24歳アダマ・トラオレ、ギャングから誘われた過去を告白

拡大画像を見る

カタルーニャ州のルスピタレート・ダ・リュブラガートは、ヨーロッパで最も密集した地域のひとつである。茅葺屋根の家に住んでいた人々を保護すべく、50年代から開発が進められた地域だ。

この辺りで象徴的な飛び地であるラ・フロリダ区には、より高い水準の生活を求めてカタルーニャに移住した多くの人々が住んでおり、アダマ・トラオレもこの地で育った。

現在ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFCでプレーする彼は、『SPORT』の独占インタビューに登場し、過去と現在を振り返っている。

ーー試合後、最初に誰に電話しますか?

僕の家族、いつも両親と話すよ。

ーースペインに来た時、彼ら(両親)はあなたに何と伝えたのですか?

僕の父は23〜25歳の時に、スペインの親戚の家に行った。父は数年働き、少し落ち着いてから家を構え、父は務めていた『日産』の清掃員だった母と出会ったと言っていたよ。

ーールスピタレートで生まれたんですか?

僕はバルセロナ、カンプ・ノウの隣の産科病院で生まれたんだ。人生の大部分をフロリダブロックと呼ばれるルスピタレートの一部で過ごした。ここは海外からの多くの人々や移民がいて、異なる文化を持つ小さな町のようなところだった。兄と僕は、多くのジプシーが住んでいたブロックの通りで、友達と一緒にサッカーを始めたんだ。

ーー(サッカーした場所は)広場やピッチで?

ブロックの真ん中にあるフットサルコートのような場所だったが、現在はなくなってしまった。バルサとエスパニョールでプレーしたことがあったから、僕ら兄弟は街でよく知られていて、近所全体が私たちと対戦したがっていた。サンタ・エウラリア、コルブラン、あらゆる地域からやってきた人たちがいたよ。だから僕たちは小さなトーナメントをつくって、すべてのチームと対戦できるようにしたんだ。僕らが勝ち続けると、人々は「ねぇ、とっても凄い2人がいるよ」と言って、挑戦者が次々とやって来たよ。

ーーその文化的およびスポーツ的な交流は、あなたの人生を豊かにしてくれる存在でしたか?

まさにその通り。両親は僕らをサッカー界に入れた。両親は僕が好きなスポーツ界で働かせたいと思ったみたいで、僕が育った地域では、喧嘩は日常茶飯事で、多くのストリートギャングたちによる問題があった。僕たち兄弟やサッカーをした仲間たちは、どこの出身でどんな文化から来たかは気にしていなくて、サッカーが全員を結びつけたんだ。

ーーすべての地域の人たちが同じチームとしてプレーしていたのですか?

混ざっていたね。僕の旧友と僕は、ジプシー、モロッコ人、ドミニカ人、スペイン人、他のアフリカ人とも遊んでいたな...。雰囲気がよかったし、みんなそれぞれ自分の飲み物を持ってきていた。ゲームに参加するには、まず誰かと知り合いになる必要があったけれど、一度受け入れられたら問題なんてなかった。ある種の口論があった場合に備えて、時々審判を置くことはあったけどね。

ーージプシーやアフリカ系のプロがほぼいないのはなぜだと思いますか?プロになりたくない、またはさせてもらえないとか?

諦めているわけではないよ。僕は神と自分がプロになるのを助けてくれた人々に感謝しているし、人生で何を望んでいるかにもよると思う。それぞれの状況に応じて、プロへの道はもより簡単か、あるいはもっと困難になるかもしれないが、何かをしたい場合、まずはアクションを起こし、そこからゆっくりと結果が来る。

ーーギャングに誘われたことはありますか?

そうそうそう、何回もね。僕や兄、ドミニカ共和国の友人、みんなもだよ。当時、ギャングに入るのが人気だった。しかし、僕たちは別のメンタリティを持っていた。サッカー選手になりたかったんだ。どんなギャングの集団にも、どんな種類の喧嘩にも加わりたくなかった。でも喧嘩はほぼ毎日見ていたな。

ーー彼らの喧嘩を見たことがありますか?

僕は彼らのそばにいたからね、もちろんだよ。僕がいた学校にはギャングがいた。そして、彼らは絶えず喧嘩していたよ。今は皆がルスピタレートで素晴らしい仕事をしているし、すべてが落ち着いたよ。

ーー銃も見たことがありますか?

僕は見たし、バットやナイフ、ボトル、武器となるすべての道具を使った喧嘩を見てきた。

ーー私(インタビュアー)はバルセロナ出身ですが、まるで他の国について話をしているように聞こえます。

そうだね、わかるよ。ルスピタレートの外では何度もあったのが、IDにルスピタレートから来たと記されていたら、入れてもらえないといった特定のディスコがあった。僕は生まれた場所によって区別するのではなく、どのように育てられたのか、メンタリティや目標は何であるかによって自分のアイデンティティが判断されると思っているよ。

ーーあなたは今もルスピタレートに行きますか?

もちろんさ。今はスタジアムがないけれど、いつか建設したいと思っているよ。若い人たちが他のことに集中するのではなく、スポーツで健康的な何かに集中するのも良いと思うから...。僕たちは競争し、勝ち負けを決めたり、トロフィーを取る賭け事で遊びもしたり、人生における思い出ができたよ。

ーー非常に優れていたのに、ギャングの集団に入ってサッカーを辞めた選手はいましたか?

あまりにもたくさんいたな。僕は彼らと一緒にプレーしたり対戦して、信じられないほどの素質を持つ人たちにもあった。けれども、麻薬やギャング、人間関係のトラブルによって最終的にはいなくなった。ギャングは地域ごとにあった。どこに行くかによって、彼らはこう言うんだ。「お前はどこのグループから来たんだ?なんでここにいるんだ」ってね。もし彼らを知らなかったり、または彼らとの軋轢がなかったら、トラブルに巻き込まれる可能性がある。そして、彼らへの憎しみから、ライバルチームのギャングになった人もいた。多くの場合、このようにして問題は起こっていた。それが複雑な理由だ。自分が何を望んでいるかを知り、集中する必要がある。どこから来ても、近所が危険でも、物事を明確にしている高貴な人々は常にいるものだ。

ーーあなたは他の文化を持つ人々と混ざっていたからなのか、どうしてこんなに大人びているのですか?
※現在24歳

いろいろと見てきたからかな。喧嘩や人々の振る舞い、ギャングの仕組み、またはギャングを取り締まる警察を見て、彼らがどのように働くか、麻薬がどのように動くのかを見てきたからね。そして最も重要なことは、迅速に決めなければならないこと。たとえば、喧嘩でも正しい道を進んでいるか、働き続けているか、すべてを合法的に続けることを望むかどうかを決定する必要がある。もしそこで犯罪に手を染めるものなら、彼らが見逃すコトない。

ーーバルサでなくても、プロになりたかったあなたは、どこかで成功するだろうと思ったはずです。

バルセロナではいくつかの問題があり、それを自分で守りたいと思っていたが、最善の方法で去れなかった。僕は決断を迫られていた。大好きなクラブであるバルサから機会を与えられなかったり、意見が一致しなかった場合、僕は離れなければならなかった。レアル・マドリーに行くのには問題ないだろう。バルセロナは僕の故郷だが、僕のスポーツ精神では、日々最高のものになることが軸にあって、来るべきものには何でもトライしたい。

ーーC・ロナウドのように、トレーニングを止めるためにジムから追い出されたことがありましたか?

子供の頃、僕はすでにスピードという才能を持っていたが、スランプのときには多くの苦しみを経験した。恥骨痛、腱炎があり、爆発的なプレー方法を学び維持するため、筋肉を動かさなければなからかった。僕は別のトレーニングを始めた。ジムに行くが、通常とは異なるトレーニングをしている。いつも過剰にやりすぎるため、僕を止める必要があるね。

ーーあなたが育った地域に行って、彼らがあなたを見たとき、彼らの反応はどうでしたか?

デビューしてから1年後、僕が帰ったとき、「いったい、お前に何が起こったんだ?どうやってこんな風になったんだ?なんて身体に変わったんだ!」ってね。だから僕は彼らにこう言ったよ。「まあ、イギリスのサッカーってやつかな」って。あと僕の彼女は、「どうしてこうなったのかわからないわ!」っていつも冗談を言うよ。

アダマ・トラオレは今季大ブレークし、その圧倒的なフィジカル能力を活かしたドリブルは、並の選手では止められない破壊力を持つ。

今シーズンは主にウルブスの右ウィングを主戦場とし、公式戦40試合の出場で6ゴール10アシストを記録している。ここのまでのハイライトは、現プレミアリーグ王者マンチェスター・シティからシーズンダブルを達成した3ゴール1アシスト(2試合)のパフォーマンスだろうか。

今夏にはEURO2020も控えており、監督ルイス・エンリケ率いるスペイン代表入りも期待されている。

関連リンク

  • 2/29 7:50
  • SPORT.es

スポンサーリンク

記事の無断転載を禁じます