映画『オズの魔法使』 映画史に残る傑作ファンタジー・ミュージカルのあらすじと解説

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古今東西のミュージカル映画の中でも知名度ではトップクラスを誇る『オズの魔法使』(1939)。可愛いヒロインのドロシーと個性豊かなサブキャラたち、そして全編に流れる名曲の数々。製作されて80年以上経っても色褪せないこの名作について、同じ時期に製作されたあの大作との関係も含めて詳しくご紹介しよう!

『オズの魔法使』あらすじ(ネタバレあり)

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カンザス州の片田舎。少女ドロシー(ジュディ・ガーランド)はヘンリー伯父さん(チャーリー・グラプウィン)、エム伯母さん(クララ・ブランディック)、下働きのハンク(レイ・ボルジャー)、ヒッコリー(ジャック・ヘイリー)、ジーク(バート・ラー)、そして犬のトトと一緒に農場で暮らしていた。しかし、みんな忙しくて相手にしてくれない上に、トトが近所のミス・ガルチ(マーガレット・ハミルトン)からいじめられたりと、つらいことばかり。ついに彼女はトトと一緒に家出してしまうが、途中で会った占い師マーヴェル(フランク・モーガン)から、彼女のことを心配した伯母さんが病気になった聞き、慌てて家に戻る。そこへ折から大竜巻がやってきて、ドロシーはトトと一緒に家もろとも空中に巻き上げられてしまう。
家が落ちたところは、オズの国のマンチキン・ランド(小人の国)。東の悪い魔女が家に押し潰されて死に、彼女の妹である西の悪い魔女(ハミルトン二役)が姉のルビーの靴を奪おうとしたが、ドロシーの前に北の良い魔女グリンダ(ビリー・バーク)が魔法で靴をドロシーに履かせた。西の魔女が復讐すると考えたグリンダはドロシーに家へ帰るよう勧めるが、そのためには遥か彼方のエメラルド・シティに住むオズの大魔王の力を借りなければいけない。
ドロシーはトトと一緒にエメラルド・シティへの旅に出る。途中、脳みそを欲しがっている案山子(ボルジャー二役)、心を欲しがっているブリキの木こり(ヘイリー二役)、勇気を欲しがっている臆病なライオン(ラー二役)と友達になり、一緒に旅をすることになった。西の魔女の妨害も乗り越えてエメラルド・シティの城内にたどり着いた一行は大魔王に会うことができたが、西の魔女の箒を持ってきたら皆の望みを叶える、と言われる。
西の魔女の城へ向かった一行は再び魔女の妨害によって危機に陥るが、皆で勇気を持って協力し乗り越える。その結果、偶然にも魔女を倒すことができた。箒を持って大魔王のもとへ行った一行は、大魔王が実はいかさま魔法使いであることを知る。しかし、旅の間に案山子は困難を切り抜けるために頭を使い、ライオンはドロシーを助けるために勇気を振り絞って危険に立ち向かい、ブリキ男はドロシーに同情し涙を流したことを指摘、三人の願いは叶えられたことを教える。ドロシーは魔法使いと一緒に気球でカンザスへ帰ることになるが、魔法使いのミスでドロシーは取り残されてしまう。そこへ現れたグリンダが、ドロシーの履いている靴こそが彼女の願いを叶えてくれるもので、願いをかなえる呪文は「お家が一番いい」だと教える。ドロシーは仲間たちに別れを告げると、目を閉じて靴の踵を3回鳴らし「お家が一番」と念じる。
ドロシーが目を開けると、竜巻の時に飛んできた窓枠で頭を打って気を失っていたドロシーを心配して、農場の皆やマーヴェルが集まっていた。

『オズの魔法使』解説

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ライマン・フランク・ボームが1900年に発表した児童文学小説『オズの魔法使い』(原作のタイトルには最後の「い」が付くが、映画の邦題には付かない)を、“その道”ではハリウッドの大手映画会社の中でもトップクラスのメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)がミュージカルとして映画化した作品だ。
当時はまだカラーフィルムが高価だったためカラー映画の本数は少なかった。この映画では、映画の最初と最後の方のカンザスのシーンは白黒、オズの国のシーンはカラーになっている。さらにさまざまな場面で広大なセットが組まれたため、予算的には大作クラスの作品になった(ロケーション撮影されたのはオープニングのタイトルバックの雲だけで、あとはすべてスタジオで撮影された)。
当初ドロシー役には、天才子役として有名だったシャーリー・テンプルが候補に挙がっていて、彼女が契約していた20世紀フォックス社から借りる話が進んでいたが、交換としてMGMから貸し出される予定だった女優ジーン・ハーロウが26歳の若さで病死してしまったため計画は頓挫、MGM所属のガーランドが主演に決まった。ただし、当時16歳だったガーランドはドロシーを演じるには年齢が高かったため、さまざまな工夫で幼く見えるようにしたという。
ミュージカル・ナンバーは、数々のブロードウェイ・ミュージカルを手がけてきた作曲=ハロルド・アーレン&作詞=エドガー・イップ・ハーバーグの名コンビが手がけた。映画の前半でガーランドが『虹の彼方に』を歌うシーンは会社の意向でカットされそうになったが、プロデューサーのアーサー・フリードの猛反対を受けて残された。結局、同曲はアカデミー歌曲賞を獲得してMGMミュージカルを代表する名曲となり、現在に至るまで世界各国の有名ミュージシャンが多数カヴァーするスタンダード・ナンバーとなった。最初に『スター・ウォーズ』の企画を持ち込まれたユニバーサルとワーナーが却下するなど、「映画会社の経営陣がやらかした&やらかしそうになった致命的な大失敗」の代表例として、この話も有名になってしまった。なお、アーレンはガーランドの後年の代表作となった『スタア誕生』(1954)の歌曲も手がけ、『The Man that Got Away』がアカデミー歌曲賞を受賞。『虹の彼方に』と並ぶガーランドの代表曲となった。
ヒロインが竜巻で未知の国へ飛ばされるという部分は、大ブームになった韓流ドラマ『愛の不時着』に引用されたという説もある。

『風と共に去りぬ』との意外な関係~トリビアいろいろ~

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この映画が公開された1939年には、他にも『駅馬車』、『スミス都へ行く』、『嵐が丘』などの名作が集中的に公開され、「アメリカ映画の当たり年」と言われている。その中でも最も有名なのが『風と共に去りぬ』だ。実は本作と『風と―』には深い関係がある。監督も同じヴィクター・フレミングだが、他にもさまざまな人や出来事が複雑に絡み合っている。
『風と―』は敏腕プロデューサーのデヴィッド・O・セルズニックの独立プロダクションがMGMの出資を受けて製作したもので、MGMは資金の他にも主演のクラーク・ゲーブルなど人材も多数提供した。本作『オズの―』は1938年10月に、『風と―』は1939年1月に、それぞれ撮影が開始された。つまり、映画会社も撮影時期もほぼ同じということになるが、やyこしいのはここから。
本作は、最初に監督を務めていたリチャード・ソープがプロデューサーを満足させる撮影が出来ず数週間で解雇され、巨匠ジョージ・キューカーに声がかかる。キューカーは女性を描かせたらハリウッド随一との定評があったせいか、「カンザスの田舎娘」のドロシーが金髪の巻き髪ではおかしいことを指摘するなどメーキャップ関係でアドバイスを行なったりした後、『風と―』の監督に就任、結局、本作の後任監督を引き受けたのがフレミングだった。
ただし彼の他にも、『虹の彼方に』も含めたカンザスのシーンを担当した『戦争と平和』(1956)のキング・ヴィダー、本作のプロデューサーでもある『若草物語』(1049)などのマーヴィン・ルロイなど3人の監督が応援で撮影に参加、ソープらも含めるとフレミング以外に5名の監督がクレジット無しで参加している。
話を『風と―』に戻すと、今度はキューカーが、セルズニックが思うようなスペクタクルを撮れなかったため解雇され、MGMのエース監督でありゲーブルともたびたび息の合ったコンビを組んでいたフレミングがピンチヒッターとなった。彼は本作の主要撮影を終えてから『風と―』の撮影に入り作品の大半を手堅く撮影していったが、セルズニックに加えて主演のヴィヴィアン・リーとも意見が合わず、突貫作業による疲れもあって現場から飛び出してしまう。これを予想していたセルズニックは、やはりMGMからサム・ウッドをピンチヒッターとして呼び寄せて撮影を続けた。
このように、両作ともキューカー→フレミングという共通の流れを中心に何人もの監督が撮影に関わり、それをパッチワークのように組み立てた作品だったのだ。しかし、そんな「バラバラ感」が完成作品では微塵も感じられないのは、当時のスタッフの職人的な優秀さの表れだろう。

原作がシリーズものだったこともあり、本作の続編(的作品)やリメイクも数多く製作されたが、最も有名なのは設定を変えて登場キャラをアフリカ系アメリカ人に変えたブロードウェイ・ミュージカルの映画化『ウィズ』(1978)だろう。ドロシーをダイアナ・ロス、そして案山子をマイケル・ジャクソンが演じたこの作品は興行的には成功しなかったが、現在ではマイケルのファンを中心にカルト的な人気を誇っている。

本作の後、成人したガーランドは俳優や歌手として成功した一方で精神的に不安定な状態が続き、撮影現場での混乱や薬物中毒、そして自殺未遂などを繰り返す波乱の人生を送った末、本作公開からちょうど30年の1969年に、睡眠薬の過剰摂取により47歳の若さで亡くなった。
その日、カンザス州で竜巻が起こったと言われている。

それでも、美しいカラーと数多くの名曲に彩られたこの映画自体は、今なお変わらぬ輝きを放ち続けている。

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