職も彼氏もなくした35歳女は、ポストの中に入っていた“あるモノ”に絶望し…

東京で暮らしていれば、受けられる恩恵はたくさんある。

流行りのレストランに、話題のエステ。雑誌に載っている可愛い靴やバッグだって、すぐ手に入る。

― 東京こそ、私の生きる場所。これからもずっと。

そう思っていたアラサー女は、突然やってきた“転落人生”で、東京を離れることになり…。

「もう東京じゃ、がんばれない…」

“東京至上主義”とまではいかないけれど、それに近い考えを持つ私の口から、驚くような言葉がついて出た。

そのまま自宅のダイニングテーブルに突っ伏し、さめざめと泣きながら頭を抱える。

何ヶ月も前から、ほとんど白紙に近いスケジュール帳。そこには片手で数えられるだけの仕事の予定と、5年付き合った彼と最後に会うための予定が書き込まれている。

「千佳は、フリーランスに向いてなかったんだと思う。ここ最近いつもイライラしてるし、俺の意見は聞かないし。さすがにもう付き合いきれない、ごめん」

そんな言葉で彼氏に振られ、身も心もボロボロになった。

ただ少し前から、会うたびに喧嘩を繰り返していたから「別れるかも…」と予感はしていたのだ。

それでも35歳という年齢と、彼と付き合ってきた年月の長さを考えると、なんとかうまくヨリを戻せないかと、したたかな考えが頭をよぎる。

…きっと、もうやり直すことなんてできないんだろうけれど。

そんな状況に追い打ちをかけるかのように、ある1通の封書が私のもとに送られてきたのだ。

どん底の千佳のもとに、送られてきたモノとは…?

ポストに入っていたのは、1通の賃貸借契約更新通知だった。

情けないけれど、この更新料を払ったら蓄えておいた貯金が底をつく。

― これって、東京から出ていけってこと?

大学に進学するのと同時に東京で暮らし始めて、17年。

これから先もずっと東京で生きていくつもりだったし、これまでの楽しかった生活は当たり前に続いていくと思っていた。

それなのに仕事も彼氏も、住む家もないだなんて。これからどうしたらいいのだろう。

「ファッションが大好きで、ファッション誌の仕事がしたいんです!」

昔からの夢が叶い、念願の大手出版社への就職が決まったのは22歳の頃。そして就職してからは、昼夜を問わずとにかく働いた。

その甲斐あってか、入社から7年が経つ頃には、人気ファッション誌でかなりのページ数を任されるようになったのだ。

それくらいの頃から、ほとんど無自覚で“私は東京で成功した側の人間”と、思いこんでいたんだと思う。

「いいなあ、千佳の仕事は。華やかだし流行の最先端だし!私たちとは見てる世界が違うって感じ」

「大変なことも多いんだよ?いつも寝不足だしね」

「そんなこと言って、肌も髪もツヤツヤだし、その服も先月号に載ってたやつじゃない?」

そんなふうに、自然と友人たちから羨ましがられることも増えていった。

そうして長年住んでいた江東区にある1Kのマンションから、恵比寿駅近くの2DKの部屋へと引っ越したのもこの頃。

休みの日は近所のカフェで本を読みながらゆっくり過ごす、という理想の生活も手に入れた。

― これで彼氏ができたら、もう言うことナシだなあ。

なんて思っていたらすぐに素敵な出会いがあったものだから、自分の引きの強さが少し怖くなったくらいだ。

その彼は、広告代理店に勤める営業マン。ある化粧品会社とのタイアップ企画が持ち上がったときに、打ち合わせの席で出会った。

最初は3歳年下の彼のことなんて、完全に恋愛対象外。それでも企画が無事ゴールを迎えたあたりから、積極的に食事へ誘われるようになった。

二人きりで飲みに行くようになると、人懐っこいところが可愛く思えた。それに仕事の相談をすれば的確なアドバイスをくれる彼に、どんどん惹かれていったのだ。

「ねえ。実は私、会社を辞めようと思ってるんだ。すぐにってわけじゃないんだけど」

「転職ってこと?どんな仕事したいの?」

「今後は、フリーランスのライターになりたいんだよね」

いつかはフリーで働きたい。でも自分には夢のような話だと思っていた。だけど、ここ数年でだいぶ実力はついてきたと思う。

それに、いつしか“大島千佳としての記事”を書きたい気持ちが、抑えきれなくなっていたのだ。

「そっか。俺は応援するし、いつでも相談に乗るよ。あ、フリーランスで働くなら、まずは生活費の半年分以上を貯金しておいたほうが安心らしいよ。あとは保険もね」

そんな彼の応援もあって、付き合い始めてすぐ、独立に向けた準備を始めた。そこから2年後には会社を辞め、フリーランスライターとしてのスタートを切ったのだ。

彼との付き合いも順調だし、今が人生のピークかもしれない。そう思うくらい、すべてにおいて充実していた。

…はずだったのに。

フリーランスデビューした千佳を待ち受けていた、ある悲劇とは?

フリーランスになるとすぐに、これまで付き合いがあった出版社や編集者仲間からの依頼で、半年先まで休みが取れないほどスケジュールが埋まった。

嬉しい悲鳴とはこのことだ。

「千佳、すごいじゃん!こんなにたくさん仕事が取れるなんて、今までがんばってきた証だね」

「今まではファッションについて書くのがメインだったけど、最近はいろんなジャンルの仕事がまわってきてるの。せっかく自分の言葉で書きたいことを綴れるようになったんだし、妥協しないでがんばるわ」

…ところがしばらくすると、この気合が激しく空回りし始めたのだ。

「大島さん、ちょっとここ直してもらえないかな?」

「どうしてですか?ここを直したら、いちばん伝えたい部分が濁されてしまうと思います」

「うーん、そうなんだけどね。もう少し柔らかい表現にしてもらいたいんだよね」

「いや、それはできないです」

自分の名前で記事が出る以上、1ミリたりとも妥協したくない。

それにこれまでの実績から、原稿料もフリーランス1年目にしては高額に設定していた。それでも仕事は舞い込んできたのだ。

― 私が書く原稿なんだから、これくらい当たり前でしょう?

自分の実力を過信し、クライアントに威圧的な態度を取るようになるまで、そう時間はかからなかった。

業界内は、思っている以上に噂が広まるのが早い。

「大島さんてさ、いい仕事してくれるんだけど融通が利かないし、頑固なんだよね」

「あぁ…。私もこのあいだ仕事をお願いしたんですけど、ちょっとやりにくかったですね。原稿料高いし」

そんな陰口を叩かれていることを、ある出版社の化粧室で耳にしてしまったときは、目の前が真っ暗になったような気がした。

そうして案の定、フリーランス2年目になると仕事が大幅に減ったのだ。

依頼数は前年の半分以下。それが2年目の実績で、3年目はゼロ。自ら営業するものの、もらえる仕事は単発ものばかり。

いよいよ貯金を切り崩して生活するようになると、この先やっていけるのかと落ち込んだり、思い描いていたフリーランスの世界との違いにイライラしたりするようになった。

そしていつからか、彼のアドバイスも素直に受け入れることができなくなっていたのだ。

「もう、この担当者全然わかってないよ!こっちがこんなに譲ってるのに、まだ条件出してくるってどういうこと?」

「…今回くらいは折れてみたら?せっかく長期的な仕事なんだし」

「絶対に折れない!今折れたら自分の価値が下がる!」

「価値って…。なんか最近、千佳変わったね」

こうしてついには彼氏にも愛想をつかされ、別れ話を切り出されたのだった。

― なんなの、みんな。私から離れていって。

仕事や人だけじゃない。マンションの更新料が支払えず、結局部屋を引き払わなくてはならなくなった。…みんなで寄ってたかって、私のことを東京から追い出そうとしているみたいだ。

人生の半分以上、住み続けてきた東京。

仕事で走り回った撮影現場や、イベント会場。彼と行ったレストランに、一人で過ごしたお気に入りのカフェ。

西日が差し込む仕事部屋は、大好きなブランドのインテリアで統一した特別な空間で、どこもかしこも未練しかない。

それから、1ヶ月後。

私は高校を卒業するまで暮らしていた、千葉県南房総市に向かっていた。

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すべてを失った千佳は、ますます自分の殻に閉じこもっていき…。

2021/6/9 5:04

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