よしながふみ『大奥』「男女逆転」だけではない物語、その影の主役とは

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 17年に渡る連載の果て、よしながふみの『大奥』が完結した。

 ジェンダーだけでなく、政治、疫病、恋愛など、今日のさまざまなイシューを内包したこの巨大な物語は、『ベルサイユのばら』にも比肩する歴史ロマンの大傑作となった。よしなが大奥以後、フランス革命にはオスカルやアンドレがいたように、聖徳太子は超能力者で同性愛者であったように、大奥は男だらけの世界であったと、少女マンガ読みには確かに記憶されることだろう。

◆女性が将軍を務める世界で大奥は男の園

 舞台は江戸城、大奥。女性が将軍を務めるこの世界では、大奥はもちろん男の園だ。8代将軍・吉宗ももちろん女性として描かれるが、彼女は長いことある違和感を抱いていた。将軍をはじめ、武家も商家も、家業を継ぐものはなぜ男名を名乗るのか?

 その答えを求めて吉宗は大奥が開かれて以来書き続けれられて来た門外不出の日記「没日録」を紐解く。そこに記されていたのはこの国の驚愕の歴史だった──。

 以来19巻に渡って、3代将軍・家光から最後の将軍・慶喜に至るまでの歴史が描かれるのだが、これほどの傑作となった理由は、波瀾万丈に富む将軍たちの物語はもちろんのこと、連載当初からこの一点に着地するよう狙い澄ましていたであろう、緻密な構成とラストシーンの美しさ抜きには語れない。
【※注意!以下、最終話についての記述があります※】

https://youtu.be/cUQ0WZWDiGI

 最終話、若き日の津田梅子に、かつて大奥で天璋院胤篤と呼ばれた男はこう語りかける。
「この国はかつて代々女が将軍の座に就いていたのでございますよ…」
 この終わり方ががなによりも美しいのは、「すべての希望」がここに凝縮されているからだ。

◆『大奥』は秘密を暴き出す物語

 まず思い出していただきたいのは、1巻の冒頭に掲げられたこの文章である。

 大奥に仕える者達はみな次のような誓詞に血判を押さねばならない。
「大奥で見聞きしたる事いかなる事も親兄弟はもとより一切外様へ申すまじき事。」

 つまり大奥を物語るこの作品は、本来ならば外部に漏れることがない「秘密」の暴露として幕を開けたのである。そしてこの秘密は大奥のみならず、日本という国家の秘密でもあった。吉宗が憂慮したように、疫病によって男が少ないという事情を諸外国に知られたら、即座に侵略されてしまうからだ。

 そもそも権力に秘密はつきものである。3代将軍・家光とのあいだに子どもができずにいた御中﨟の有功(ありこと)は、それがために新たな御中﨟があてがわれると知ったとき、

「こないにしてまで血を繋げたとしてその後に何が待っているというのです!? そうまでして守らねばならぬ徳川家とはあなたにとって一体何なのですか!!」

と春日局を問い詰めるのだが、彼女は表情も変えずにこう答える。

「それは戦の無い平和な世の事です」

 現・家光の父親である本来の家光が赤面疱瘡で死んだときにはその事実を伏し、娘を身代わりとすることで、春日局は体制を維持した。後に身代わりとされた娘は自ら表舞台に登場し、女将軍としての存在を周囲に認めさせるのだが、歴史はやがて、今度は男が政治の実権を握っていた時代を、黒く塗り潰していくだろう。

◆影の主役は権力

 そうして読者が目撃したのは、200年ものあいだ、江戸城で密かに展開された、権力の来し方と行く末の物語であったのだ。本作の影の主役は「権力」であるとも言える。

 権力の持つ暴力性と、その一方で権力者たちが抱える苦悩や哀しみは、本作の一貫した主題であり、読みどころだ。そしてそれらがいっそう強く顕れるのは、よしながふみの筆力はもちろんのこと、その主体が女であることも大きく影響しているだろう。

 年老いた5代将軍・綱吉は「私は結局この世で何ひとつ後の世に繋ぐことができなかった。善き政を行う事もできず世継ぎを残して徳川の世を盤石にする事もできず…。将軍として女として人に望まれた事は何ひとつできなかった…」と嘆息した。

 権力を「正しく」行使したかのように見える8代将軍・吉宗ですら、将軍の座につくまでには、側近の久通が密かに多くの人間を殺していた。その事実を知った吉宗は、久通を処分するでもなく、「今までずっとそなた一人が背負ってくれていたのだな……」と涙した。

 政治の実権を握り、後継者となる子をなそうとして、女将軍が大車輪で働く一方で、権力の傍流に追いやられた男たちの姿は、ある種の哀切さをもって描かれている。よしなが大奥に枕詞のように付けられる「男女逆転」というキャッチフレーズはやや正確ではない。この物語は単に男女のジェンダーロールを逆転させただけではなく、いかに性が権力のありようを変えていくかを描いているからだ。

◆男尊女卑と家父長制への抵抗としての秘密の暴露

 最終盤、新時代を担う存在として登場した西郷隆盛がこだわったのも、性と権力の問題であった。勝海舟との会談で、西郷はこう語る。

「かつて日本が女達ばかりで治められてきたという歴史を西欧列強に知られればますます日本人は未開の地の蛮族じゃと蔑まれてしまいもうす!」

「女に作られた恥ずべき歴史を無かった事にするためには徳川を徹底的に潰さなならんのです!!」

 そしてこれは「秘密」の取り扱いを自らが引き受けることによって、権力が己の元にあることを誇示する言動でもある。ここにおいてもなお権力と秘密は一蓮托生なのであった。

 そして女将軍たちの物語は闇へと葬られ、再び女は権力の場から排除されていく。西郷が語る強烈な男尊女卑思想は、やがてこの国のスタンダードとなって、150年後を生きる私たちをも苦しめ続けることだろう。

 だがしかし よしなが大奥は、最後に一筋の希望を描いていた。それが冒頭で紹介した胤篤と津田梅子のやりとりだ。

「この国はかつて代々女が将軍の座に就いていたのでございますよ…」

 胤篤がやってみせたのは秘密の暴露にほかならない。それはすなわち徳川の秘密を引き受けることで正統性を獲得した明治新政府の権力を相対化させる行いですらある。

 その内容も家父長制を全否定するものであり、また、徳川家でも天皇家でも薩長のエリートでもない津田梅子に、「国を動かす人物になるのはあなた達ご自身でございます!」と語りかける胤篤は、西郷などよりもずっと未来を見ていたのだ。つまり、情報はあまねく共有され、性や血による差別はない、真に民主的な世界である。

 そしてその実現を、胤篤は次世代へと委ねたのが、ラストシーンで描かれたことのすべてである。13代将軍・家定の時代に老中・阿部正弘が蒔いた種──情報公開と実力主義──も、こうして受け継がれていったのだ。

◆『大奥』が予言していたこと

 しかし現代に生きるわれわれは、それらが今もなお実現されていないことを知っている。ここ数年のあいだでさえ、時の政権トップによって自らに不都合な情報が隠蔽され、年老いた権力者の口からは平然と男女差別の言葉が垂れ流された。さらにいうならば民主主義の現代ですら世襲の政治家が大半を占めるのはいったいなぜなのか。

 よしなが大奥は、権力を取り扱う際に「絶対にやってはいけないこと」の見本市でもあった。「男女逆転」というギミックは、それらを際立たせるための舞台装置だったのである。

 ジェンダー、政治、加えて疫病と、『大奥』はまるで予言の書のように、極めて今日的なテーマを描いてきた。2004年に連載が始まったこの作品が捉えていた射程の大きさに、今さらながら愕然(がくぜん)とさせられる。そして最後に描かれた美しい希望。

 現在と歴史とは地続きであり、その希望は今も生き続けていることを、そして私たち自身もまた歴史の当事者であることを、読む者は強く思い知らされるだろう。『ベルサイユのばら』、『日出処の天子』、あるいは萩尾望都の諸作品のように、『大奥』もまたこれから何十年にも渡って、広く読み継がれていくであろうことを確信するばかりである。

<文/小田真琴>

【小田真琴】女子マンガ研究家。主に女性誌やウェブで大人の女性向けのマンガ=女子マンガを紹介。2017年TBS「マツコの知らない世界」出演。Twitter @makoto_oda


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