「台湾産パイナップルが実は中国産」もデマ。ツイッターの魔力

チャンネル登録者数は70万人を超える、人気政治系ユーチューバーのKAZUYA。政治的スタンスは「ライトなライト」(軽い右寄り)を自認する。日本の未来に光をともすべく、難解な政治ニュースや社会問題を軽やかに、明るく、面白く斬る!

◆「社会的証明の原理」でデマは真実味を増し、思考は硬直化していく

 どんな便利なツールも使い方次第で凶器になります。ツイッターは典型で、のめり込んでしまう魔力がある一方、短文投稿故に言葉足らずになって誰かを傷つけてしまうこともしばしばです。

 また、短文だからこそ丁寧な説明ができず、論争になった場合は罵り合いになりがちです。いっそ使わないほうが、幸せな人生を送ることができるのかもしれません。ツイッターは激しすぎるのです。

 匿名だからこそ自由な発想で物事を書けますし、そこが魅力の一つとも言えます。ただ匿名だから大丈夫だろうと思って、普段は使わないような言葉を使って誰かを誹謗中傷したりする人もいます。

 昨年亡くなったプロレスラーの木村花さんも、そんなネットの闇に追いやられた一人です。木村さんに対してツイッターで「死ねやくそが」「きもい」などと書き込んだ福井県に住む30代の男は、侮辱容疑で書類送検されました。

◆「社会的証明の原理」でデマも真実味を増す

 ツイッターの恐ろしいところは、皆、匿名で激しいことを書くので、自分も大丈夫だろうと思って倫理観のタガが外れていくことです。

 前号でも紹介した『影響力の武器』という心理学の本に「社会的証明の原理」が紹介されています。これは「人はほかの人たちが何を正しいと考えているかを基準に物事を判断する」という原理のことです。

 確かにこれはよくある話で、大抵の場合はそれでいいのです。しかし皆がやっているからと自分もその波に乗ってしまうと、悪い方向に働いてしまうということも考えねばなりません。

 ツイッターは数字が評価の基準になる面があります。「いいね」や「リツイート」がそれです。多くのいいねやリツイートがある投稿を見ると、「これだけ多くの人が拡散しているんだからそうなんだろう」と思ってしまいがちです。

 まさに「社会的証明の原理」で、発端がデマだとしてもどんどん拡散されていくうちに、真実性を増すという恐ろしいことになります。

◆「台湾産パイナップルが実は中国産」もデマだった

 最近も台湾産パイナップルが実は中国産で、楽天市場で売られているとの情報が流れました。フォロワーの多いアカウントも紹介したためあっという間に拡散されたのですが、晒されたショップは検疫証明までアップして潔白を主張しました。要はデマだったのです。

 衝撃的な内容ほど一気に広がっていきます。しかし情報が誤っていた場合、その訂正はたいして拡散しません。商売をやるうえで大損害になる可能性があるので、安易な拡散は本当に注意が必要です。

「社会的証明の原理」でいうと、この連載で何度も例に出していますが、米大統領選挙の不正選挙追及の数多くのデマは、保守系の言論人まで乗っかってしまったことで「社会的証明の原理」が強く働いていました。

「あの人が言っているならそうなんだろう」という具合に本当は個別に調べなければいけないのですが、ツイッターは反射的なSNSなのでそのまま拡散されて、そんな投稿が積み重なり、どんどん考え方が補強されて硬直化していきました。こうなると抜け出すのは容易ではありません。

◆論点をすり替え、人格否定してくるSNS

 昨年11月から僕のところにもその類いの人がきましたが、やはりツイッターは議論に向いていません。無理ではありませんが、短文だと意見の押し付け合いになりますし、そもそもどこの誰とも知らない人、それもいきなり喧嘩腰や罵倒してくる人とは、わかり合えというほうが無茶です。

 そして結局バイデン氏が普通に大統領に就任してしまったので、トランプが逆転すると言っていた人は根本的に論理的な負い目があります。それでも一貫性の原理が働きますから自分の間違いを認められず、突っかかってくるのはいいですが、論理では攻めてきません。論点をすり替えて人格否定などを持ち込んでくるのです。

 例えば僕が大統領選について言及すると、そういった情報を流していた人の支持者がやってきていろいろ書いていきます。笑ってしまうのが、唐突に「格」戦争が始まることです。

 といってもこちらは格を主張しないので一方的に言われるだけなのですが、「○○さんとお前では格が違う」と論理ではなく格の勝負に持ち込もうとしてきます。

 しかし内容ではなく格で決まるなら、ネットなんかより新聞のほうが格が上となってしまうし、そもそも格を持ち出したらまともな議論なんて不可能でしょう。

◆ハマりすぎると何も見えなくなってしまう

 誰かの熱狂的な支持者は、支持対象を疑うということを知らず、支持対象を批判するやつそのものがおかしいとの発想になってしまいがちです。だから人格否定でも何でもやってきます(この半年で僕もかなり経験を積みました)。

 もし支持対象の誤りについて誰かから指摘された場合は集団記憶喪失になり、論点をそらして根本問題に行かないようにします。

 誰かを支持するというのは自然なことですが、ハマりすぎると何も見えなくなってしまいます。社会的証明の原理はハマりすぎた人同士の結束をも高め、自分たちの正当性を補強するものであるというのも注意が必要です。

 これは誰しもがはまり込む危険性があります。自分自身も戒めたいところです。今回は散々ツイッターの負の面を語ってきましたが、それでも僕はツイッターが大好きです。負の面は強烈だからこそ目立ちます。猫の可愛い写真や動画でも見て心を豊かにしましょう。

◆今週の一言

人は「一貫性の原理」から自分の間違いを認めず、「社会的証明の原理」から正当性を補強する

<文/KAZUYA>

―[ライトなライト論]―

【KAZUYA】

動画配信者、作家。1988年、北海道帯広市生まれ。2012年より、YouTubeとニコニコ動画にて「KAZUYACHANNEL」を開設し、政治や歴史、社会問題などのニュースをほぼ毎日配信する。YouTubeのチャンネル登録者数は70万人超、ツイッターのフォロワーは11万人超。『日本人が知っておくべき「戦争」の話』など著書多数

2021/4/23 15:51

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