「大豆田とわ子と三人の元夫」プロデューサーが伝えたかった“1人で生きていく”の意味とは?

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いよいよ15日に最終話を迎える注目作「大豆田とわ子と三人の元夫」(カンテレ・フジテレビ系)。本作は坂元裕二オリジナル脚本にプロデューサー・佐野亜裕美という「カルテット」コンビが再度タッグを組んでいることでも話題だ。

佐野亜裕美氏に本作でのこだわりや最終話の見どころ、ドラマ作りへの想いなどについて話を聞いた。

「観てもらう価値をちゃんと考えながら作っていきたい」



――SNSでの盛り上がりや色んな考察記事、深堀記事などの反響をどう受け止めていらっしゃいますか?

番組を愛してくださることはとてもありがたいことだと思っています。色々な考察記事も拝見していますが、そんな風に読み解くのかとこちら側が意図していないことももちろんあります。ただ、観ている人を無理やり誘導したくはない、あまり感情を規定したくないという思いがプロデューサーとしてはずっとあるので、その“余白”を大事にしてきたからなのかなと思います。観る人によって印象が違ったり響く部分が違ったりするのは、狙い通りという訳ではなく、自分がポリシーとしてやっていることがそういう結果を生んでいるんだなと思ってます。


――ここ数年、インターネットの普及によって作り手に“よりわかりやすいもの”や“より反応しやすいもの”が求められやすくなっているように思うんですが、どのようにお考えでしょうか?

テレビはどうしても“ながら見”が前提ということもあって、耳だけで聞いてもわかりやすいとか途中から観てもわかるというわかりやすさからは逃れられない宿命みたいなものがあると思っています。ただ一方で、集中して1時間番組を観てくださる視聴者の方もいるので、私は後者の集中して観てくださる方が楽しめるようなドラマにしたいなと思っています。それでも今回は、いろんな伏線を張ったり長い会話劇の中で読み解いていくようなことはあまりせず、1話完結型で観てもらえるようにしようと坂元さんとも話し合っていました。

わからないものが素敵なものだとも思わないし、わざとわかりにくくするというようなこともないですが、情報の密度というか“1時間の密度”みたいなものは個人的には意識しています。「1時間あっという間だったし、1時間濃かったなぁ~」と思ってもらえるように、1時間、人の時間を使って観てもらう価値をちゃんと考えながら作っていきたいと思っています。


――佐野さんは最近のドラマの特徴をどうお考えですか?

ドラマ評論家ではないので俯瞰して語れる立場ではないですが、深夜帯や配信ドラマも含めて連続ドラマってかなり数が増えていて選択肢が多い分、早々に“すごく求心力の強いもの”と“ダメの烙印を押されてしまったもの”の二極化が進んでいると思います。連続ドラマって最終話まで観てもらうからこその連続ドラマなので、そこはジレンマを感じます。

ただ、見逃し配信のプラットフォームが増えた分、リアルタイム視聴できなかった人にも観てもらえて、かつその指標が作品の評価の一助となるような空気感になってきているのは、作り手としてはありがたいなと思います。どうしてもリアルタイムの視聴率だけで判断されてきた過去に比べていろんな指標ができるようになるといろんなドラマがあって良いという自分のポリシーにも繋がってくるので。

海外ドラマも参考に「もっともっと自由で良いんだな」



――作品を制作する過程で、国外の作品を参考にされた部分はあるんでしょうか。

海外ドラマは大好きで、毎日1本は観てから寝るようにしているんですが、テンポ感や音楽は参考になりました。例えば、泣けるシーンに泣かせるような音楽をかけない、笑いのシーンにいかにも笑って下さいっていうような音楽をつけなかったり。例えば韓国ドラマってオリジナルサウンドトラックがあって毎回曲が違ったりするじゃないですか。それも良いなと思って。今回エンディングを変えたのには色んな経緯があるんですが、多少なりとも影響は受けていますね。もっともっと自由で良いんだな、決まりみたいなことをもっと破っていけば良いんだなと思わせてくれた気がします。

――その他にも、何か日本ドラマとの違いを感じられることはありますか?

海外ドラマは衣装についてもキャラクターの年収設定や生活水準を気にせず割と自由だなと思います。「梨泰院クラス」でも、パク・セロイはお金を全部店に費やして這い上がっていく話のはずなのに、ダウンだけで何着持ってるんだろう? と思ったり。「サイコだけど大丈夫」でもソ・イェジはいつも寝るときにメイクを落としていなくて大丈夫かな? って思ったりするんですが、そういう細かい設定やリアリティーよりもキャラクターとしていかに魅力的に見えるか、素敵に見えることの方が大事っていう精神が特に韓国ドラマには強く見られるなと思います。繋がりやリアリティーよりも“エンターテイメントとして素敵に見える”ってことの方が大事なんだなと思って勉強になっています。

印象的な食事シーン&話題のナレーション



――本作では、食事のシーンもとても印象的です。フードスタイリスト飯島奈美さんとはどのようにイメージのすり合わせをされているのでしょうか。

基本的には台本に詳細が書かれているので、そこから逆算してどんな形状の料理なのか話し合っています。おいしいご飯が並んでいるではなく、どんなご飯が並んでいるかイメージしやすいように坂元さんが書いて下さっています。奈美さんに対しては絶対的な信頼があるので、こちらから特に事細かに指定はしていないですし、奈美さんが台本をしっかり読んで下さり、とわ子像について考えて下さっています。第1話で脚本に “赤ワインを飲むとわ子”と書かれていて、演出陣がその後もずっと“赤ワインを飲む人”という設定で進めようとしてしまっていたのですが、奈美さんが「それは違いますよね。だんだん季節も変わるし、とわ子はキリっとした白ワインとかロゼが飲みたくなるときもあるだろうし」と提案して下さり、軌道修正して下さったこともあります。

――本作では、伊藤沙莉さんによるナレーションも話題になっていますが、オファーされた理由を教えていただけますでしょうか。

最初から坂元さんから「ナレーションを入れたい」という希望があって「ちびまる子ちゃん」のキートン山田さんのような“ツッコむ”ナレーションが良いというお話まで出ていました。ドラマのテイスト的に“女性の声が良いな”と話し合い、アニメ「映像研には手を出すな!」が坂元さんも私も好きで、浅草みどり役の伊藤沙莉さんの声がイメージしやすいですねとなり、彼女一択でした。

「1人じゃないと思えるドラマにしたい」



――本作は“1人で生きていく人を応援するようなドラマにしたい”という思いから作られたと伺いました。本作も終盤に差し掛かったところで佐野さんは“1人で生きていく”ということを改めてどのように捉えていらっしゃいますか?

“1人で生きていく”と聞くと、どうしても独身男性、独身女性など、戸籍上、家族構成など物理的に捉えられがちだと思うんですが、特定のステータスや婚姻関係をイメージしての“1人”という意味に限定した話ではないですね。

コロナ禍で家族がいても最期は誰とも会えず亡くなられたおじいさんの映像を観て、1人だけれども1人じゃないし、1人じゃなくても1人というような状況って誰しもに起こり得ることで誰でも最期は1人だし、人は1人で生きていて1人で死んでいくけれど、でも1人じゃないと思えるドラマにしたいと思っていました。1人で生きているようで、実は色んな繋がりの中で生きているということが伝わればと思っています。

――最終話の見どころを教えて下さい。

ドラマ放送初期の頃は「モテるとわ子が羨ましい」という感想の方が多かったんですが、今は「とわ子の4人目の夫になりたい」という声も聞かれるようになって良かったなぁと思っています。それくらい言語化できない魅力がある、ただただ魅力的、というのがとわ子だなと思います。松たか子さんが作って下さったとわ子の、とわ子なりの答えが見つかる回を見守っていただければ嬉しいです。

(佳香(かこ))

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  • 6/15 11:30
  • cinemacafe.net

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