Vol.20-1 不妊治療に300万円。心が壊れた妻は「これは何の罰?」と号泣した

ぼくたちの離婚 Vol.20 咲かずして散る花 #1】

 不妊治療で体外受精など高度な治療の開始初期にある女性の54%に軽度以上の抑うつの症状があり、20代では78%以上に抑うつ症状が見られる。そんな調査結果が先日報じられた(※)。

 不妊治療を行う女性たちに強いられる精神的なストレスについてはこれまでも報じられてきたが、今回が国内初の本格的な調査であることを意外に思った人も多いのではないだろうか。少子化を国家的な問題としながらも、不妊治療を行う女性のメンタルがいかにケアされてこなかったか。それが露呈したともいえるだろう。

 このようなストレスは、夫婦関係にも大きな亀裂をもたらす。文筆業をいとなむ石岡敏夫さん(仮名/48歳)は、1年ほど前、7歳下の妻・咲(さき)さん(仮名)と離婚した。理由は「不妊治療」だという。ふたりが結婚したのは石岡さんが42歳、咲さんが35歳のときだった。

※国立成育医療研究センターが体外受精などの不妊治療を始める予定の女性や始めたばかりの女性500人を対象に行なった調査。

◆不妊治療でむしばまれた妻の心

「最初から子供をつくるつもりで結婚し、1年ほど妊活しましたが、自然妊娠せずで。検査したところ、僕の精子の数が標準より少なく、運動率も低かった。それで顕微授精に踏み切りました」

 顕微授精(けんびじゅせい)とは体外受精の一種で、不妊治療の中では最も高度な医療行為であり、最もお金がかかる。女性から取り出した卵子に、男性の精子を細い針で注入。卵子が分割して受精卵になったら、胚移植(受精卵を女性の子宮に戻すこと)し、着床させるものだ。

 不妊治療のなかでも特に体外受精や顕微授精は、女性側の肉体的・精神的負担が大きい。採卵の方法は「採卵針を腟から挿入して卵巣に刺し、卵胞液ごと吸引して卵胞の中の卵子を取り出す」というもの。施術前後の投薬や注射も必要だ。薬の副作用で体調が悪化することも少なくない。

 頻繁に通院しなければならないことに加え、採卵日が確定するのはその数日前なので、フルタイムで仕事を持っている女性にとっては非常にハードルが高い治療法だ。咲さんも働きながらの通院だった。

「僕が率先して家事をやるなど、できるだけのケアはしたんですが、咲がこうむる施術の苦痛や体調不良、仕事へのしわ寄せは代わってやることができません。咲はイライラが激しくなり、僕によく当たるようになりました」

 採卵のチャンスは月に一度。しかし投薬による副作用は仕事のパフォーマンスにも支障をきたすうえ、咲さんが多忙な時期は頻繁な通院も難しく、見送らざるをえない。かといって、時間がたてばたつほど加齢により妊娠の確率は下がっていく。焦りといらだちが咲さんの心をむしばんでいった。

◆目の前を通る子どもを無視するように…

 何度も採卵と胚移植を試みるも、いっこうに子供を授かることができない石岡さん夫婦。咲さんの子宮内の環境があまりよくないのが理由だった。

「不妊治療をはじめて2年くらい経った頃から、僕の中では、そしておそらく咲の中でも、『もう、無理なんじゃないか?』という考えが頭をもたげるようになりました。無邪気に自然妊娠を狙っていた頃、ふたりであんなに話していた子供のことを、一切話さなくなったんです。名前は何にしようか、子供部屋を確保したらあなたの書斎はなくなるね、なんて毎晩のようにワイワイキャッキャ。そんなことをしてる暇があったら、1日でも早く不妊治療に踏み切るべきでした……

 石岡さんは後悔を口にした。

「当時は、新居近くの公園や電車内で子供が走り回っていると、『元気だね〜』とか『うちの子もああなるかな、目が離せないから大変だね〜』なんて微笑みながら話していたものですが、不妊治療が難航するにしたがって、ふたりとも口をつぐむようになりました。目の前を子供が走り去っていっても、“まるで子供なんか通らなかったかのように”無視するようになったんです

◆3年間、300万円近くを使って断念

 夫婦の関係性にも変化があった。

「くだらないことで心から笑い合うことがなくなりました。以前は、僕がワイドショーのコメンテーターのモノマネをして彼女を笑わせたり、撮りあった互いの顔写真をアプリで変顔に加工して腹がよじれるほど爆笑したりしていましたが、そういうことが一切なくなったんです。

毎年、咲の誕生日は、彼女が行ってみたい高級店を僕が予約することになっていたんですが、不妊治療2年目にどこに行きたいか聞いたら、『今年は別にいいかな。それでなくてもお金かかるし』と、テレビから視線を外さずに言われて……。何も言い返せませんでした」

 やがて不妊治療をスタートして3年が経過。累計費用は300万円近くにまで達していた。石岡さん46歳、咲さん39歳。“その日”はやってくる。

「何度目かの胚移植に失敗して、咲に生理が来てしまった日のことです。“撃沈”にはもう慣れっこになっていましたが、夕食の後で僕が席を立とうとすると、咲が青白い顔で『もう、やめようか? やめていい?』と言いました。僕は『そうしよう。今までよくがんばったね、ありがとう』とねぎらいましたが、彼女は放心状態。僕はそれ以上言葉をかけられず、そっとしておきました」

◆視界に入るものすべてが地獄

 数週間は何事もない日が続いた。しかし、ある日のこと。

「寝る時間になっても咲がベッドに来ないんです。おかしいと思って洗面所に行くと、彼女が小さく嗚咽していました。『おおぅ、おおぅ……』って。蛇口から水を出しっぱなしにしながら」

 石岡さんが声をかけると、咲さんは洗面所の冷たい床にへたりこみ、苦しい胸の内をぶちまけた。

視界に入るものすべてが地獄だと僕に言いました。日々報じられる芸能人の妊娠や出産ニュース。街ではしゃぎまわっている子供たち。何を見ても“何か”を思い出す、耐えられない、気が狂いそうだと……」

 石岡さんが今までに見たこともないほど咲さんは取り乱し、泣きじゃくっていた。

「こうも言いました。世の中にいるすべての人間は、ひとり残らず誰かが産み落とした。なのに自分は、この人間社会の当たり前の営みに参加できない。人類の大きなサークルに入ることができない。こんな絶望ってある!? ねえ? そう詰め寄られました」

 咲さんがその夜に爆発した理由は、後日判明する。1年ほど前に結婚した咲さんの従姉妹(当時33歳)に第一子が誕生したと、その日の日中に咲さんの母親から連絡があったのだ。母親からの「出産祝い、どうする?」が引き金になったようだった。

「自分がこんなにも苦労して、莫大なお金を使ったあげく、結局子供を授かれなかったのに、5つ歳下の従姉妹はいとも簡単に授かった。そのうえニコニコして出産祝いまで包まなければならないなんて……。そりゃあ、やりきれないでしょうよ」

◆“いる”だけで幸せなのに…

 石岡さんによれば、咲さんはもともと、人をやっかんだり、罵倒したりするような人間ではなかった。しかし、その夜の咲さんは違ったという。

「彼女は吐き捨てるように言いました。どんなに頭からっぽなモデルあがりの芸能人にも、誰とでも寝ると有名だった中学時代の同級生にも、子供がいる。なのに、私にはいない。今まで下に見ていた、自分よりイタい人生だと思っていた人たちが、自分には絶対持てないものを持っている。でも私は持ってない。それが悔しいし、そういう下劣なやっかみの感情を抑えられない自分が嫌になる、と」

 まるで咲さんが憑依しているかのように、感情をこめて話す石岡さん。

“育児が大変”みたいなブログやコミックエッセイって、結局自慢でしょ? “いる”んだったら、それでもう、いいじゃない。私なんて、“いない”んだよ!? だいたい贅沢なんだよね。“いる”なら、“いる”だけで幸せじゃない。そんなちっちゃいことで文句言わないでって思う」

◆「妻の“生々しさ”に吐き気を催した」

 これは咲さんの言葉の反芻なのか、石岡さんの気持ちの表明なのか。

「子育てブログやTwitterのママ垢には、“旦那が育児してくれない。旦那死ね。毎日が地獄”って書いてあるじゃない。でも私、思っちゃうんだよ。授かることさえできれば、ワンオペでもなんでもいい。咲はそう言いながら、洗面所の壁や床をグーで何度も叩いていました」

 あんなに口汚い彼女をはじめて見ました、と石岡さんは悲しそうに言った。

「咲の裸の人間性を初めて見た気がします。いたたまれなくて、胸が張り裂けそうでした。ただ正直言えば、感情むき出しの咲に怯(ひる)んでいる僕もいて……。彼女の生々しさに、少しこう、吐き気を催したというか……

 「吐き気」という言葉に、発した石岡さん自身が怯んでいるように見えた。

◆機械のように「いいね!」を押し続ける罰

 気がつけば何時間も経過し、深夜3時を過ぎていた。ふたりとも翌日は仕事だったが、とても眠れるような状況ではない。

「咲は、頭の中に溜まった澱(おり)を、ひとつ残らず吐き出そうとしていました。僕に、というよりはこの世界全体に向けて」

 咲さんの絶望の矛先はFacebookにも向けられた。咲さんは、学生時代の友人や職場の同僚が投稿する我が子の成長写真に、今まで律儀に“いいね!”を押し続けていたそうだ。

「もう無理、もう無理って、消え入りそうな声で言うんですよ。僕は、“いいね!”なんて押さなくてもいいじゃない。投稿を非表示にすれば……と言いかけたんですが、鋭い声で『できるわけない!』と遮(さえぎ)られました」

 それは、なぜか。

今までずっと“いいね!”を押してきた私が、突然押さなくなったら、友人や同僚たちはきっと変に思う。“何か”を、思う。それに耐えられないし、怖い。私はこれからもずっと、あの人たちの子供の写真を見て、機械のように“いいね!”を押し続けるしかない。そんなの無理だよう、無理だよう……って。子供みたいに泣きじゃくるんです」

 深い溜息をついて、石岡さんは言った。

「咲が言うんですよ。これは何の罰? ねえ、何の罰?って」

◆「意識の高い夫婦だって思われるのが、死ぬほど嫌」

 ここから先の咲さんの言葉は、さらに重い。

「咲は言いました。私は“子供を作らない人生を選んだ意識の高い夫婦”だって思われるのが、死ぬほど嫌。できれば名札をつけて外を歩きたい。『私たち夫婦に子供がいないのは、作らないからではなく、できないからです』って。

ライフスタイルとして子供を作らないお気楽な夫婦と、一緒にしてほしくない。私はね、欲しいけどできなかったんだよ。ものすごく努力して、バカみたいに時間もお金もかけて、卵巣に何度も針を刺して地獄の苦しみを味わったけど、それでもできなかったんだよって。首に看板かけて、一生言い続けたいくらいなの。でも、世間はきっと、そういうふうには見てくれない。

私はこれから、Facebookによくいる、子供はいないけど夫婦ふたりで大人ライフを満喫してますよ、私たちはささやかな幸せを味わってますよ、足りてますよって、日々自己催眠みたいに投稿する人たちと、同じ“側”の人間になるんだって。これからは“そっち側”の人間として扱われるんだって。そう言って、オンオン泣きました」

 石岡さんは、いくら頭を回しても、かける言葉が出てこなかったという。

「1mmの反論も反証もできない、人間の完璧な絶望というものに立ち会いました」

 石岡さんは言い淀み、そして絞り出すように言った。

「その時、思ってしまったんです。こんなことなら、子供なんて欲しがらなければよかったって」

 石岡さんは今から8年前、40歳のときに急に子供が欲しくなった理由を話し始めた。

(次回につづく)

<文/稲田豊史 イラスト/大橋裕之 取材協力/バツイチ会>

【稲田豊史】

編集者/ライター。1974年生まれ。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年よりフリーランス。著書に『ぼくたちの離婚』(角川新書)、コミック『ぼくたちの離婚1』(漫画:雨群、集英社)、『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』(PLANETS)、『セーラームーン世代の社会論』(すばる舎リンケージ)。「SPA!」「サイゾー」などで執筆。

【WEB】inadatoyoshi.com 【Twitter】@Yutaka_Kasuga

2021/4/18 15:47

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