に舞妓さん呼んで『都をどり』を見せてもらったのがバレて、怒られたんだよな~」
修学旅行に持ってこられる現金は一応決まっていたが、プラチナカードを携帯していたり、京都でもあちこちで顔が利いたりする生徒はそんなこと気にしていない。
文香の脳裏に、今となっては衝撃の、修学旅行の断片がよみがえってきた。
お嬢様学校の修学旅行は…
開演
あの学校の修学旅行は、中1から高2まで毎年行われる。毎回積み立て金は数十万円になるし、そのほかにも語学研修やスキー合宿があるので、文香の母親はお便りを見てため息をついていた。
中学までは国内で、最高級旅館を貸し切って宿泊するため食事は必然的に部屋でいただく。すなわち先生の目が届きにくい。
というよりも、先生も元気がありすぎる生徒たちがおとなしく旅館にいてくれるならば、多少のことは目をつぶってくれた。
先生たちが何より心配なのは、外出先で目立つ制服ゆえ危険に巻き込まれたり、事件が起きることなのだ。
それをいいことに、生徒たちは勝手に最高級のお肉を買ってきておかずを増やしてみたり、夜食に有名料亭のお弁当を届けてもらったり。
悪ノリなんだか無邪気なんだかよくわからないテンションで、修学旅行を満喫していた。
先生が心配していた自由行動は、ハイヤーを頼んで食べ歩きをするので、大きな問題を起こすことはない。
「懐かしいなあ…」
しょうもない写真の数々に「なんでこれわざわざ現像したんだろう?」と首を傾げながら、文香はふと気がついた。
こんなふうに修学旅行のようなイベントでどんなに悪ふざけしていても、生徒たちには必ず守る一線があった。
出された食事はすべていただく。姿勢を正して挨拶と御礼を言う。
人前で髪の毛をとかさない。コートや帽子は玄関に入る前に脱ぐ。目上の人に話しかけられたら、すぐに起立して耳を傾ける。
毎日の中にある、小さいけれど大事な心掛けだった。先生が何度でも口うるさいほどに指導してくれたので、卒業しても体に染みこんでいて、社会人になってからもずいぶん助けられた。
「清廉に、愛をもって、ひたむきに、か…」
卒業記念品のひとつ。木製のしおりに書かれた校訓を、文香は懐かしく指でなぞった。
― 顔向けできないな、みんなに。お金目当てで結婚したなんて言えない。
現在進行形の“間違い”を、無垢な親友たちに「なぜ気づいているのに正そうとしないのか」と聞かれたら、それこそ終わりだ。
気づいていながら、勇気も覚悟もなくていいとこ取りで、身動きがとれないことがバレてしまう。
文香は自嘲すると、しおりをケースから取り出して、ロフトをあとにした。
◆
「美乃~ごきげんよ!お待たせしちゃったかな?ごめんね」
今朝、演劇ライターの美乃がミュージカルに誘ってくれたので、文香もふたつ返事でOKしてやって来た。当日の誘いにもこうして乗れるのが、専業主婦のいいところだ。
「始まる前に、シャンパン飲みながらパンフを眺めて、今日のキャストの組み合わせだとどんな舞台になるかなって妄想するのが最高なのよね~」
2人は冷えたシャンパンを片手に、ウェイティングスペースで乾杯する。
「ん?美乃、右目どうしたの?真っ赤じゃない?」
文香は、美乃の異変に気がついて思わず尋ねた。
「納得いく原稿が書けなくてさ。視点を変えようと10冊くらい読んで、内圧上げようとNetflixでテンション高いやつ見たんだけどダメ。もう50時間くらい寝てないから毛細血管が切れちゃって」
「ご、50時間?やりすぎだよ、こんなとこ来てる場合?私よーく見てレポートするから、もう帰って寝なよ」
「あはは!ちょっと文香、誰の代わりがつとまるって?」
文香はプロに非礼なことを言ってしまったと気づく。
「…ごめんなさい。私、なんて失礼なことを」
「え!?いやいや、心配してくれたんだよね。こちらこそこんな不気味な目で来てごめん、眼帯してくればよかった。でもせっかくの舞台、両目開いて観ないとね!
…文香はさ、何でもいちいち真面目に考えすぎなのよ。すべてに真摯に向かい合ってたら身がもたないよ。
功一さんとの結婚だってそう。玉の輿よ?なんでクヨクヨ悩むのよ。クヨクヨしたほうがいいのは、独身であてもなく目の血管切れるまで仕事してるこっちだよ」
なぜそこで功一の話になるのか。しかも誰にも言えないモヤモヤを、なぜ。
「文香が一生懸命考えて、それがいいと思ったんだから。誰も責めたりしないよ」
「…でも結婚は、人生で一番好きな人とするものだよね」
美乃の前では、もう取り繕えない。…本当は、最初から取り繕う必要もなかった。
「そんなの、それぞれの塩梅と事情ってもんがあるでしょ。うちの両親なんて最初から最後までそこに愛なんてなかったけど、今は感謝してるよ。生まれてきただけでラッキーじゃん。
文香もさ、そんなにガチガチに考えないで、それよりも仕事してみるのはどう?自分で外の世界を作るの」
「仕事?無理だよ、私美乃みたいに凄い才能ないし、働いた経験もないし…」
「自分が仕事すれば、功一さんの苦労とか、違う一面が見えるよきっと。あれだけの経営者だもん、きっと素直に尊敬できるとこ、いっぱいあるよ。もっと彼を知ったらさ」
文香は、美乃の真っ赤になった目が優しく細められるのを見て、はっとした。それは何かに打ち込んでいる人の強さと優しさだった。言葉には説得力があった。
功一を、優しい人だと思った。
その優しさを作り上げているものを、その裏側を、もっと知りたい。今からでも、間に合うのだろうか?
「さあ、開演よ」
ブザーがロビーに鳴り響き、美乃が立ち上がって手を差し伸べてくる。
「ごきげん麗しく生きましょう、文香。私たち、まだまだこれからよ」
文香はうなずくと、深呼吸し、ゆっくりと友達の手を取って立ち上がった。
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美乃の話【前編】:演劇ライターとして有名になった美乃。充実した仕事の一方で、彼女にもまた秘密が…。