港区の“朝活”に現れる30歳・美容外科医。美人で完璧な女の知られざる裏の顔

夏・第5夜「完璧な女」

フリーライターになって3年。30歳の夏、いくつかのメディアでコラムの連載を持てるようになった。

ライターというのは、仕事を選ばなければ意外に食べていくことはできる。でも読者アンケートやPV数で「人気」が可視化されてしまうので、強めのメンタルが求められる。

20代のときは、次につながるようにと仕事の依頼は決して断らなかったし、金銭的にゆとりもなかった。

ようやく経済的にも時間的にも余裕がもてるようになって、ほっと一息。

そんなタイミングで『朝活』と称して、人気インスタグラマーやフリーランスのクリエイターの集まりがあるよ、と仲良しの編集者が声をかけてくれたのだ。

感度の高い女の子に取材を兼ねて話ができるチャンス。何より楽しそうな会ならば、行くしかない。

初参加の日は、朝8時から六本木の気持ちのいいテラスに20代に見える7、8人の美女が集まっていた。

私はキラキラした雰囲気に多少気おくれしながらも輪の中に入れてもらい、おしゃべりをしていると、一人の超絶美女がやってきた。

ひと目でただ者じゃないことがわかる。ワークアウトの効果なのか施術なのか、とにかくスタイルの良さが目を引く。

彼女こそ、この界隈で有名な、西条絵理華だった。

西条絵理華の“華麗なる経歴”が明かされる。しかし、彼女の奇妙な行動が始まる…?

華麗なる絵理華さま

すでに皆と知り合いの様子の彼女は、美しい笑みを浮かべて挨拶をしながら、私のはす向かいに座った。

そして、こちらを見て礼儀正しく自己紹介をしてくれた。

「こんにちは。西条絵理華、美容外科医をしています。ライターの玲さんですよね。『怖い女』シリーズ読んでます」

「はじめまして、ライターの沖田玲と申します。連載読んでくださってるなんて嬉しい!今度女医さんを描きたいと思っていて、絵理華さんイメージにぴったりです。ぜひ、お話聞かせてください」

「私でよければ、いつでも言ってくださいね。いろいろな媒体に取材協力してるので、少しはお役に立てるかしら?」

私が名刺を渡すと、彼女は受け取ったあと「すみません、私は名刺を切らしてて」と言った。

この場に私を呼んでくれた編集者の友人が、教えてくれる。

絵理華は、本業はドクターだが、読者モデルもしていてファッション誌によく出ていること。そして、彼女も私たちと同じ30歳であることを。

「あ、そうだ。実は、私の兄も医師なんですよ。ここから近い大学病院の形成外科にいます」

東京の少し派手な世界では、人を二人ほど介せばだいたい繋がる。ちょっとした共通点を探すつもりで、私は兄の話を口にしたが、絵理華は、その話題には興味がなさそうだった。

「ごめんなさい、私、東ヨーロッパの医大を卒業した後、日本で国家試験を受けたから、こっちに医師の友人がほとんどいなくて。しかもフリーランスの医者は、人脈が広がらないんですよね」

語学が堪能であれば、そんなルートもあるのかと感心する。

彼女をよくみると、完璧にメイクをしているのに、爪だけはキレイに切りそろえられている。医師らしい清潔感と凛とした雰囲気は、とても好感がもてた。

「絵理華さん、同い年と思えないくらい肌もキレイ…!今度、本当に取材してもいいですか?美の秘訣とか、お仕事とプライベートの両立法とか話してくれたら説得力が違います」

私が前のめりに聞くと、彼女はにっこりと笑って、もちろん、とうなずいた。

その日から出入りするようになった『朝活』のメンバーは、いい子ばかりだった。

彼女たちのツテで、仕事につながりそうなお食事会やフリーランス仲間の会合があると、誘われるようになった。

絵理華は、そのすべてに顔を出していた。もっとも、彼女は多忙なので顔を出す程度だが。でも彼女が現れると、場が一気に華やぐから、どこでも歓待されていた。

彼女は「せっかく声をかけてくれたから」と言ってタクシーで駆けつけ、ときには美容サプリのサンプルなんかをみんなに配ってくれることもあった。

話術に長けた彼女は、すぐに話題の中心となるが、盛り上がったところで、次の仕事のために中座することが多い。

食事会の時だと、男性はあからさまにがっかりするので、私はいつもやきもきしていた。

ところが一人だけ、そのような態度はとらず、それどころか場の雰囲気がシラけないようにさりげなく気を使う男性がいた。

その人こそ、私がのちに恋に落ちることになる、斎藤陽太だった。

陽太が気になる玲。一方、絵理華の不可解な行動が波紋を呼ぶ…?

高い代償

陽太は32歳、大手メディアを辞めて独立し、WEBコンサルタントとして会社を経営している。

経歴から、もっとガツガツした人をイメージしていたが、彼の優しく穏やかな人柄には驚いた。

育ちの良さがにじみ出ている彼が“中等部から慶應”だと後から知り、納得がいった。

普段は、みんなにイジられて頭をかいているような彼が、仕事では目覚ましい成果を出していて、雑誌に「バズる企画の仕掛け人」として登場することもある。

それを可能にしているのは、面白いもの、いいものをつくりたいという笑顔の下に隠された情熱だった。

私はそんなギャップのある陽太に、次第に惹かれていった。

「玲ってさ、もしかして陽太のことが好きなの?」

新しい雑誌の企画会議を兼ねて、女子4人で集まって仕事の話をしていると、不意に編集者で友人の紗季が切り込んできた。

「え!?えー…あー、うん」

不意のことで嘘もつけなかったし、もうバレてるなら仕方ないと思い、私はうなずいた。

「意外。玲さんはフリーランスだから、陽太くんみたいなベンチャー経営者じゃなくて、安定してる超大手企業のエリートを選ぶと思ってた」

昼間からテラス席でシャンパンを飲み、ほんの少しだけ頬を上気させている絵理華が珍しく境界線を越えてくる。

「うん、私もそう思ってたんですけど…なんか気がついたら、好きになってました」

照れ隠しにコーヒーに口をつけると、絵理華は黙って首を30度くらい傾げて、じっと私を見た。

その時、店の通路を通った外国人男性が、イギリス人らしきアクセントの英語で、絵理華に「ハンドバッグのフタがあいてるよ、気をつけて」と声をかけた。

しかし絵理華は、なぜか不機嫌そうに冷たく鼻を鳴らして彼を見ると、無視して話を続けた。

「陽太くんて、今は仕事に集中したいから彼女いらない、って言ってたわよ。私たちもう30歳だし、結婚する気がない男性に費やしている時間は、ないと思うの。玲さんには、もっと合う人がいるわよ」

同い年の絵理華が、今日は年上のように思える。私はしょんぼりとピスタチオの殻をむいた。

その時、私のなけなしの女の勘が働いた。

― もしかして…絵理華さんも陽太が好き、とか…?

絵理華が医者でもなんでもなく、語っていた経歴、さらには名前も年齢も真っ赤な嘘だったというニュースは、港区界隈であっという間に広がった。

その話を聞いたとき、私は「冗談でしょ?」とつぶやいた。

「私が紹介したお堅い雑誌で、絵理華の真面目なインタビューが載ることになって。編集が、プロフィールを改めて提出してほしいっていったんだけど、具体的な院名や学校名、時期なんかがいつまでも来ないんだって。

不審に思って、前に絵理華から聞いた勤務しているはずのクリニックを調べたら…なんだったと思う?」

「え、まさか、そんな医者はいません、とか…?」

「そうなの!しかもね、編集が知り合い経由で東欧の医大っていうのも調査したら、そこにも痕跡がないらしくて」

私は混乱して、絵理華にまつわるさまざまなことを思い返してみる。

皆にプレゼントしていた美容サプリ。タクシーに乗ると、ここからすぐのマンションだからと広尾プラザ前で降りていたこと。

ハイブランドの服、色違いのバーキン。ひっきりなしにクリニックから入る患者さんに関する質問の電話……。

― 全てが嘘だった…?信じられない。

手が込みすぎている。

でも言われてみると、海外の医学部を卒業したはずなのに、簡単な英語さえ理解していないように見えた。

高価なワインをオーダーした会では、必ず途中で仕事の電話が入った。男の人たちだけじゃなくて、女子会でも、忙しい絵理華を思いやって、会計の頭数には入れなかった…。

そして同い年のはずなのに、いつも少しだけ感じていた違和感。なんだか、年上の人と話しているような感覚だった。

「それで、絵理華さんはどうしてるの…?」

私は、呆然としながら尋ねる。

「先週、編集から経歴に関する問い合わせのメールを送ってから、連絡が取れなくなったの。携帯ももちろん不通。住所もでたらめ。

編集の人も困ってるよ。美貌の医師としてけっこう企画に登場させちゃってたし…。彼女に関するWEBの記事は、削除されたよ。

2週間ほど前に、会ったのが最後。陽太も近所だから呼び出そうって絵理華が言うから、3人で飲んだの。そのとき、陽太がご実家からお見合いをせっつかれてるって話になって。

私が、陽太みたいな名家のご息子だと、結婚相手は素性がちゃんとしていないとねと言ったら、なぜか絵理華が急に暗い顔になって帰っちゃったんだよね」

― やっぱり絵理華は、陽太が好きだったんだ。

絵理華が消えたことで、ライバルが一人減った。めでたいことなのかもしれないが、私は、素直に喜べなかった。

経歴詐称とはいえ、これまでの人間関係をすべて捨てた“彼女の強い意志”を感じて、恐怖感がいつまでも消えなかった。

1年後。

私は陽太と順調にお付き合いしながら、仕事に邁進していた。

半年前、何も変わらない関係性に痺れを切らし、私から告白したら、意外にもOKの返事をもらったのだ。来月から大人気のWEB媒体で小説の連載が始まる予定で、仕事も絶好調だ。

その連載のネタ集めに、担当編集者が何人ものインフルエンサーや読者モデルを集めて取材させてくれる場を設けてくれた。

「玲ちゃん、今日、もう一人新しいライターさんも同席するの。すごい想像力っていうか、なりきり力っていうか…なんかもう巻き込む力がずば抜けていてね。

この前、新規ライターに応募してきたんだけど…これまで彼女の作品が世に出ていないのが不思議なくらい」

「遅くなりました。はじめまして、林理絵です」

背後から声をかけられる。

その声に聞き覚えがある気がして、振り返ったが、目の前にいたのは初めて見る女性だった。肌が冴え冴えと美しい。

「こんにちは、沖田玲さん。いつもあなたの小説、読んでます。…今後ともよろしくお願いいたします」

その声をどこで聞いたのかどうしても思い出せないまま、私は曖昧に微笑んだ。

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