「好きでもない男の家に転がり込んでるの」28歳女の告白に、後輩男子の反応は
PR会社で多忙を極める28歳の綿谷あんな。掃除ができず、散らかった部屋に帰りたくないので、求愛してくるいろんな男のもとを毎晩泊まり歩く。
母親の“呪い”に、乱れた生活。そして歪んだ自尊心…。
これは、そんな女が立ち直っていくストーリーだ。
◆これまでのあらすじ
少しずつ惹かれはじめている後輩男子・浅霧祥吾に料理を教えてもらうことになったあんな。「姉に似ているからほっとけないだけ」と宣言されていたのに、突然「可愛い」と言われ…。
▶前回:“野菜の洗い方が分からない”28歳女に、後輩男子がかけた衝撃の言葉とは
…気まずい。
あんなは箸を握ったまま、沈黙のなか身じろいだ。男の家に上がってこんな窮屈な思いをするのは、生まれて初めてだった。
祥吾はあんながこの部屋に来てすぐ「姉と同い年だし似ているから」と、“異性として見ていない宣言”をした。それなのに。
「綿谷さん、可愛いですね」
そんな祥吾の言葉を思い返して、顔が熱くなる。一体どういう意図で言ったのだろう?確認したいが、プライドが邪魔をして聞き返せない。
彼の顔から考えを推測しようにも、分厚い黒縁眼鏡のせいでその表情は読み取りづらい。この私が、こんな垢抜けない後輩男子に心を乱されるなんて。
「そういえばずっと気になってたんですけど」
ひとりぐるぐると思考を巡らせていたとき、祥吾の声が不意に割って入った。
「人生で一度も自炊したことなかった綿谷さんが、急に料理を教えてほしいってどうしたんですか?」
「そ、それは…」
「電話してきたとき、何か落ち込んでる感じだったし」
鋭い。最近気づいたが、彼は人のことをよく見ている。あんなの中で、祥吾の記憶は新入社員研修のときのボーっとしていた姿で止まっていた。
だが、あれから2年。生まれ持った洞察力に加え、人事部で鍛えられて努力してきたのだろう。
そして彼には、悩みを打ち明けたくなる雰囲気があった。
「私、なんていうか…。誰かに認められたい、っていう気持ちになったら、好きでもない男の人のところに行っちゃうんだよね」
ついに自分の行為を告白したあんなに、祥吾は…
あんなは重い口を開き、ぽつぽつと語り始めた。
「私のことをちやほやしてくれる男の人が、知り合いに何人かいるんだけど。散らかった部屋に帰りたくないときと、心に隙間ができたとき…。彼らに連絡をとって『あんなが大好き』って言ってもらうと安心するの」
改めて説明してみると自分が情けなくて、声がどんどん小さくなっていく。
「今日も、母と会っていたんだけど…。私と母との関係は良くなくて。なんだか私の存在がないもの、みたいに感じちゃって」
被害妄想かもしれないんだけど、と付け加え、思わずため息が漏れた。
「…また適当な人のところに行って、心地いい言葉をかけてもらおうとした。せっかく浅霧くんに手伝ってもらって部屋が綺麗になったのに」
そこまで一気に話し、口をつぐむ。恐る恐る祥吾の反応を窺うと、やはりその表情はいつも通り、微動だにしていなかった。
祥吾が引いているのか、何かを考えているのか、そもそも無関心なのか。全く分からない。
「…そういうことしていて、綿谷さんが楽しいなら別にそのままでいいと思うんですけど」
腕組みをしていた祥吾は、おもむろに口を開いた。
「楽しくないならやめたほうがいいんじゃないですかね。なんか不健康だし」
それだけ言って立ち上がると、あんなに目もくれずキッチンへ姿を消した。
「…やっぱり引かれちゃうよね」
あんなは小さくつぶやき、苦笑いする。祥吾なら受け止めてくれるのでは…。どこかでそんな期待を抱いてしまっていたのだ。涙がこみ上げそうになり、唇を噛んだとき。
「自分のメンタルは自分でコントロールできるようになったほうが、毎日楽だしハッピーですよ」
目の前に、白ワインの注がれたグラスが差し出された。
「え…」
「自分の居心地がいいように部屋を整えて、好きなおつまみ作って、酒飲みながら家で映画見てたら、心も体も健康になって寂しい気持ちもなくなりますよ」
言いながら、祥吾はこつんとグラスを軽く当てた。
「今日は飲みながら、僕のおすすめの映画の話でもしましょう」
「…映画、好きなの?」
駆け巡ったいろんな思いと裏腹に、あんなの口をついて出たのはそんな質問だった。祥吾との会話は、いつも斜め上をいく。
「好きですよ。学生のときは映画サークルでした」
へえー…、と想像する。彼は一体、どんな学生だったのだろう?無口そうに見えて、話すと人間味が深くて面白くて、きっと人気者だっただろうな。
「浅霧くんって、大学どこだったっけ?」
「明治です」
何を専攻していたの?とか、バイトは何をしていたの?…聞きたいことはたくさんあった。それを飲み込んで、あんなは「そうなんだ」と相槌を打った。
今まで男性と接するときは自分があれこれ訊かれる側で、相手の肩書以外に関心を持ったことがなかったと気づいてしまった。
人の本質を見ることを知ったあんなに、危機が訪れる
「今日はごめんね、急に押しかけて」
「いえ、全然」
玄関で頭を下げるあんなに、祥吾は首を振った。
「色々えらそうに言っちゃいましたけど、綿谷さんって基本定時上がりの僕と違って激務じゃないですか」
祥吾は言いながらカギを開け、あんなが出やすいようにドアを押さえた。
「仕事だけで心が擦り減るでしょうし、僕の教えたこと気にして趣味とか家事とか完璧にしすぎないで、ゆるい気持ちでいてくださいね。じゃあおやすみなさい」
「お、おやすみなさい」
やっぱりマイペースな子だな。そう思うが、不思議と心が安らいでいた。
「ゆるい気持ち、か…」
飾らず自然体で、リラックスした状態ということだろうか?祥吾がマンションの前まで呼んでくれたタクシーに乗り込み、腕を組んで考える。そんな気持ちになるのは、祥吾といるときだけだった。
「…」
スマホが震えたので手に取ると、西島から例によって『会いたい』というメッセージが届いていた。あんなは大きく深い息を吐き、指を動かした。
『ごめんなさい、私の都合でもう会えなくなりました。今までありがとうございました』
声に出さず、3回読み直す。簡潔な文面のほうが、決意が伝わるだろう。送信すると、なんだか憑き物が落ちたように肩が軽くなった。
◆
「綿谷さん、なんか良いことありました?」
あれから1週間後。マイボトルに淹れたほうじ茶を飲んでいると、隣のデスクから声をかけられた。
「雰囲気が柔らかくなったっていうか、穏やかになったっていうか」
「そうかな」
あんなは小さく首を傾げて微笑んだ。心当たりはあった。起床したら必ずベッドメイキングをし、パジャマを畳む。お風呂を沸かしている間に散らかった場所を片付けると、気持ちも晴れやかになった。
自分のキャパ以上に『完璧な自分』を演出すると、いつのまにか心が擦り減ることにも気づいた。少しセーブするだけで余裕が生まれ、自分に自信が持てるようになっていた。
「じゃあ、お先に失礼します」
バッグを肩にかけ、オフィスを後にする。日付を回って帰るのが当たり前だった頃からは、想像もつかないほど健康的だ。
家に帰ったら、祥吾に教えてもらった映画を観よう。そう思いながらエレベーターを降りて、ビルから出たとき。
「あんな!」
唐突に肩を掴まれ、あんなは小さく悲鳴を上げた。心臓が飛び出そうになりながら振り向くと、西島だった。無精ひげが生え、精悍だった頬がこけている。あんなは冷や汗が一気に噴き出すのを感じた。
「西島さん、なんでここに」
「なんで?一方的にメッセージ送ってきて、連絡つかなくなったからだよ。あんなの家は知らないけど会社は知ってたから、ここに来たら会えると思って」
口角から泡を飛ばす西島の目は、興奮に血走っていた。ここはまだ、オフィスビルを出たばかりの場所だ。同僚に見られたら…。誰よりも祥吾に見られたら。あんなはぎゅっと拳を握り、強張る顔に笑みを貼りつけた。
「とりあえず場所を変えない?コーヒーでも飲みに行こうよ」
できる限り刺激しないよう優しい声で言うが、体は恐怖に震えていた。その一方で、どこかで冷静な気持ちもあった。
― これは、私のしてきたことの報いだ。
▶前回:“野菜の洗い方が分からない”28歳女に、後輩男子がかけた衝撃の言葉とは
▶NEXT:5月10日 月曜更新予定
押しかけてきた西島と対峙する決意をしたあんなは、衝撃の展開を迎えることに…。