アトランタ五輪で大健闘! 元バスケ女子日本代表・原田裕花「小さいチームでも“世界で戦える”」

※写真はイメージです

荒川静香と高橋尚子がパーソナリティを務め、東京海上日動がお送りするTOKYO FMの番組「MY OLYMPIC」。かつての名選手から将来有望なオリンピック代表選手のタマゴまで、さまざまなアスリートの輝きをお届けしています。4月19日(月)~23日(金)、26日(月)~30日(金)の放送では、元バスケットボール女子日本代表の原田裕花(はらだ・ゆか)さんが登場。本記事では、4月23日(金)、26日(月)~30日(金)でのトーク内容を紹介します。

バスケットボール女子の日本代表として1996年アトランタオリンピックに出場した原田さん。小学生の頃にバスケットボール(以下、バスケ)を始め、学校で部活動をしていた当時、日本の女子バスケは、1976年モントリオールオリンピックに出場して以降、オリンピックへの出場はすっかり遠ざかっていました。

「(競技の)目標として“オリンピック出場”が挙がることはまずなかった。なので、当時の目標は“目の前のこと”。実業団に入り、そのチームでスタメンに選ばれたい。日本代表に選ばれたい、という感じでした」と振り返ります。

そんな原田さんがオリンピック出場を目指すきっかけとなったのは、1994年。当時の日本代表のレベルは“アジアでどう勝つか”という状態だったそうですが、「アトランタオリンピックの2年くらい前、当時世界2位だった中国に勝てたり、日本がアジアで2位になれたり、徐々にレベルが上がっていく手応えを感じて、世界にチャレンジしていけるようになった」。さらに、1996年アトランタオリンピックでのアジア枠が1つ増えて3枠となったことも追い風となり、オリンピックを意識するようになっていったそう。

しかし、オリンピック出場までの道のりは平坦ではなく、“オリンピックを目指して頑張ろう!”という矢先、原田さんは膝の靭帯を損傷してしまいます。そのケガの影響で、1996年アトランタオリンピックの予選に出場すらできず、落ち込む日々のなか、「チームメイトが寄せ書きをくれて、いろいろな方からの励ましもあり、自分のなかで“オリンピックに行くために、今こうして頑張っているんだ”と言い聞かせて、“諦めないで、もう1度頑張ろう!”と気持ちを奮い立たせていました」と回顧。

ケガをする前はキャプテンとしてチームを牽引していたものの、靭帯損傷でプレーができない試練に直面し、「(小学生のときに)“楽しい!”という思いで始めたバスケが、“楽しい!”とは思えない状況だった」と言います。

しかし、このケガをしたことで「バスケで悩めることって“本当に幸せなことなんだな”と思えるようになって。いろいろなことをあらためて感じることができたので、(ケガも完治して)オリンピックのコートに立てたときにはバスケを純粋に楽しめた」と心境の変化を語ります。

そして、20年ぶりのオリンピック出場となったアトランタオリンピックでは、出場国のなかで平均身長が一番低かったものの、7位入賞と大健闘。「小さいチームでも“世界で戦える”ということが証明できたと思っている」と胸をはります。

また、オリンピック出場を機に「“世界で戦える”ということを知ってもらえたことで、帰国後に出会った子どもたちに夢を聞いたら『バスケでオリンピックに行きたい!』という言葉が出てくるようになったり、選手自身も世界やオリンピックを身近に感じて“自分たちにもできるんだ!”と思うようになったり、目標設定が1段階ステップアップしたと感じましたね」と話していました。

次回5月11日(火)の放送をradikoタイムフリーでチェック!

<番組概要>

番組名:MY OLYMPIC

放送エリア:TOKYO FMをはじめとする、JFN全国38局ネット

放送日時:TOKYO FMは毎週月~金曜6:55~7:00(JFN各局の放送時間は番組Webサイトでご確認ください)

パーソナリティ:荒川静香、高橋尚子

番組Webサイト:https://www.jfn.co.jp/myolympic/

2021/5/10 19:30

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