政治系ユーチューバーが語る「間違いに気づいたときの対処法」
チャンネル登録者数は70万人を超える、人気政治系ユーチューバーのKAZUYA。政治的スタンスは「ライトなライト」(軽い右寄り)を自認する。日本の未来に光をともすべく、難解な政治ニュースや社会問題を軽やかに、明るく、面白く斬る!
◆間違いに気づいたとき、一貫性にこだわるのか、柔軟に考えられるのか
3月で33歳になりました。
30歳を超えたら「おっさん・おばさん」だと思っていた幼少期。いざその自分が30歳を超えてみると……うん、たしかにおっさんかもしれない。体重も増えるし、体力もなくなるし(自己責任です)。
歳を重ねてこそ気をつけたいと思っているのが、「柔軟に考える」ということです。歳を重ねて、さまざまな経験や知識を得ると、自分の中でさまざまなものに固定観念ができていきます。しかし時代が変わると、社会の価値観自体が変わるということもある話です。スマホ時代になってあらゆるものが変わりました。
スマホに関連する新しい産業が生まれ、一方で衰退していく価値観や産業も出てきます。それは仕方ないことです。ただ常に新しいものができていく私たちの社会において、認識のほうはすぐについてこない場合もあります。
◆認識は時間をかけて形成していくもの。急には変えられない
昔は当たり前だったのかもしれない認識が、現代ではアウトになりがちです。例えば少し前に問題になった森喜朗氏はその典型でしょう。東京五輪組織委員会会長として日本オリンピック委員会(JOC)の臨時評議員会で述べた「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります」との挨拶が問題になりました。
個人的には森氏を過剰に叩きすぎだなという印象です。しかし本人も謝罪会見で認めているように、問題なのは間違いありません。「女性が」で括っていますが、そんなのは人によります。ただこの世代の認識はいくら社会から叩かれようと、もう変わらないのではないかと思うのです。いや、それも人によるか。
組織委員会の会長を辞任した後、3月26日に行われた自民党の河村建夫元官房長官のパーティで「河村さんの部屋に大変なおばちゃんがいる。女性と言うには、あまりにもお年だ」と挨拶してまた問題になっています。
あれだけ叩かれても、またヤバい発言をしてしまっているのでもう森氏に期待するほうが間違っているのでしょう。そして森氏を叩き潰したところでどうにもなりません。
認識は時間をかけて形成していくものですから、急には変えられないのです。森氏は現在83歳です。83年間積み重ねてきた認識は、もはや強固な岩盤のようです。ですから問題発言への批判は仕方ないにしろ、過剰にやったところで得るものはありません。
そして自分はそうならないと思っていても、あと50年もしたらどうなっているかわかりません。それでも柔軟に考え続ける努力は必要でしょう。
◆決めつけは思考の幅を狭める
柔軟に考える上で気をつけるべきなのは、「保守だったら○○」、「リベラルだったら△△」のように決めつけすぎないことです。一気に思考の幅がなくなってしまいます。
別に同性婚や選択的夫婦別姓に前向きだったり、脱原発を志す「保守」がいてもいいし、自主防衛を目指すリベラルがいてもいいのではないでしょうか。そこでいろいろ議論したらいいでしょう。
しかしネットでは、そのわかりやすさゆえか、「〇〇だったら△△」になりがちです。そしてその枠から外れると叩かれることだってあります。ネットには大小さまざまな「界隈」があって、日々、ツイッター等で固定観念を共同で強固にしているようなものです。十分に気をつける必要があります。
◆一貫性にこだわりすぎてはいけない
もう一つ言っておきたいのは「一貫性にこだわりすぎてはいけない」ということです。普通、社会生活を送るうえで一貫性はあるほうがいいに決まっています。すべてが一貫性なくコロコロ変わってしまっては、仕事もうまく進まないでしょう。しかし、間違ったことで一貫性を発揮されるともっと間違えることになるので、臨機応変な対応が求められます。
人間誰しも間違えたくないですし、間違った場合でも容易に認められないのが人情です。第1回の連載で書きましたが、一部のトランプ支持者はもろに一貫性の法則が生きています。もうバイデン大統領が就任して2か月以上経過しましたが、いまだに認められない人もいる様子です……。
『影響力の武器』という有名な心理学の本がありますが、その中に「コミットメントと一貫性」という話が出てきます。要はコミットメント(立場を明確にしたり、公言したりする)すると、人間は一貫性を保とうと行動してしまうものだということです。
一部トランプ支持者はツイッター等で自主的にコミットメントを表明し、図らずも自らに“一貫性の法則”の呪縛をかけてしまいました。
一貫性を保とうとしても不都合な情報が出る場合があります。そんなとき人はそれを認めることができず、間違った一貫性を守るために事実の解釈を変えてしまいます。そんなのは問題の先送りでしかなく、底なし沼に自分から突っ込んでいくようなものでしょう。
◆ブレたと言われてでも修正したほうがよほどいい
一度何かを支持しても、人間誰しも間違いはあるのですから、自分を省みて前に進むべきでしょう。そういう意味で一貫性にこだわりすぎないというのも大事なことなのです。
方針を変えると「ブレた」と言われることもありますが、間違った方向に間違ったまま進むより、ブレたと言われてでも修正したほうがよほどいいです。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
本当にいい言葉だと思います。今回は柔軟に考えることについて書いてきましたが、実際に自分がもっと年寄りになったら、その時代の認識についていけないただの偏屈じいさんになっている可能性もあります。しかし、なるべく謙虚に柔軟に考え続けて歳を重ねて生きたいと思います。
◆今週の一言
間違えたときは「ブレた」と言われても過ちを認め、修正するほうがよほどいい
<文/KAZUYA>
―[ライトなライト論]―
【KAZUYA】
動画配信者、作家。1988年、北海道帯広市生まれ。2012年より、YouTubeとニコニコ動画にて「KAZUYACHANNEL」を開設し、政治や歴史、社会問題などのニュースをほぼ毎日配信する。YouTubeのチャンネル登録者数は70万人超、ツイッターのフォロワーは11万人超。『日本人が知っておくべき「戦争」の話』など著書多数
◆間違いに気づいたとき、一貫性にこだわるのか、柔軟に考えられるのか
3月で33歳になりました。
30歳を超えたら「おっさん・おばさん」だと思っていた幼少期。いざその自分が30歳を超えてみると……うん、たしかにおっさんかもしれない。体重も増えるし、体力もなくなるし(自己責任です)。
歳を重ねてこそ気をつけたいと思っているのが、「柔軟に考える」ということです。歳を重ねて、さまざまな経験や知識を得ると、自分の中でさまざまなものに固定観念ができていきます。しかし時代が変わると、社会の価値観自体が変わるということもある話です。スマホ時代になってあらゆるものが変わりました。
スマホに関連する新しい産業が生まれ、一方で衰退していく価値観や産業も出てきます。それは仕方ないことです。ただ常に新しいものができていく私たちの社会において、認識のほうはすぐについてこない場合もあります。
◆認識は時間をかけて形成していくもの。急には変えられない
昔は当たり前だったのかもしれない認識が、現代ではアウトになりがちです。例えば少し前に問題になった森喜朗氏はその典型でしょう。東京五輪組織委員会会長として日本オリンピック委員会(JOC)の臨時評議員会で述べた「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります」との挨拶が問題になりました。
個人的には森氏を過剰に叩きすぎだなという印象です。しかし本人も謝罪会見で認めているように、問題なのは間違いありません。「女性が」で括っていますが、そんなのは人によります。ただこの世代の認識はいくら社会から叩かれようと、もう変わらないのではないかと思うのです。いや、それも人によるか。
組織委員会の会長を辞任した後、3月26日に行われた自民党の河村建夫元官房長官のパーティで「河村さんの部屋に大変なおばちゃんがいる。女性と言うには、あまりにもお年だ」と挨拶してまた問題になっています。
あれだけ叩かれても、またヤバい発言をしてしまっているのでもう森氏に期待するほうが間違っているのでしょう。そして森氏を叩き潰したところでどうにもなりません。
認識は時間をかけて形成していくものですから、急には変えられないのです。森氏は現在83歳です。83年間積み重ねてきた認識は、もはや強固な岩盤のようです。ですから問題発言への批判は仕方ないにしろ、過剰にやったところで得るものはありません。
そして自分はそうならないと思っていても、あと50年もしたらどうなっているかわかりません。それでも柔軟に考え続ける努力は必要でしょう。
◆決めつけは思考の幅を狭める
柔軟に考える上で気をつけるべきなのは、「保守だったら○○」、「リベラルだったら△△」のように決めつけすぎないことです。一気に思考の幅がなくなってしまいます。
別に同性婚や選択的夫婦別姓に前向きだったり、脱原発を志す「保守」がいてもいいし、自主防衛を目指すリベラルがいてもいいのではないでしょうか。そこでいろいろ議論したらいいでしょう。
しかしネットでは、そのわかりやすさゆえか、「〇〇だったら△△」になりがちです。そしてその枠から外れると叩かれることだってあります。ネットには大小さまざまな「界隈」があって、日々、ツイッター等で固定観念を共同で強固にしているようなものです。十分に気をつける必要があります。
◆一貫性にこだわりすぎてはいけない
もう一つ言っておきたいのは「一貫性にこだわりすぎてはいけない」ということです。普通、社会生活を送るうえで一貫性はあるほうがいいに決まっています。すべてが一貫性なくコロコロ変わってしまっては、仕事もうまく進まないでしょう。しかし、間違ったことで一貫性を発揮されるともっと間違えることになるので、臨機応変な対応が求められます。
人間誰しも間違えたくないですし、間違った場合でも容易に認められないのが人情です。第1回の連載で書きましたが、一部のトランプ支持者はもろに一貫性の法則が生きています。もうバイデン大統領が就任して2か月以上経過しましたが、いまだに認められない人もいる様子です……。
『影響力の武器』という有名な心理学の本がありますが、その中に「コミットメントと一貫性」という話が出てきます。要はコミットメント(立場を明確にしたり、公言したりする)すると、人間は一貫性を保とうと行動してしまうものだということです。
一部トランプ支持者はツイッター等で自主的にコミットメントを表明し、図らずも自らに“一貫性の法則”の呪縛をかけてしまいました。
一貫性を保とうとしても不都合な情報が出る場合があります。そんなとき人はそれを認めることができず、間違った一貫性を守るために事実の解釈を変えてしまいます。そんなのは問題の先送りでしかなく、底なし沼に自分から突っ込んでいくようなものでしょう。
◆ブレたと言われてでも修正したほうがよほどいい
一度何かを支持しても、人間誰しも間違いはあるのですから、自分を省みて前に進むべきでしょう。そういう意味で一貫性にこだわりすぎないというのも大事なことなのです。
方針を変えると「ブレた」と言われることもありますが、間違った方向に間違ったまま進むより、ブレたと言われてでも修正したほうがよほどいいです。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
本当にいい言葉だと思います。今回は柔軟に考えることについて書いてきましたが、実際に自分がもっと年寄りになったら、その時代の認識についていけないただの偏屈じいさんになっている可能性もあります。しかし、なるべく謙虚に柔軟に考え続けて歳を重ねて生きたいと思います。
◆今週の一言
間違えたときは「ブレた」と言われても過ちを認め、修正するほうがよほどいい
<文/KAZUYA>
―[ライトなライト論]―
【KAZUYA】
動画配信者、作家。1988年、北海道帯広市生まれ。2012年より、YouTubeとニコニコ動画にて「KAZUYACHANNEL」を開設し、政治や歴史、社会問題などのニュースをほぼ毎日配信する。YouTubeのチャンネル登録者数は70万人超、ツイッターのフォロワーは11万人超。『日本人が知っておくべき「戦争」の話』など著書多数
関連リンク
- 4/17 15:52
- 日刊SPA!
