【名作映画の舞台裏】『黒水仙』(1947)

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映画史に燦然と輝く名作映画の制作秘話やトリビアをご紹介する【名作映画の舞台裏】。今回はアカデミー賞2部門に輝いたイギリス映画の傑作『黒水仙』です。

その実験的かつ幻想的で斬新な映像美によって、デヴィッド・リーンと並んでイギリス映画を代表する巨匠と謳われたマイケル・パウエルとエメリック・プレスバーガーのコンビ。『潜水艦撃沈す』(’41)や『赤い靴』(’48)、『ホフマン物語』(’50)など代表作は枚挙に暇ありませんが、その中でもベストワンを選ぶとすれば、恐らく『赤い靴』かこの『黒水仙』のどちらかとなるでしょう。

インドのヒマラヤ奥地を舞台に、標高数百メートルはあろうかという崖の上にそびえ立つ女子修道院へ赴任した5人のシスターたちの物語。未開の現地人に西欧の進んだ教育を与え、野蛮な邪教を信仰する彼らにキリスト教を広めることを任務とする彼女たちでしたが、しかしもともとは王侯貴族のハーレムだったという修道院を包み込む官能的な雰囲気が彼女たちを戸惑わせ、さらにこの世の楽園とも呼ぶべき美しい大自然や豊かな伝統文化、自由奔放な人々の暮らしに日々触れることで、質実剛健と禁欲を信条とするシスターたちの信仰心が大きく揺らいでいきます。そのテーマゆえアメリカ公開時はカトリック系倫理団体からの強い反発を受けたという本作ですが、テクニカラーの威力を存分に発揮した圧倒的な映像美が観客の目を釘付けにし、第20回アカデミー賞ではカラー撮影賞(ジャック・カーディフ)とカラー美術賞(アルフレッド・ユング)を獲得しています。

<実はセット撮影だった映像美はディズニー・アニメからの影響>

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本作で最も驚くべきは、インドのヒマラヤを舞台にしたシーンの大部分がロンドン郊外のパインウッド・スタジオで撮影されていること。もともとパウエル=プレスバーガーの監督作はロケ撮影を主体としていたため、スタッフも当然ながらインドで撮影するものと思っていましたが、最初の製作会議で「インドへは行かない」と告げられてみんなビックリしたそうです。なぜあえてロケではなくスタジオ撮影を選んだのかというと、監督コンビの思い描いたカラー配色を細部まで忠実に再現するため。自然の色彩はコントロールできませんが、スタジオに作り上げた色彩ならば自由に調整することができますからね。

修道院の外観はパインウッド・スタジオの屋外に建てられたセットおよびミニチュア。周辺を取り囲む雄大なヒマラヤの自然はマットペイントで描かれ、遠近法を応用したアナログな合成技術で処理されています。つまりガラス版に描かれた背景画をカメラのレンズ(当時のテクニカラー用カメラは超巨大でした)に装着し、なにも描かれていない透明部分に実写セットがぴったりとハマるよう撮影しているわけです。W・パーシー・デイの担当したマットペイントが写真のように精巧なこともあり、パッと見ただけでは絵画との合成であることに気付きません。アルフレッド・ユングのデザインした修道院のセットも、インドの悠久の歴史を細部まで刻み込んだような「本物感」があり、とてもスタジオに作られたセットだとは思えないような仕上がりです。

このリアルな「本物感」は撮影監督ジャック・カーディフの卓越したカメラワークのおかげとも言えるでしょう。レンブラントやゴッホの絵画を参考にしたというカーディフは、光の陰影と被写体の角度を巧みに計算することでセットっぽさを覆い隠し、現実と非現実の狭間に存在する独特の幻想的リアリズムを生み出しています。その真骨頂とも言えるのが、まるでディズニー・アニメの『白雪姫』(’37)や『ファンタジア』(’40)の世界を具現化したような終盤のダーク・ファンタジー的な夜間シーン。パウエル=プレスバーガーのコンビはディズニー・アニメに多大な影響を受けたとされていますが、本作などはその好例と言えるかもしれません。

<映画の鍵となる2大女優デボラ・カーとキャスリーン・バイロン>

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女子修道院の規律を厳格に守ろうとして失敗してしまう若き修道院長シスター・クローダーを演じるのは、当時トップ・スターへの階段を上り始めていた大女優デボラ・カー。もともとパウエル=プレスバーガーの監督作『Contraband』(‘40・日本未公開)でデビューし、彼らの『老兵は死なず』(’43)で脚光を浴びたデボラは、言うなれば監督コンビの秘蔵っ子と呼ぶべき逸材でしたが、ハリウッド映画界からも声がかかる売れっ子となってしまったため、パウエル=プレスバーガーの前作『天国への階段』(’46)では彼女を確保することができず、仕方なしにアメリカ女優キム・ハンターをキャスティングすることに。そのため、本作では当時既にアメリカのMGMと専属契約を結んでいたデボラのスケジュールを押さえることが最優先だったそうです。

一方、そんな修道院長クローダーに反発して精神的に追いつめられ、地元に住む粗野な英国人男性ディーンへの横恋慕と色欲に狂っていくシスター・ルースを演じるキャスリーン・バイロンの怪演も圧巻。高潔で誇り高いシスター・クローダーとドス黒い情念に突き動かされたシスター・ルースの対決は本作のハイライトと言えるでしょう。もともとパウエル=プレスバーガーのプロデュースした『The Silver Fleet』(‘43・日本未公開)で本格デビューしたキャスリーンは、その後アメリカ人男性と結婚してニューヨークへ。ブロードウェイの舞台に挑戦するも成功せず、たまたま『天国への階段』への出演をキム・ハンターにオファーするためニューヨークを訪れたパウエル監督に「イギリスへ戻りたい」と相談し、同作の天使役で映画復帰したという経緯がありました。キャスリーンによるとパウエル監督は「出会った女性に次々と恋してしまう思春期の少年みたいな男性」だったそうで、彼女自身もパウエル監督と一時期は恋愛関係にあったそうです。

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そんなパウエル監督から「これ以上の役はないだろう」とシスター・ルース役をオファーされたキャスリーンですが、撮影現場では監督と揉めることも少なくなかったのだとか。明確なビジョンを持っているパウエル監督は、俳優の演技に対しても細かく注文を付けるタイプの演出家でしたが、キャスリーンは自分なりに考えたシスター・ルース像を押し通そうとしたようです。そのひとつが、修道院を離れる決意をして私服のドレスに着替え、真っ赤な口紅を差したシスター・ルースが、勝手に相思相愛の仲だと思い込んでいる英国人男性ディーンの家へ乗り込んでいくシーン。彼女は面と向かって愛の告白をしようとするわけですが、しかし家の中には誰もいません。ここでパウエル監督は、落胆したシスター・ルースが怒りに任せて家の中のものを床に叩きつけて壊す…というリアクションを考えていたそうなのですが、しかし演じるキャスリーンは「そんなのあり得ない」と拒否。なぜなら、お互いに愛し合っている(と思い込んでいる)男性の部屋を荒らすという行為は、彼女の心理状態を考えると理に適っていないから。激しい口論が繰り広げられたそうですが、しかし頑として持論を譲らないキャスリーンにパウエル監督は根負けしてサジを投げ、「彼女の言う通りにしてやってくれ」と撮影をジャック・カーディフに丸投げしたのだとか(笑)。しかし、実際に仕上がった映像を見た彼は、渋々ながらもキャスリーンが正しかったことを認めたそうです。

パウエル監督のお気に入りの役者だったのが、インド人の老将軍役を演じている名脇役エスモンド・ナイト。私生活でも2人は大親友だったのだそうです。実は彼、第二次世界大戦に海兵隊員として従軍し、その際に負傷したせいで視力がほとんど失われていた。怪我の治療のため入院していた彼のもとに、ある日パウエル監督から電話がかかってきたそうで、「実は戦争で目が見えなくなってしまったんだ」とエスモンドが打ち明けたところ、「気にするな。退院したら出てもらいたい映画があるからさ」と励まされたのだとか。その映画がこの『黒水仙』だったというわけです。

ちなみに、シスターが化粧しているのはおかしいという理由で女優陣はスッピンで撮影に臨んだものの、テクニカラーで撮影すると女性たちの頬や唇が実際よりも赤く見えてしまうという予想外の問題が発生。そこで、スッピンに見えるようなナチュラルメイクを工夫せねばならなかったのだそうです。

参考資料:エッセイ『Black Narcissus: Viewing Notes』/ドキュメンタリー『Painting with Light』/ドキュメンタリー『A Profile of Black Narcissus』

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  • 5/25 10:00
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