なぜ文春砲だけが特別なのか。元編集長が明かす秘密組織の実態 

 検事長の賭けマージャン、元法務大臣の選挙不正、総務省の接待問題、そして東京オリンピック開会式をめぐる騒動……芸能スキャンダルだけでなく、政界にも“文春砲”が轟く。

 週刊文春の編集員は60人程度。グラビアや連載の担当者を除く、スクープ(特集)班を担当する記者は40人にも満たない。数千人規模の大手新聞社とは比べものにならないほど小さな組織であり、さらに記者クラブにも属してはいない。

 それなのに、なぜ文春だけが大手メディアでもできないスクープを連発するのか? 元「週刊文春」編集長で、現在は岐阜女子大学副学長の木俣正剛氏に、文春だけが特別な理由を聞いた。

◆文春に叩かれる?

「正剛(せいごう)、正剛、正剛。古巣の文春で私の名前が叩かれるのは奇妙な感じです」

「週刊文春」と「文藝春秋」の編集長を務めた木俣正剛氏は、37年間におよぶ記者生活の日々を『文春の流儀』(中央公論新社)にまとめ、3月に出版した。

 奇しくも、菅義偉首相の長男・正剛氏が総務省幹部たちを接待していた問題が文春報道によって明るみに出た時期だった。

「名前の由来まで同じ。東条英機に反抗し、自決したジャーナリスト出身の政治家である中野正剛にちなんだようです。本が出るタイミングでの“文春砲”に、私も困っています(笑)」

 1978年、文藝春秋社に入社した木俣氏は、花田紀凱編集長のもと、西川清史、勝谷誠彦、松井清人らと共に黄金期を築く。

「当時の会社全体の売上は、編集(雑誌売上)100億、広告100億、出版100億。営業にも力があり、財政基盤が盤石で、取材費は潤沢でした」

◆ケタ違いの取材費で、高級接待の場にも同席

 出版不況とはいえ、今でも文春の取材費はケタ違いだ。スクープだと記者が思えば、百万円単位の取材費を投入することもある。

「総務省官僚の接待スクープ。一人5万を超える高額な値段ですが、宴会の部屋にも文春の記者は潜入して写真を撮影しています。接待の舞台は、会員制のラウンジレストランなので、記者が足を運んだのは一度や二度ではないでしょう。文春の記者は誰も接待してくれないので、すべて経費ですよ(笑)」

◆自らタレコミ電話をかけ旅行に出かける伝説の記者

 経費を使ったからといって、必ずしも取材が成功するとは限らない。過去には怪しい記者もいたという。

「私がデスクのときには、伝説の記者がいました。自ら編集部にタレコミの電話をかけ、取材と称して彼女と沖縄旅行に出かけたようです。

 沖縄から『取材は難航しています』と電話がかかってきたので、意地悪に『次の取材もあるから帰ってくるか?』と聞くと、『いえいえ、もう少し沖縄で粘ってみます』と。案の定、日焼けしただけで、なんの収穫もなく戻ってくるんですが、この記者は、次の週は汚名返上とばかりに特大のスクープをとってくるんですよ」

 文春の強さは潤沢な取材費だけではない。事実関係を徹底的に詰める記者の取材力は同業他社も舌を巻く。

「他誌では取材と執筆の分業制を取っているところが多い。一方で、文春は経験が浅くても、ネタを持ってきた記者が重要な取材をし、記事を書きます。ネタを持ってくる人が一番尊敬される。そして、散々訴えられてきたから、徹底的に裏を取るように記者は鍛えられています」

 他誌が訴訟リスクを懸念し、スクープから撤退していくなか、文春記者との取材力の差は広がっていく。

◆老舗なのに社長も編集長も“さん”づけの不思議な会社

 さらに、文春の忖度のない社風も読者に問題提起できる記者を育てるという。

「多くのメディア・出版業界はオーナー一族の影響力が今も強いですが、文藝春秋は社員持株会社です。忖度とは無縁で、社長も編集長も“さん”づけ。上下関係のない社風だから、年間契約の記者と社員の関係もいい。記者はみなノンフィクション作家の卵という位置づけで、社員は尊敬しています。そういう社風もあって、なにが正しいかを決めつける上から目線の記事は誰も書きません。まず第一に当事者の声を聞こうとします」

 一見、死角なしの文春だが、木俣氏は一抹の不安を覚えている。

「2012年、局長となった私は新年会の挨拶で『ABC(実売部数調査)の1位に慣れてないか君たちは? そんなところでとどまってはいけない、あらゆるメディアを置き去りにする圧倒的な1位を目指しましょう』と言いました。ちょうど新谷くんが週刊文春の編集長になった年です。これは本音でしたが、口にした瞬間、嫌な気持ちになった。平成初期、文春の黄金期で、おごりが芽生えた瞬間、あらゆる悪いことが襲ってきたことを思い出したんです」

◆最強と言われるほど怖い あっという間に国民の敵に

 1990年初頭、文春の黄金期は長くは続かなかった――。

「当時は、テレビ局のプロデューサーが文春の編集部に集まって、発売前の見本誌を見ながら、『これをうちの番組でやらしてください』って、直接交渉していました。ここはテレビ局かと思うぐらいでした。

 でも、すぐに日本中が文春の敵になりました。1993年の皇室批判キャンペーンです。社長宅が右翼に銃撃もされました。翌年の『JR東日本に巣くう妖怪』の記事ではJR東日本のキオスクから文春が撤去され、そして、1995年には花田編集長が会社を去る契機となったマルコポーロ事件と立て続けに起きました。

 文春は新聞やテレビには対抗できるような大きな組織ではない。基本はゲリラなんです。後輩たちのがんばりには感心するばかりですが、最強、最強ともてはやされるときこそ心配しています」

◆“文春砲”は知っていても、文春は知らない

 文春砲ばかりが注目を浴びるなか、各世代によって“文春”のイメージは大きく変わってきている。

「私が教えている岐阜女子大学は、大半の学生は卒業したら教員や幼稚園の先生になりますが、アンケートで好きなメディアを書いてもらうと、ユーチューブばかりです。

 彼女たちは“文春砲”は知っているのに週刊文春は知らない。『文春は“春”という字が入っているから、エロ本だと思っていました』とも言われました。一冊読んでもらえれば、林真理子さん、阿川佐和子さんの連載などもあり、文春のことをちゃんと知ってもらえるのですが……。

 私たちが守ってきた文春のイメージと世間が抱いているイメージは全然違うんです。ネットでは政治家のスクープより、芸能人のスキャンダルのほうがPVはいいでしょう。でもスキャンダル報道に走れば、文春を応援してくれている定期購読者は減ってしまう傾向にあります。カメラマンがせっかく撮ってきたからと、掲載したくなる気持ちは私もよくわかります。しかし、この記事で『誰が救われるのか?』ということが、これまでになく問われる時代になっています」

 いまや国民的“ペン”となった文春砲。どこに向けられるのか、みなが気になるのは仕方ないのだろう――。

<取材・文/村田孔明 撮影/Yamano Kazuma>

2021/4/21 15:53

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