『着飾る恋には理由があって』第2話&第3話、横浜流星演じる駿が気付かせる「価値」ある世界とは?

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横浜流星&川口春奈W主演の『着飾る恋には理由があって』が、毎週火曜日夜10時にTBSで放送されている。同じ屋根の下、“うちキュン”ラブストーリーとしてSNS上でも話題の本作。第2話では唐突なキスなど、注目シーンが目白押しだが、第3話で遠出した先でくるみに駿が気付かせる「価値」について解説していきたい。

■共同生活から遠出という展開

(C)TBS

キッチンカー・ボーイの駿(横浜流星)によって、“見られる”ことではなく、“見る”ことの主体性を知ったくるみ(川口春奈)は、これまでの忙しさから仕事でちょっとしたミスをする。それも自分の日常生活のすべてを捧げてきたSNSでの更新でだ。上司から休暇を取ることを勧められたくるみは、取り憑く島のないルームメイトのアーティスト羽瀬彩夏(中村アン)が入選した絵画の審査会に同行するため、ここは思い切って溜め込んでいた有休消化と気晴らしを兼ね山梨へ遠出をすることにする。

香子(夏川結衣)の愛車が2人乗りであったことから、駿の再従兄弟で心理カウンセラーの寺井陽人(丸山隆平)と彩夏が香子の車に、駿とくるみが駿のキッチンカーにそれぞれ乗り込んで出発する。共同生活の次は、旅しなかい。またとない展開である。ドラマは展開に展開を重ねる。第2話のラスト、彩夏が制作したアート作品で二人だけのお花見をし、酔った勢いで思わずキスをしてしまった駿とくるみは、お互いを意識し始めている。ひょんなことから同じ屋根の下、シェアハウスをすることになった彼らが今度は遠出をすることで密接な時間を共有する。そしてこの小旅行はくるみにとって日常生活を見つめ直すためのよいきっかけとなるのだ。

■芸術と広告、それぞれの世界での生き方

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桜のアート作品に心を動かされたくるみは、自分とは全く性格も生き方も異なる彩夏に興味を抱く。しかし芸術家肌の彩夏は、トレンドガールでどこかふわふわした感じのあるくるみをなかなか受けいれようとしない。それでもくるみは機会を狙っては彩夏とコミュニケートしようとする。ところが、せっかく有給を取っているにも関わらず、くるみなしで困り果てた後輩たちが彼女を頼って仕事の電話がひっきりなしにかかってくる始末。これではせっかくの休暇も休暇ではなくなってくる。駿はそんなくるみの様子を気にかける。ここでくるみは次第に自分の人生の空虚さに気付かされることになる。

くるみの日常を取り巻くSNSの環境では、確かに多くのフォロワーの注目を集め、トレンドガールとしての発信力と影響力を発揮している。世間ではそれをインフルエンサーと呼び、今の時代には受容がある。一方で、彩夏が日々自身の制作に命を注ぐアートの世界とではまるで違う。インフルエンサーが人気商売であり、広告的目的に根ざしているのに対して、アートの世界を生きる芸術家は、人気を得て商品(作品)を売ることが目的なのではなく、あくまでも自分が養ってきた、あるいは培ってきた観念をいかに情緒的に作品化するのかというところにかかっている。くるみと彩夏では生きている世界でのそのアウトプットの仕方が正反対なのだ。審査会で最優秀賞を逃し、落胆する彩夏に励ましの言葉をかけようとするくるみを彩夏が辛くはねのけるのも当然である。しかし駿ただ一人はその両方の世界を生きてきた人間であり、くるみにほのかな好意を寄せ始めた彼は、彼女のスマホを取り上げ電源をオフにして、外の世界から遮断させることで、ほんとうの世界での呼吸の仕方を教えようとする。

■駿がみる価値ある世界へ

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くるみを誘って連れてきた山奥の温泉で、駿がこんなことを呟く。「秘湯だから最高なのか、最高だから秘湯なのか。その答えは分からない」と。くるみはあまりこの言葉の意味を意識はしていないが、久しぶりの休暇で山奥の温泉に浸かる彼女の表情は俗世を離れて癒されている。これこそ駿がくるみに贈る悠久の時である。これまでくるみはインフルエンサーとして社会生活の中で絶えずを目的を求める「意味」の世界に生きてきた。彩夏が生きるアートの世界には意味はあってないようなものである。駿が言うのは、そんな意味のない、けれど価値ある世界での話である。一度は世間の期待を背負ってシェフをやっていた駿は、俗世で生きるために必要な処世術については痛感している。彼はそこから逃げた存在ではあるが、その代わり俗世では見つけられなかった大切な価値ある世界の存在に目を開いたのだ。

それは、日常の現実でも、ましてや夢の世界でもない。それでもどこに確かに存在することを駿は誰よりも知っている。駿は続けて、景色を見ろとくるみに促す。空と水と空気。外の世界でどんなことがあってもそれさえあればいいのだと。駿の言う通りではないだろうか。私たちはこの忙しない日常の中で常に何かを忘れて生きてしまっている。あるいは、その何かさえ忘れてただひた走っているだけなのかもしれない。そう言ってくるみのいる女風呂へまたも視線を送る駿を演じる横浜流星のその麗しい横顔が、私たちに「答え」ではないが、何か「価値」 あるものにそっと気付かせるように、くるみもまた目をつむり深呼吸する。ある意味、服はファッションだろうがオシャレだろうがなんだろうが、一般社会のモードに規定されたものでしかない。トレンドにがんじがらめになったくるみがこうして大自然の中で丸裸になって、生まれて初めてこの悠久の瞬間を身体全体で感じているのだ。さらにくるみの服が風に吹き飛ばされ、着替えた彼女の姿がトレンドとしてはダサいとされたとして、駿の言う「デジタル・デトックス」 された意味なき世界の住人となった清々しさがまた象徴的である。

このドラマを通じて思うのは、気分屋で仕事をしないでぷらぷらしているようにみえて実は人間の人生のほんとうに大切なものに誰よりも敏感でいる駿のそうした潔さだ。物の溢れたこの時代、服は2着しかないミニマリストとしての彼の生き方にも学ぶべきことは多い。おそらくこの魅力的なキャラクターにはまだまだ隠されたことがあるに違いない。そう思わせて仕方ない横浜の演技に今回は感服するばかりである。

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  • 6/19 18:00
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