大村崑、89歳になった今も「元気ハツラツ!」 レジェンド俳優が語るテレビ、CM、映画の裏側
「元気ハツラツ!」。現在89歳になる大村崑師匠は、テレビ放送の黎明期から生放送の人気コメディ『番頭はんと丁稚どん』(毎日放送)や『とんま天狗』(読売テレビ)などで大活躍。近年もNHK大河ドラマ『西郷どん』や2時間ドラマ『赤い霊柩車』シリーズ(フジテレビ系)に出演しているレジェンド俳優だ。なかでも1965年から10年間にわたってテレビ放映された「オロナミンC」のCM「元気ハツラツ!」のキャッチフレーズは、多くの人の脳裏に刻まれている。現在公開中の映画『ロボット修理人のAi(愛)』では、ミステリアスな老人役で独特な佇まいを見せている大村師匠が、初日舞台あいさつを終え、映画、テレビ、CMの裏側を大いに語ってくれた。
ー映画『ロボット修理人のAi(愛)』はファンタジックかつ、心温まる物語。映画出演は、27年ぶりになるそうですね。
はい、舞台やテレビを中心に活動していたので、なかなか映画のお座敷には呼んでもらえなかったんです。もっと映画にも出たいなぁと気長に待っていたら、とてもいい作品に呼んでもらえたなと喜んでいるんです。
ー特撮映画『ガメラ対大悪獣ギロン』(69)や『ガメラ対大魔獣ジャイガー』(70)などに出演していたのを覚えていますが、やはりテレビでの活躍が印象に残っています。
喜劇俳優として売り出中の頃は、芦屋雁之助、芦屋小雁らと一緒に出演した『番頭はんと丁稚どん』の劇場版にも出てました。昔の映画監督はテレビに出ている役者のことを「電気紙芝居に出ている役者」と呼んで、テレビをまるで見ようとしなかったんです。『番頭はんと丁稚どん』の劇場版の第1作(1960年)は酒井欣也監督という松竹の大監督が撮ったんですが、僕がメガネをズリ落とした鼻メガネにしていると、『ちゃんとメガネを掛けてくれ』というんです。僕が『この鼻メガネがテレビでは受けたんです』と説明してもダメでしたね。『番頭はんと丁稚どん』の劇場版は大ヒットして、シリーズ化されましたけど、酒井監督は1作で降りています。映画俳優とテレビの俳優が分けられていた時代があったんです。
ー1965年から「オロナミンC」のCMキャラクターとなった大村師匠は、ホーロー看板にもなり、全国津々浦々で知られる存在に。「元気ハツラツ!」のキャッチコピーで有名ですが、実はご本人は「元気ハツラツ」じゃなかったと聞いています。
そうです。僕は19歳のときに結核になり、片方の肺を手術で取ったんです。医者からは「40歳まで生きられないだろう」と言われていました。それなら自分のやりたい道に進もうと、芸能界に入ったんです。「オロナミンC」のCMの話が来たのは、30代半ばでした。「元気ハツラツ!」とCMで言いながら、倒れたらシャレにならないでしょ? 最初は断っていたんです。この話を始めると、映画の話題から脱線するけど大丈夫?
ー師匠の脱線トークなら、大歓迎です。
さっき話した『番頭はんと丁稚どん』の後、僕は『とんま天狗』という大塚製薬が提供する時代劇コメディに初主演したんです。三木のり平さんが、僕の父親役でした。僕の劇中でのセリフ「姓は尾呂内(オロナイン)、名は楠公(軟膏)」というのがすごくウケて、「オロナイン軟膏」のCMも僕が担当していたんです。でもある日、突然CMを降ろされた。女優の浪花千栄子さんが大塚製薬の社長と一緒に食事をして、「私をCMに使いなさいよ。私の本名は『南口(なんこう)キクノ』よ」と言って、それを社長が気に入り、「オロナイン軟膏」のCMは浪花さんに代わってしまったんです。
ー NHK朝ドラ『おちょちゃん』のモデルにもなった大女優のしたたかな一面!
浪花さん、『番頭はんと丁稚どん』では番頭にいじめらている丁稚の僕をかばってくれる役だったのに、ひどいでしょ(笑)。僕もすねて、大塚製薬から新しいCMの話が来ても断っていたんです。それで宣伝部長が来て、専務が来て、それから副社長が来て、「誰のおかげで人気者になったと思ってるんだ。大塚製薬が一社提供している番組のおかげだろう。うちが社運を賭けた新商品のCMに出て、恩返ししたらどうや」と迫るわけです。それでも僕が意地になって断ろうとすると、横にいた僕の嫁(カンツォーネ歌手の岡村瑤子さん)は貿易会社で会計をやっていたこともあって数字に明るいんです。副社長の提示したギャラが、一桁ゼロが増えているのを見て、「CM、お受けします」と彼女が答えたんです(笑)。
ー今も一緒に「ライザップ」に通っている瑤子夫人は、大村師匠にとって人生の重要なナビゲーターでもあったんですね。そして、あの人気CMが誕生することに。
CM出演をOKして、すぐに撮影になりました。CMで着ている長袖のシャツ、黒い帽子、丸メガネ、すべて僕の自前です。CM撮影は同じカットを何度も何度も撮り直すわけです。CM監督から「メガネをズリ落として」と言われて、その時の僕は「嬉しくないから、メガネは落ちません」と返しました。それをスタッフは面白がり、「嬉しいとメガネが落ちるんですよ」という台詞が生まれたんです。「嬉しいとメガネが落ちるんですよ」というCMはすごく流行し、銀座のママは「嬉しいとズロースが落ちるんですよ」、相撲取りは「嬉しいとまわしが落ちるんですよ」といろんなギャグになって使われましたね。僕のアドリブが、 CMにはよく使われました。
ー大村師匠は、 人気CMのコピーライターでもあったわけですね。
僕は「オロナミンC」のCMに出るようになってから、メガネを2つ持ち歩くようになりました。 CMには僕の自前のメガネで出ていたんですが、CM監督にメガネのレンズを2つとも金槌で割られてしまったんです。それ以来、レンズの入っている普通のメガネとレンズの入っていない撮影用のメガネを持つようなったんです。ひと晩のCM撮影で100本近く「オロナミンC」を飲んだんじゃないかな。撮影が終わって、東京の定宿にしていた赤坂のホテルニュージャパンに戻って風呂に入ろうとすると、炭酸ガスで膨れ上がったお腹だけが浮かび、浴槽の中で危うく溺れかかったことがあります。撮影が長引くと、子役が疲れてしまい、泣き出すこともありました。当時のCM監督は泣いている子役を帰して、待機させていた別の子役を使ったりしてましたね。
ー高度経済成長時代ならではのハードなエピソードですね。CM出演はタレントにとって、メリットとデメリットの両面があると思いますが、その点はどうでしょうか?
1975年から「オロナミンC」で「プロ野球編」をやろうということになり、僕は阪神タイガースのファンだったので「阪神から始めよう」と言ったんです。「まずは巨人から始めます。でも1年間巨人をやったら、12球団を順番に回りますから」という約束だったのが、僕がCMの最後に言う「オロナミンCは小さな巨人です」というフレーズが人気になって、巨人編が9年間続くことになったんです。そのCMが流れている間、甲子園球場に2度行きましたけど、阪神側の客席にいると、阪神ファンから「崑ちゃんは、あっちや」と巨人側の客席を指されました。上岡龍太郎からはラジオで「大村崑先輩は金に釣られて、阪神を捨てた」なんてことも言われましたね。それで、すっかり巨人ファンなりました(笑)。
ー大塚製薬とはCM契約が終わった後も、お付き合いがあるそうですね。他の栄養ドリンクを扱っているメーカーからのCMオファーもあったりしたんじゃないですか?
いや、他のメーカーからのCMの話はありません。かつては俳優がCM出演するのは、1人1社と決まっていたんです。同業メーカーのCMに出るなんて、もってのほかです。今の人気俳優は何社ものCMに出ているけど、あまり多くのCMに出ているとイヤらしく思われますよ。「オロナミンC」のCM契約は終わったけど、大塚製薬の創業者一家とはお付き合いが続いています。創業者の息子だった社長の結婚式の司会、僕が務めたんです。その息子たちの結婚式の司会も、すべて僕がやりました。それもあって、今でも「オロナミンC」が送られてくるんです。僕の自宅の冷蔵庫は「オロナミンC」だらけです(笑)。それに僕はいまだに「カルピス」を飲んだことがありません。「オロナミンC」以外の清涼飲料水は、口にしないようにしてるんです。特に人前ではね。ビールもほとんど飲まない。「オロナミンC」以外で飲むのは、基本的に水かお茶ぐらいですよ。
ースポンサー企業との信頼関係を感じさせるお話、ありがとうございます。改めて、27年ぶりの映画出演作『ロボット修理人のAi(愛)』について。役づくりなどはどうされたのでしょうか。
役づくりの必要はありませんでした。田中じゅうこう監督が僕を選び、あとは田中監督に言われたとおりにやっただけです。撮影の前日に田中監督と一緒に食事をし、翌日「ここです」と榛名湖に連れていかれて、スコ~ンと晴れ渡った湖の雄大な景色を眺めながら、演じさせていただきました。変に芝居をしたら、風景に負けちゃうでしょ。あのロケ地だからできた芝居でしょうね。これが、ちっちゃい公園での芝居だったら、違った演技になったんじゃないかな。役者って、ロケ地の景色やセット、身に着ける衣裳や小道具で、その役になってしまうものなんです。例えば、煙管を持つ仕草次第で、役者は町人にもお殿様にもなれるんです。その場に合わせて、役に合わせた芝居をするのが役者です。僕が演じた老人は登場シーンはあまり多くないけど、僕の台詞がストーリーの軸になって、登場人物たちを結びつける重要な役でした。また、主人公の少年を演じた土師野隆之介くんはまだ若いけど、すごくよかった。不思議な物語だけど、どんでん返しもあって、最後には清々しい気持ちになれる映画ですよ。
ー大村師匠のお話を聞いていると、CMも映画出演もギャラ以上に大切にしているものがあるように感じられます。
それはね、やっぱり僕をここまで育ててくれた社会に恩返しをしたいということです。ありがとうね、という気持ちです。予算が少ない番組やイベントにも、喜んで出させてもらっています。自分が参加することで、その体験が宝物になるわけです。映画に久しぶりに出たおかげで、こうして取材にも来てもらえたしね。心の宝物は大切です。金銭じゃない。美味しいものを食べるのもいいけど、「俺はあの作品に参加したんだ。いい作品になったな。監督も喜んでくれたな」と。そう思えることが、最高に嬉しいんです。僕なんて、医者から「40歳まで生きられない」と言われたし、58歳の時には大腸がんの手術を受けています。CMが流れている間は言えなかったけど、左目は小1の時に野球のボールが当たって視力がありません。片耳は子供の頃に僕を厳しく育てた伯母に叩かれ、ずっと難聴のまま。肺は片方ない。でも、健康に気を配って過ごしてきたら、今でも元気で、仕事にも呼んでもらえる。世界最高齢の喜劇俳優として、ギネスに載るのが目標なんです。週に2回ライザップに通い、2時間みっちり鍛えています。今がいちばん「元気ハツラツ」ですよ(笑)。
取材・文=長野辰次
撮影=石田寛
■『ロボット修理人のAi(愛)』
高校を中退した倫太郎は、独学でロボットについて学んでいた。ある日、アルバイトで旧型AIBOの修理を頼まれることに。大村崑さんは湖で起きる出来事を見守る、謎めいた老人役で出演。
監督/田中じゅうこう 脚本/大隅充
出演/土師野隆之介、緒川佳波、金谷ヒデユキ、亮王、岡村洋一、堀口聡、野口大輔、水沢有美、丸山ひでみ、亜湖、ぴろき、大村崑、大空眞弓
配給/トラヴィス 7月10日より新宿K’s cinema、7月24日(土)より横浜シネマリン、7月30日(金)よりアップリンク吉祥寺ほか全国順次公開
夕焼け劇場 presents ©2021 GENYA PRODUCTION ROBOT REPAIRBOY
大村崑(おおむら・こん)
1931年兵庫県神戸市生まれ。キャバレーのボーイから、司会、そしてコメディアンへと転身。1958年に花登筐脚本のコメディ『やりくりアパート』(朝日放送)に出演し、人気者に。1959年には『番頭はんと丁稚どん』(毎日放送)、『とんま天狗』(読売テレビ)に出演し、さらに人気を高めた。1992年から始まった2時間ドラマ『山村美紗サスペンス 赤い霊柩車』(フジテレビ系)は、今も続く人気シリーズ。2018年にはNHK大河ドラマ『西郷どん』で西郷隆盛の祖父・隆充を演じた。2018年から瑤子夫人と共に「ライザップ」でトレーニングを受けていることも話題に。