芸人の師弟制度が存在する意味とは?誰もが“芸”を配信できる時代に考える

―[芸人は今日も炎上する]―

◆落語家として13年目にして初弟子を取る

 月亭方正君が、2008年に落語家月亭八方師匠に入門してから13年を経て、今年の4月に初めて弟子を取りました。月亭柳正(りゅうせい)君、元NSC生で私の生徒でもありました。方正君もNSC出身なので、師弟共に元NSCということになります。

 一般的に落語家さんの弟子修行は「内弟子」と「通い弟子」に分かれ、「内弟子」は師匠の家に住み込み通常3年間は師匠と寝食を共にして、食事の用意や買い物、洗濯など師匠宅の雑用をやることで礼儀作法を覚え、運転ができれば運転手も務め、もちろん噺の稽古をつけてもらって落語家への階段を一段ずつあがっていく。

「通い弟子」は概ね師匠宅の近くに部屋を借りて、毎日通いながら「内弟子」と同じ弟子と同じ修行をつむことになる。柳正君はこの「通い弟子」になります。

◆師匠と先生の違い

 NSCの講師ということで、私のことを「師匠」と思われる方もいらっしゃいます。確かに授業を受け持ち、いろいろ教えるわけですから「先生」には違いありません。

 しかし、NSCというのはあくまでお笑い業界に入るための入り口ですから、さしずめ私のような講師はナビゲーターとでも言いましょうか。講師と生徒としての時間は1年間だけですから、決して、その子の人生を左右するほど濃密なものではありません。

 でも「師匠」は違います。その子の人生に大きな影響を与える、場合によっては決めてしまう存在です。

◆桂文珍師匠が弟子を破門した優しさ

 これまで数多くの弟子っこたちを見てきましたが、「向いていない子」に対する対応で一番印象に残っているのは桂文珍師匠があるお弟子さんに“破門”を告げられた時でした。

 前日まで楽屋で叱責される姿を見ていたのですが、翌日楽屋に伺うと、なにかを手伝おうとする弟子っ子に「いいです、いいです、僕がやりますからありがとう」と。

「(弟子を続けさせて下さい)お願いします!」と涙ながらに懇願する弟子っ子に「昨日も言ったように、あなたには向いていないと思うから、違う道で頑張ってください。ご苦労さまでした。元気でね」と笑顔を絶やさず、すがる弟子っ子を楽屋から出ていくように諭されていました。

 私がその光景を見たのは10分足らずでしたが、泣く泣く楽屋を後にして行く彼を見送り「破門されたんですか?」と問う私に、

「根はええ子やねんけどな。この世界には向いてない。そんな子をいつまでも引っ張ってたら、逆にあの子の可能性を奪うことになるから、それはできひんもんな……難しいね」

 としみじみとおっしっていました。あの子の可能性を奪うことになるから破門する。これは究極の優しさに繫がるのではないでしょうか。

◆プロとアマの垣根が低くなった

 最近では、プロとアマチュアの垣根が昔に比べて格段に低くなった時代です。昔なら、舞台とテレビ、ラジオが芸人たちの“仕事場”でしたが、昨今はYoutubeなどを使い、自分の芸を発信して、そこから収入を得ることもできるようになってきました。

 テレビやさまざまな動画で華やかな部分、楽し気な様子、高額といわれる収入に魅せられて「俺も!」「私も!」と考えてもなんの不思議もありません。

 しかし、現実は過酷です。Youtubeに動画を上げることは誰でもできますが、ファンを獲得してお金を得て生活できている、いうわゆる“成功者”はほんの一握りです。

◆師匠のためなら死ねると言った巨人さん

 長年、台本を書かせて頂いているオール阪神巨人さんは「漫才師」の弟子ではなく吉本新喜劇の岡八朗師匠のお弟子さんでした。

 伺ったお話では素人のお笑い番組の常連で共に有名人だった阪神巨人さんが、吉本へ入る手段として当時は誰かの弟子でなければ舞台に立てなかったので、ちょうど弟子がいなかった岡八朗師匠に預けられる形で巨人さんが入門、業界のことを学びながら、まだ高校生だった阪神さんの卒業を待つということでした。

 ですから、岡八朗師匠が好き好きでたまらなくて弟子になったわけではなかったのです。それでも身の回りのお世話をしているうちに、その人柄に心底惚れ込み「師匠のためなら死ねる」とまで心酔されたことを著書『師弟』で書いておられます。そんな巨人さんについて、岡八朗師匠も「巨人は完璧な弟子やった!」と絶賛されていました。

◆前日の夜に道順を確かめに行った

 巨人さんから伺って驚いたエピソードをひとつ。翌日の営業先へ車を運転して師匠を会場までお連れするのに、地図を見てもはっきりわからなかったので、前日の夜、弟子の仕事が終わってからバイクで会場までの道順を確認されたうえで当日、師匠をお連れしたというのです。

「師匠乗ったはんのに、道間違えられへし、途中で人に聞くなんて失礼なことできひんやろ」

 巨人さんはそれが当たり前だというようにおっしゃっていました。芸を超えてその人に惚れ込んでいく「師弟関係」というのは他の物には計り知れない縁や絆で結ばれているのだと思います。

◆子供が芸人になりたいと言ったらどうするか?

 もし子供さんが「お笑い芸人になりたい!」と言われたら、あなたならどうされますか?

 私が子供に言われたら……過酷な現実を伝え、成功する保証は1ミリもないことを十分に説明したうえで、それでもやりたいならやらせると思います。

 そこで一生懸命にやっていれば、たとえお笑いで芽が出なくても、どこかの世界できっと芽が出て、自分の居場所を見つけることができるでしょう。「一生懸命にやる」ということが一番重要なことだと思います。

 お笑いの世界に入って38年、NSC講師になって32年。「弟子」と「養成所」どちらも間近で見てきた私が思うことは、当たり前ですが「人それぞれ」自分の好きな方を選べばいいと思っています。

◆お笑い界の落ちこぼれでも世間では……

「好きな方」といっても、どちらも入ってみなければわからないし、入ったからどうにかなるものでもありません。要はお笑いの世界に向いているかいないかの問題。

 最初の授業で生徒に伝えますが、お笑いの世界で残れるかどうかは「向いているか」「向いていないか」のどちらかです。「向いている人」は一日中、何か面白いことはないか考えることが苦痛ではなく、たとえ苦痛でも喜びの方が大きく、人に笑われる(厳密には笑わせる)ことに快感を覚える人。

「向いていない人」はどちらも苦痛で続けられない、お笑い界では「落ちこぼれ」になります。でも、仮にお笑い界の「落ちこぼれ」でも安心してください。一般社会では極めてノーマルな人なのですから…。

文/本多正識

―[芸人は今日も炎上する]―

【本多正識】

漫才作家。'84年、オール阪神・巨人の台本執筆を皮切りに、漫才師や吉本新喜劇に多数の台本を提供。'90年吉本総合芸能学院(NSC)講師就任。担当した生徒は1万人を超える。著書に『吉本芸人に学ぶ生き残る力』(扶桑社刊)などがある

2021/7/14 15:51

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