結婚1年目で夫婦の危機。深夜0時、妻を裏切った男が向かった意外な場所とは
三枝マサル@人生の岐路
僕は、六本木にある自社ビルの屋上に立って東京を見下ろしていた。
『なぁマサル、あれほど言ったじゃねぇか。人のために生きろ、おごり高ぶるな、腰を低くしろ、感謝の気持ちを忘れるなってさ……』
後ろから、この世にいないはずの父の声が響く――。
僕の父は、社長だった。
社長といっても、地元の小さな会社だけれど、幼い僕にとっては憧れの存在で『お父さんみたいに社長になって億万長者になる』と、卒業文集に記した記憶がある。
しかしその後、父は人に騙されて多額の借金を負い、会社は倒産。その結果、父は家族を置いて帰らぬ人となった。
残された僕らは一気に貧しくなり、母はパートで学費を稼ぎ、女手一つで僕を育ててくれた。
父は、いつも笑顔でペコペコ頭を下げて、人のために生きていた。だから、こんなことになってしまったのだと思った。僕は父の生き様を反面教師として生きることを誓ったのだ。
『もう二度と貧乏にはなりたくない』
その一心で、ここまで駆け上がってきたけれど……。
突然、煌びやかな東京の景色が暗転し、闇深いブラックホールに吸い込まれていく――。
◆
明け方、僕は汗だくで、社長室のソファの上で目を覚ました。
今日は、僕のスキャンダルが掲載される週刊誌の発売日だ。僕は今、人生の岐路に立たされている。
遂に、マサルの不貞が日本中に公開される。彼に、一体どんな制裁が下るのか…!?
ソファから起き上がり、床に落ちていたスマホを手に取ると、着信やLINEの通知で画面がびっしり埋め尽くされていた。
SNSを開くと既に罵詈雑言が飛び交っており、#三枝マ猿 というハッシュタグが、ツイッターのトレンドになる始末。
『最低!おまえの会社のサービスは、二度と使わない!』
『責任とって代表から降りろ!猛省せよ!』
『女の敵!今世紀最大のクズ男!去勢すべき!』
『株主に土下座しろ!株価対策を足りない頭で考えろ!』
ネットニュースを開くと、僕の記事がトップに掲載されており、早朝にも関わらず数千件のコメントがついている。
― みんな暇人かよ。
テレビをつけると、どのチャンネルも僕のニュースを扱っていた。神妙な面持ちをしたアナウンサーが、世論を煽る。
― こいつも、裏で新人アナウンサーに手ぇ出してたのになぁ…。
続いて30代の女性タレントが、真っ赤な顔をして僕を批判する。
― この女も、俺の知り合いの既婚経営者とデキてるくせによく言うよ…。
僕は全てが可笑しくなり、目の前で繰り広げられる茶番劇を鼻で笑い、テレビの電源を切った。
この時の僕はまだ、メディアに流れる自分のスキャンダルを、どこか他人事のように冷めた目で見つめていた。
◆
週刊誌の発売日から1週間が経っても、ほとぼりが冷めることはなかった。
それどころか今日、新たに投下された”あるニュース”によって、日本中に激震が走った。
久しぶりにスーツを着た僕は、数百人もの人々の前に立ち、冷たい視線を向けられている。
会見の様子は、全キー局とYouTubeで生中継される予定だ。
深々とお辞儀をすると、フラッシュの強烈な光と、カメラのシャッター音が、鋭い矢の如く突き刺さった。
「株式会社クレーシャ、代表取締役、いえ、“前”代表取締役となりました三枝マサルです。本日は急な発表にも関わらず、お集まりいただき誠にありがとうございます。
まずは、連日報道されております件について、ご迷惑をおかけした全ての方々に、この場を借りて謝罪したいと思います。大変…、申し訳ありませんでした……」
その瞬間、僕は針を飲むような呵責の念に襲われ、頭を下げたまま暫く顔を上げることができなかった。
「本日、適時開示された通り、クレーシャはTOBに賛同し、ゴータマシッダールタ株式会社と資本業務提携を締結しました。
そして、私、三枝マサルは…、代表取締役及び取締役から辞任させていただく運びとなりました」
その事実を自分の口で言い切ったとき、どうしようもない寂寥(せきりょう)が広がり、僕は全てを失ったのだということを全身で実感するに至った。
僕に残るのは、金だけ、紙切れだけだ。それは僕にとってもう、何の価値もない。
闇深き三枝マサルが、まさか…?
学生時代に起業し、そこから15年間、無我夢中で走り続けてきた。
大金が欲しい、上質な暮らしがしたい、極上の女が欲しい、愛されたい、賞賛されたい、認められたい、人に勝ちたい、一番になりたい、幸せになりたい……。
“世のため人のため”なんていう大層な志などなく、己に湧き上がる強烈な欲望から全ては始まった。
欲望に忠実に生きる僕は、破天荒な風雲児として世間から持てはやされた。
しかし、光が多くなれば、必然的に影も強くなる。
どんなに社会的に成功しようと、いくら金を稼ごうと、なぜか心は満たされず、幸せなど微塵も感じなかった。
常にフラストレーションを抱え、それを解消するために、あらゆる欲望に立ち向かう日々を繰り返す。
朝から晩まで死ぬ気で働き、金を稼ぎ、美食に溺れ、酒を浴び、女をはべらせ、欲しいものはなんだって手に入れてきた。
だが、欲望を満たそうとすればするほど、自分の奥底で渦巻く得体の知れないドス黒いものが、どんどん自分を侵食していくのだ。
挙げ句の果てには、株式を担保にして複数の銀行から多額の借り入れを行い、億単位の消費を繰り返すようになっていった。
そんなとき、ゴータマシッダールタ株式会社からTOB(株式公開買付)を持ちかけられ、僕は水面下で話を進めていた。
顧問弁護士の笹本に背中を押されようと、社長の座をおりるつもりは毛頭なかったが、スキャンダルを機に自ら辞任を申し出た。
今まで僕は、手に入れた全てのモノを消費してきた。モノだけじゃない、大切な会社や、リカやマミなど生身の人間すら消費しようとした。
全てを手に入れてわかったことは、どんなに欲しいものを手に入れても、決して満足することはないということ。
物質的な幸せは手に入れた瞬間になくなるし、消費し続ける人生は、心は永遠に満たされない。それどころか、破滅に至ることになる。
自分の家族も幸せにできないやつが、ステークホルダーを幸せにできるわけがない。そんな人間が、会社のトップに立つべきではない。
「僕は…、今までずっと、自分中心に生きてきました。自分のやりたいことをやっていたら、みんなが付いてきてくれて、気づけば社長になっていた。本当に恵まれていました。周りのおかげでここまで上り詰めることができたのに、自分の力だとおごり高ぶっていたんです。
僕は煩悩の塊のような男です。そんな僕からこの会社は生まれました。でも、会社は僕自身とは比べ物にならないほど立派に成長していき、社会に与えるインパクトも大きくなった。
大切な会社と社員を守り、今以上に成長させるためには、僕が代表から退くことが一番だと思ったのです。
僕も、会社も、今が変わるタイミングだと。僕は、“代表取締役”という肩書きを捨て、一からやっていくべきだと。
今までのようなトップダウンの経営者ではなく、裏方に回ってサポートをしたい。
今、僕の胸には、世のため人のために生きたいという強い思いが湧き上がっています。僕は、十分自分のために生きました。これからの人生は、私利私欲を捨て、人生をかけて、僕のすべてを社会に還元していきたいと思っています」
窮地に追い込まれた僕の中に、“人のために生きたい”という純粋な気持ちが、生まれて初めて芽生えたのだった。
◆
この怒涛のような1週間、僕は会社に篭り続け、一度も自宅に帰っていない。
リカとは会っていないし、連絡すら取っていなかった。
しかし、会見を終えた僕の足は、自然と自宅へと向かっていた。
僕はドアに手をかけたまま、しばし立ち止まった。
ドアを開ければ、リカの罵倒が飛んでくるのだろうか。はたまた、自宅がもぬけの殻になっている可能性もある。
妻と娘が寝ていることを願って、重厚なドアを静かにゆっくりと開けた。
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最終回:ドアを開けると予想だにしない光景が…。マテリアル夫婦の行方はどうなるのか…!?