ついにサイコパス男が頭を下げた…!?立場逆転した女の意外すぎる最後の要求
東京の平凡な女は、夢見ている。
誰かが、自分の隠された才能を見抜き、抜擢してくれる。
誰かが、自分の価値に気がついて、贅沢をさせてくれる。
でも考えてみよう。
どうして男は、あえて「彼女」を選んだのだろう?
やがて男の闇に、女の人生はじわじわと侵食されていく。
欲にまみれた男の闇に、ご用心。
◆これまでのあらすじ
黒川から、「戻ってきてほしい」と告げられた秋帆。悩む秋帆が出した結論とは…?
▶前回:どこまでも追いかけてくる、狂気的な上司。逃げ場を失った女の、最後の賭け
「頼みがある」
秋帆との話し合いから、5日後。
社長室に人事部長を呼び出した黒川は、あるリストを片手に切り出した。
「このメンバーに連絡を取って、会う算段をつけてほしい。連絡が取れない人間は仕方ないが」
「承知いたしました」
恭しく頭を下げた人事部長は、リストに一通り目を通す。
すると彼が、場の空気にふさわしくない、素っ頓狂な声を上げた。
「え、ええ?」
眼鏡を外したり、目をこすって、リストにこれでもかというほどに顔を近づける。そして、動揺した様子で黒川に尋ねた。
「これって…。彼らに会ってどうするおつもりでしょうか?」
「彼らに会って、私が話をする。断られたらそれまでだが、できる限り調整してほしい」
「はぁ…」と、呆然と立ち尽くす人事部長に、黒川はさらに続けた。
「組織を色々と変えようと思っている。君には頑張ってもらうことになりそうだ。それから…」
まだ何かあるのかという目を、人事部長が黒川に向ける。
「このことは、白田さんにもきちんと伝えてほしいんだ。この前の答えだと」
黒川は徐々に変わりつつあった。一方の秋帆は…?
深まる悩み
「ったく、まだクヨクヨ考えてるの?
この前の、かっこいい秋帆はどこいっちゃったのよ!?そろそろ、回答期限じゃないの?」
帰宅したひかりは、呆れ顔で話しかけてきた。秋帆は、ひかりの部屋のソファで、クッションを抱えながら座っている。
「わかってるけど…。いざ決断となると、すぐには決められなくて…」
秋帆がゴニョゴニョ言っている間に、ひかりは料理の準備を着々と進める。野菜を刻む音が、小気味良く響く。
― 黒川のところに戻るべきか、辞めるべきか…。
黒川や人事部長との話し合い後、秋帆は答えを出せずにいた。回答期限は、目前に迫っている。
「ひかりだったら、どうする…?」
夕食を食べながら、秋帆は尋ねてみる。
どちらの道を選ぶべきだろうか。黒川の前では、条件を突きつけるなど、ガラにもないことをしたものの、いざ決断を迫られると、及び腰になってしまった。
するとひかりが、あっけらかんと言い放った。
「黒川さんのところに戻ったら?」
そしてひかりは、箸を止めることもなく、おかずを口に運ぶ。不快にさせてしまったと、秋帆は瞬時に反省した。
彼女の立場になって考えてみれば、いい加減にしてほしいだろう。秋帆が家に転がり込んだばかりに、騒ぎに付き合わされているのだ。
それに、秋帆がどこで働こうと、ひかりには関係のないこと。
「ごめん」と、秋帆が頭を下げると、ひかりは予想外のことを口にした。
「黒川さんの前では、秋帆の新たな面が見られると思ったからだよ」
「え?」
思わず聞き返した秋帆に、ひかりは箸を置いて続けた。
「私、秋帆のことは小さい頃から知ってるけど…。どちらかと言えば、ことなかれ主義だったじゃない。なんていうか、なりふり構わず頑張ったり、誰かと対立するタイプじゃなかったでしょ?
ごめんね、言葉が悪かったら」
ひかりの言葉が、秋帆の心にグサリと突き刺さる。だが、その通りだった。
「そんな秋帆が、黒川さんを前にすると、社長室に乗り込んで訴えたり、条件を突きつけたり。
なんていうか、秋帆の新たな一面を知れた気がするの。前にはなかった自信を感じさせるっていうか…」
― 言われてみれば、そうかもしれない…。
秋帆は、ハッとなった。
黒川のもとで働き始めてから、色々なことが変わった。
それは、生活面だけではない。
おだてて操ろうとした黒川の思惑があったにせよ、会社に受かり、また大げさなまでに褒めてくれたおかげで、自信を持つことができた。
また、自力では決して見ることのできない景色も見せてもらい、経験もさせてもらった。
一時は罪悪感に苛まれ、黒川に対して嫌悪の気持ちを抱いたこともある。
だが、黒川のもとで働かせてもらったことで得た自信や感謝の気持ちが、秋帆を突き動かしたのだった。
「でも…」
同時に、人間、そう簡単に変われるものではないということも分かっている。
この前会った様子では、黒川は、秋帆を会社に戻すため、うわべだけ改心しているようにも見えた。
本当に自分のやり方を改めようとしているのか。そんな不安もよぎる。
「私、どうしたら…」
その時だった。
秋帆のスマホが振動した。画面には、人事部長の名前が表示されている。
「ほら、出なよ」
ニヤッと笑ったひかりは、ビールを喉に流し込んだ。
人事部長との電話後。秋帆は、一体どうなったのか…?
突きつけた条件
「おはようございます」
秋帆は、1ヶ月ぶりにオフィスへと足を踏み入れた。
懐かしいという感覚を覚えるほど久しぶりではないが、なんだか新鮮な気分だった。だがこのオフィスに来る日も、残りは限られている。
― さてと。今日も仕事を始めなくちゃ。
パソコンを立ち上げた秋帆は、備品のチェックや黒川の部屋の掃除を始める。
バタバタと忙しくしていると、ドアが開く音がした。
「おはよう、白田さん」
入ってきたのは、黒川だった。
秋帆は、会社に戻ることを決めた。だが、前回採用された時とは、立場も待遇も違う。
それが、秋帆があの時黒川に突きつけた条件だった。
◆
黒川と人事部長が訪ねてきたあの日。
戻ってきてほしいと頭を下げられた秋帆は、黒川の本心を探るため、こんなことを口にした。
「もし戻していただけるのであれば、本来応募した事務アシスタントとして雇ってください。会社から貸与されるマンションも、プレゼントも身分不相応な給料も要りません。
そして…」
「いいだろう」と、ニコリと笑う黒川の目を見つめながら、こう迫ったのだ。
「社員の意見にも耳を傾けることを約束していただけませんか?」
予想以上に力が入ってしまったらしい。心地よいBGMが流れる静かな空間に、秋帆の声が響く。
隣のひかりと、目の前の人事部長がピクッと反応し、黒川の様子を窺う。
「ああ、いいだろう。そのつもりだよ」
頷きながら明るく答える黒川に対して、秋帆は畳みかける。
「口だけではなく、実行できますか? やり直すって、そう簡単にできるものではないと思うんです」
すると黒川は、「いや、その…」と、何かを言いかけたが途中でやめて、顔をしかめた。
「ほら、口だけじゃないですか。そんなことでは、何も変わらないと思います。
変わろうとしている姿を見せてください!」
「…」
黒川は、口をきつく結んだまま黙り込んでいる。
「黒川さんが本当に変わろうと思っていないなら、戻るつもりはありません。
失礼します」
そして秋帆は、深々とお辞儀をして、その場を後にしたのだった。
◆
「まったく…。黒川さんに、言ってやったわ!」
社長室から出てきた秋帆の「後任秘書」は、鼻息を鳴らしながら、書類をドサッとデスクに置いた。
「よかったらどうぞ」
苦笑いしながら、秋帆はアイスコーヒーを差し出す。
彼女は、秋帆の前に秘書をやっていた、あのやり手だ。
「申し訳ないことをした。だが、会社を立て直すには、君の力が必要だ。好きにしてほしい」と、黒川が頭を下げて頼み込んだと聞いている。
彼女は運良くまだ再就職はしておらず、フリーを満喫していたらしい。最初は訝しく思っていた彼女も、「そこまで言うなら…」と、戻ってきてくれたらしい。
「手加減なくやらせてもらう」という宣言通り、秘書は縦横無尽に活躍している。
黒川とは、頻繁に言い争ったり、議論を戦わせているが、かつてのような緊張感はない。
そして秋帆は、秘書のアシスタントというポジションに近いところに収まった。
待遇も一般的な事務アシスタントの相場と同じ。馬込の手狭なマンションに引っ越し、新生活をスタートさせる予定だ。
今は、やり手秘書の下で、仕事のいろはを盗んでいる最中で、いろいろと勉強させてもらっているところだ。
変わったところは他にもある。
黒川と秋帆。2人のそれぞれは…?
未来へ
黒川の意向で、オフィスは恵比寿から五反田に移ることになった。
五反田は、ベンチャー企業が多く集まっていることもあり、黒川は「本気で一からやり直すんだ」と、言っている。
秘書と同様に、戻って来た社員たちもいる。フリーデザイナーのあの人も、定期的にプロジェクトに参加するようになった。
もちろん、戻ってこない社員もいた。だが、それを嘆いても仕方がないと、黒川は言った。戻って来てくれた人間に感謝するしかないのだと。
黒川の仕事に対する考え方は、変わっていない。顧客の成功に最大限にコミットするため、求められるクオリティや期限はハード。そして、それに合わないと思うのであれば去ればいいというのも変わっていない。
だが、以前のように罵倒するのではなく、秘書や人事部長同席のもと、社員の意見を聞く場を持つようになった。自分が間違っていると思えば、折れることもある。
秋帆は、今の黒川を素直に尊敬していた。
人事部長から、「黒川がほとんど寝ずに部屋に籠って、会社の今後や自分の身の振り方について考えている」「やり直すためにあれこれ動いている」と、電話で聞かされた時には、100%信じることはできなかった。
だが、かつての同僚や風の噂で、黒川が変わり始めたということを耳にするようになった。
― もう一度、黒川さんのもとで働いてみよう。
秋帆は、そう決心したのだった。
◆
心を入れ替える、一からやり直す。
口で言うのは簡単だが、実行するのはそう簡単なことではない。黒川だっていい歳だ。これまでのやり方や価値観を変えるには、並大抵の努力ではできないだろう。
たまに苦しそうな表情を覗かせるが、変わろうと努力していることは伝わってくる。
秋帆自身も、実は苦しかった。一度上げてしまった生活水準を落とし、やりくりしながら生活するのはそれなりに大変だったのだ。
これまでが異常だったと言っても、身体からその毒気を抜くことは容易ではない。
「さて、と」
地道が一番の近道だ、という誰かの言葉を思い出しながら、会議の準備を始める。
― いつか、黒川さんの右腕になれるように頑張るんだ。その時には、相応の報酬をもらうんだから。
そんな目標を抱きながら、秋帆は新たなスタートを切ったのだった。
Fin.
▶前回:どこまでも追いかけてくる、狂気的な上司。逃げ場を失った女の、最後の賭け