飛躍する陸上競技100mの新星・大島健吾。進化続ける理由とは

元ラガーマン・大島健吾の行動原理はシンプルだ。「そうしてみたいからやってみる」。陸上競技100mを始めたのも明快で、「義足だったら、どれだけ速く走れるのか知りたかったから」だという。そして、好奇心で突き進んだ3年目の全日本パラ陸上選手権。大島は実力者たちを抑えて初優勝し、パラ陸上界のスター候補に名乗りを挙げた。

ラグビーに夢中だった高校時代

大島には今でもよく覚えている幼い頃の記憶がある。生まれつき、左足首から先が欠損している大島は、保育園に通っていたとき、竹馬に乗りたくても、他の園児のようにうまく乗ることができなかった。

大島健吾(以下、大島)でも、どうしたら乗れるんだろうって考えて、他の子より遅かったけど、結局、竹馬に乗れるようになったんですよ。小さいころから、できないことをできるようにすることが好きみたいなんです(笑)。

工夫をこらしているから、義足を履いた足が“障がい”であるという意識も自然となかった。だから、いろんなことに迷わずチャレンジする。三つ子の妹と弟はインドア寄りだが、大島は、森の道なき道を横断して家に帰ったり、どれだけ高いところから飛び降りられるか競ったりと、のびのびと遊んだ。瀬戸西高では、強豪のラグビー部に入部した。

大島 ラグビー部に入ることにも迷いはなかったです。大学入学後、母に「ちょっと心配してた」と言われて、義足でラグビーって普通じゃないんだなって気づいたくらい。プレー中は、右にステップを切れなかったというのはあるけど、相手にはバレてなかったんじゃないかな(笑)。

ラグビーから学んだことは大きかった。コツコツと練習すれば大きな相手も倒せるようになるし、トレーニングすれば、自分の体が大きく強くなることも知った。体をぶつけ合う激しさ、仲間との交流も好きだった。パラスポーツに出会ったのは、ラグビーに夢中になっているさなかだ。

大島 高2のとき、顧問の先生が、「こういうの、行かんか?」といって、パラアスリートの発掘イベントに連れてってくれたんです。このとき、初めてパラスポーツという世界もあるんだな、僕も競技用の義足を履けるんだなと知りました。

この言葉には、少し説明がいる。じつは大島は、日常生活用の義足でラグビーをしていた。大島の左右の脚の長さは、「10センチあるかないか」(大島)。板バネが機能するための、たわみの幅を十分とれないと思い込んでいた。

大島 でも、イベントにいらした義肢装具士の沖野敦郎さんが「競技用の義足、作れるよ」って。実際にお試し用で走ってみたら、ぴったりじゃなかったら重たかったんですけど、「自分に合った義足をつくったら、どれくらい速く走れるんだろう」と、知りたくなりました。

2016年9月、大島の心に陸上競技という種が蒔かれた瞬間である。その後、大島は高校でラグビーを目いっぱいやり、名古屋学院大への進学が決まったあと、真っ先に沖野さんの工房に向かった。

大学からスプリンターへの道へ

2018年3月、初めて自分の足に競技用の義足を装着すると、新しい世界が広がった。大島の症例は珍しく、製作は容易ではないという話だったが、無事、ひざ下をソケットで覆うタイプの義足ができあがってきた。

大島 弟を誘って一緒に走ったんです。そしたら生活用義足だと、ちょっと頑張らないとついて行けなかったのに、競技用だと余裕で差をつけられた。レースで走ったらすぐに1位になれるだろうと思いましたね(苦笑)。

ラグビーで培った自信もあった。しかし、この苦笑いが示唆するように、初めての公式戦「愛知パラ陸上フェスティバル」は、今でも「一番悔しかった」と振り返る負け試合だ。優勝した佐藤圭太とは、コンマ82秒差の12秒67で、3位に終わった。この初戦を皮切りに、大島の「どうすれば速く走れるか」という試行錯誤は深まっていく。

大島 陸上を始めて1年目は、全然陸上が分からなかったけど、2年目からは、足が後ろに流れたり、肩が前後しちゃう自分のクセを理解できるようになったんですよ。そこを修正できるようになってからは記録がどんどん伸びて、陸上が楽しくなりました。

大学ではよい出会いにも恵まれた。名古屋学院大の陸上部には、十種競技の元日本記録保持者・松田克彦氏が指導に当たっていた。

大島 たとえば僕が「こういう走りにしたいです」と話すと、松田先生は「どうして」とか「だったら、こうしたほうがいいんじゃない」と、話を聞いて相談に乗ってくれる感じです。すべて「こうしろ」という指導じゃないから、考える力がつきました。日本には、僕のように足が長い選手はいないから、走り方も義足についても自分で考える力がとても大事なんです。

冒頭の竹馬のエピソードからもわかるように、大島の強みは、「考えてなんとかする」という我の強さだ。その思いが“速さ”に向いているいま、大島の思考は、肉体改造、栄養補給、理想の義足の追求と、多岐にわたっている。

大島 体づくりに関しては、いまはラグビーの影響でボディビルダーみたいな極端な体になってるので、インナーマッスルなどを鍛えて、バランスをよくするようにしてますね。

栄養に関してですが、最近は自炊しています。うちは、きょうだいでごはんをつくっているので、「油ダメ」とかいえないじゃないですか(笑)。食べているのはほとんど低温調理器で調理した鶏肉。鶏肉を揚げないでどうおいしく食べるか、追求した結果です(笑)。わさび醤油やコチュジャンをつけて食べています。

細部にこだわる性格だから、もちろん、2020年1月にできあがった3台目の義足にはずいぶん要望を出した。3台目は、左ひざをすべてソケットで覆うタイプで、左足にかかっていた過重をひざにも少し分散した。板バネの角度をより鋭角にし、装着位置をやや外側にした。

大島 こうすることで外に倒れやすいクセを改善し、安定性も出ました。肩とひざの位置がまっすぐになり、体の揺れを抑えられるようにも。義足自体もやや上につけたので、より大きい力で踏み込めるようになりました。

パラリンピック出場の先に見る偉大なる夢

これらの努力を実らせたのが、2020年9月の全日本パラ選手権の初優勝だった。しかし、佐藤やアジア記録保持者の井谷俊介を抑えての栄えある結果で、東京パラリンピックへの期待を膨らませたが、大島は手放しで喜ばなかった。タイムは11秒93。

大島 自分では11秒70で走れる実力があると思っていたから、そのタイムなら2位か3位でもよかったんです。でも、90台で優勝しちゃったから素直に喜べませんでした。

そんな大島には、井谷のアジア記録11秒47を塗り替えたいという短期目標と、偉大な長期目標がある。

大島 (走り幅跳びの)マルクス・レーム(ドイツ)に憧れてるんです。オリンピックを抜く記録を出せるって、義足と人間の融合じゃないですか。僕も100mでそれをやりたいんですよ。もっと鍛えて義足を使いこなせたら、人間プラス義足の力で、健常の100mより速く走れる可能性がある。現状は義足を使いこなすのだけで大変だけど、僕が先駆けになりたいです。

だから、大島は試行錯誤を止めない。だが、ここで余計なお世話だが少し心配になる。いつも頭をフル回転させて疲れないだろうか。

大島 僕は、音楽を聴きながら、散歩するみたいに気分のままに走るのが好きなんです。去年から学童のバイトも始めたんですけど、子どもたちと鬼ごっこするのとかがすごく楽しいんです。

息抜き法もちゃんと計算に入れているのだ。リモートで応じてくれた取材で、大島の部屋はきれいに片づき、過去の記録証もファイルに整理していた。「24歳くらいのときには、レームに近づいていたい」という夢に向かって慎重に計画を立てている。

text by Yoshimi Suzuki
photo by X-1

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