可愛すぎる女芸人「おかもとまり」の今。離婚、精神病院入院を乗り越えて

 かつて広末涼子のものまねで人気となり、“可愛すぎる女芸人”と呼ばれた女性がいる。ものまね芸人として活動していたおかもとまりさん(30)だ。

 彼女は2018年、事務所を辞めてフリーランスに。結婚、出産、離婚などを経て、新しい人生を歩んでいる。今回は、そんなおかもとさんが芸人を辞めた真相、現在のセカンドキャリアに迫った。

◆16歳でアイドルデビュー「売れたら好きなことが出来るはず」

 テレビ番組『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系列)内のコーナー「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」にて、ものまね芸人としてブレイクを果たした彼女だが、もともとはアイドル番組のオーディションから出発したアイドルだった――。

 デビューは16歳。芸能界を目指したきっかけは、芸能プロダクション「タイタン」社長である太田光代さんに憧れたこと。

「中学生の時に太田光代さんの本を読んで、感銘を受けました。それで、“こんな人になりたいな!”と思って、芸能界を目指したんです」

 太田さんと言えば、モデルやタレントを経て、タイタンの経営のほか、さまざまな事業を手がけてきた。しかしながら、太田さんに憧れていたにもかかわらず、アイドルになるとは路線があまりに違う気もするが……。

「夢を叶えるためには、まずは名前を売らなければならない。どんな形であれ、売れたら、いつか好きなことが出来ると思ったんです」

◆広末涼子のものまねで人生が一変、“可愛すぎる女芸人”に

 こうして彼女は、将来“やりたいと思ったことを好きにやる”ため、まずはアイドルとしてキャリアをスタートさせた。だが、ここである壁にぶち当たる。

「他のアイドルの子たちが可愛すぎたんです。このままニコニコと笑っているだけのアイドルをやっていたら絶対に埋もれるから、他に何か特技や私にしか出来ないことを見つけなきゃって。バラエティ番組を見て、タレントさんの言いそうなことをまとめてフリップ芸をしてみたり……ありとあらゆることを試してみました」

 その結果、彼女のルーツとなる“ものまね”に出会ったという。

「18歳で太田プロに所属したんですが、1年たった頃に『細かすぎて伝わらないモノマネ選手権』に出演して、広末涼子さんのものまねを披露したんです。そしたら、反響がすごくて。放送の翌日には“可愛すぎる女芸人”というキャッチフレーズが生まれていて」

 大手週刊誌の撮り下ろしグラビアや写真集の発売など、トントン拍子に仕事が決まっていったのだ。

◆芸人を辞めた真相

 順風満帆に思えた芸能生活。だが、次第に“自分のやりたいこと”と“世間の自分に対するニーズ”のギャップに悩むようになったとおかもとさんは言う。

「映画の制作やメイク・コスメの仕事がやりたかったのですが、“おかもとまり=ものまね芸人”というイメージが大きくなりすぎて……。他のことが出来ないぐらいに増えすぎてしまったんです。

 お仕事がたくさんいただけるのは非常にありがたいことなのですが、この頃は、新ネタをつくったり、バラエティ番組でお話したりすることが苦しくなっていた。もちろん、芸人さんを尊敬していました。ですが、私としては芸人さんの仕事が、本来やりたいことのネックになっているんじゃないかと葛藤するようになったんです」

 事務所に所属していた当時から、コスメのプロデュースや写真展など個人でも仕事をしていた彼女。漠然と“30歳前には独立したい”と考えていたという。そして、結婚を機にフリーランスとなる。

「太田プロには、社長のおかげで今でも感謝しています。私の意志を尊重してくれて、本当に円満退社でした。でも、結婚後は本当にいろいろありました(笑)」

 結局、心労が重なり、2年で離婚に至ったというおかもとさん。今の明るい姿からは想像もつかないが、離婚当初は精神病院に入院していたという。

◆精神病院に入院して得た“気付き”

「離婚届を渡して、溜まっていたものが溢れ出て……。死にたくなってしまい、精神病院に入院していました。でも、その時の記憶って不思議とないんですよ」

 入院当初は「失望感でいっぱいだった」と当時を振り返り「何よりも子どもに会えないことがツラかった」と話す。一方、そんな3か月間に渡る入院生活が自分自身を強くしたという。

「死にたくなってしまった理由はいろいろありましたが、“死んだら何がツラかったのか気づいてくれるかな”ってことを期待して、それを求めすぎたからツラかったんだなって。入院中に毎日息子を想って、息子の絵を書いて、気がついたんです。“求める愛はしんどいけど、与える愛は幸せだな”って」

 おかもとさんは退院を目指しながら、自分の経験をもとに悩んでいる人を少しでも救いたいと、アニメの原作を考えたり、企画を練ったりしていたという。

「本当は精神病院に入院していたことも公表するか悩んでいました。正直、恥ずかしいとさえ思ってしまったこともあります。でも、隠していたらコンプレックスになっちゃうけど、死にたかった自分を発信したら、それが個性に変わるんじゃないかなって、前向きに考えたんです。恥ずかしくなくなれば、とても生きやすくなる」

◆「人生が早送りでした」

 おかもとさんは、目を細めながら「人生が早送りでした」と笑う。

「まだ30代前半なのに、我ながら本当に激動だったなって。でも、天が与えてくれた良い経験だと思っています。“生きること”と“与える愛の幸せ”を、自分の息子や血は繋がっていないけど長男、そして生きづらくなってしまっている人に伝えていきたいですね」

 現在、おかもとさんは起業家やクリエイターとして、映画や動画制作、講演会に登壇するなど、幅広く活動している。まさに、当初描いていた“やりたいと思ったことを好きにやる”という夢を叶えるべく、自分自身と向き合っている最中でもある。

◆「生きる」をテーマにした作品づくりの日々

 そして、クリエイターとしてつくる作品は全て「生きる」ことをテーマにしていると語る。

「優しかった親友を自殺で失った時、救えたんじゃないか? って。その後悔が大きいですね。『生きる道はひとつじゃない』って伝えられなかったことを今でも悔やんでいます。私の作品が『死にたい』と思っている人の少しでも救いになるように。生きやすくなる人をひとりでも多く増やしたい。そんな作品を残していきたいです」

 自身の壮絶な経験をもとに原案を描いたアニメ映画『ウシガエルは、もうカエル。』が12月1日よりYouTubeにて動画配信開始、本編が12月20日に公開される。脚本をNON STYLEの石田明さんが務め、中川翔子さんや斎藤工さんなどが出演するが、企画や営業までおかもとさんがこなす。

「今がいちばん忙しいけど、息子と過ごせているし、今がいちばん充実しています」

 かつて“可愛すぎる女芸人”と呼ばれた女性が、そう言って席を立つ。次の打ち合わせがあるのだとか。その目はキラキラと輝いていた。<取材・文/吉沢さりぃ、撮影/藤井厚年>

【吉沢さりぃ】

ライター兼底辺グラドルの二足のわらじ。近著に『最底辺グラドルの胸のうち』(イースト・プレス)がある。趣味は飲酒、箱根駅伝、少女漫画。Twitter:@sally_y0720

2020/12/1 8:50

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