ホスト兼プロレスラーも候補だった「幻の純烈メンバー」たち〜純烈物語<第11回>

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―[白と黒とハッピー~純烈物語]―

◆「白と黒とハッピー~純烈物語」第11回

現役プロレスラーも候補だった
酒井一圭が語る幻の純烈メンバーたち


「一圭がどういうつもりで今のメンバーを集めたのか、実は僕も聞いたことがないんですよ。ぜひ、取材してみてください」

 この連載に関するプレゼンの場で、マネジャーの山本浩光にそう言われた。純烈の成功は、リーダーである酒井一圭の眼力とメンバーそれぞれのポテンシャルなくしてあり得なかった。全員がムード歌謡曲未経験という中で、何を決め手に運命を共有していく者たちを選んだのか。

 以前にも書いたように、純烈は酒井が雑談の中で言っていたアイデアを面白いと思った業界人たちが“上”に持っていった結果、起ち上げられたプロジェクトだった。当初は歌手らしく声や音楽性といった真っ当なところからメンバーを集めようと考えていたが「背が高くてカッコいい人を揃えてください」とのオーダーが入る。

 そのリクエストには応じたものの、酒井の中には戦隊ヒーロー経験者だけで固めたくないとの思いがあった。それだといかにも企画モノっぽく見えてしまうからだ。

 その時点での人脈を思えば“同業者”の方が声をかけやすい。それでも酒井はスタートから妥協しなかった。
 まず、リードボーカルとして誘ったのは『救急戦隊ゴーゴーファイブ』でゴーレッド役を務めた西岡竜一朗。俳優・西岡徳馬の甥っ子でもある。

 '03年に白川裕二郎が時代劇『天罰屋くれない』へレギュラー出演した時に、酒井がゲストとして京都太秦の撮影現場へいった。そこで一緒だったのが西岡と友井雄亮で、夜な夜な街へと繰り出した。

 そのままカラオケに突入。白川の歌を聴いて酒井がメンバーに誘った話はファンの間で知られているがおとぎ話だが、西岡の声もよかった。

「僕は白川をSPEEDでいうところの上原多香子のポジションに置きたかったんです。メインボーカルの後ろにいるキレイどころという位置づけ。西岡君も男前なんだけど、年齢的におじさんが入ってきて、ちょうど二枚目でくくれぬいい味がにじみ出るようになっていた。本当にいい唄を歌う人は、顔がいいことが邪魔するというのが僕の考えで。それでリードが西岡、コーラスが白川でいこうと思ったんです」

◆歌舞伎町のナンバーワンホストが純烈へ!?

 だが、その時点で西岡がバイクをカスタマイズする店を経営しており、2店舗目も開いたばかりだった。純烈との両立についても熟考してもらったが「やっぱり先にバイク屋を始めちゃっているし、従業員もいるからそれを放り出すわけにはいかない」となった。

「いやいや竜ちゃん、それは純烈をなんとかしなきゃいけない俺も同じだよ。だからここで握手して別れよう」

 構想の時点で、酒井は純烈のメンバーを「5人以上」と考えていた。2人はコンビ、3人はトリオ、4人はカルテットとここまでよく使われるし、グループ名に入っているケースも多い。

「カルテットよりも多い」と思わせる程度の理由だったが、それもあって酒井の頭の中には10人ほどの候補があった。俳優出身者以外では1998年の第11回「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」でグランプリを獲得した金田直もその一人。

『百獣戦隊ガオレンジャー』は、酒井を含む5人の戦士に途中から1人加わった。そのガオシルバー役が、のちに映画『逆境ナイン』の不屈闘志を見事なまでに暑苦しく演じ絶賛される玉山鉄二だった。

 玉山は最初ガオレンジャーオーディションで落ちたのだが、シルバーを登場させるとなった時に誰の頭にも浮かぶような存在だった。役者としての姿勢が変わっていないか確認するべく、酒井は栃木の採石場からガオレッド役の金子昇が走らせるビッグスター(スクーター)に乗って銀座を目指した。

 オーディションの場にガオレッドがそのままの姿で立ち、審査員席にはガオブラックもいるというシチュエーション。結果的に玉山は合格したのだが、その所属事務所であるメリーゴーランドの森本精人社長がプッシュしてくれたと恩義を感じ、ガオレンジャー終了後にスタッフとして酒井を誘う。

 森本は渡辺プロダクション出身で、沢田研二のマネジャーを長きにわたり務め、その後は吉川晃司を広島から発掘した人物だった。酒井は「あの時のジュリーはどうだったんですか? 昭和の芸能界ってどんな世界だったんですか?」という感じでガオブラックのころから取材しまくり、気心も知れていた。

 そのメリーゴーランドが、ジュノンボーイも手がけていた関係で酒井が金田のプロフィールを持たされた。話を聞くと「音楽をやってみたい」というのでエイベックスに連れていったこともあったが、純烈のメンバーにはならなかった。

 候補の中で一番の変わり種は美月凛音と思われる。この名前を見てピンときた方はマニアックなプロレスファンであり「ええっ!?」となる歌舞伎町に通うマダムもいるだろう。

 ホストクラブ「ロマンス」でナンバーワンホストとなり、現在は殿堂入りを果たしている人物であり、現役のプロレスラーでもある。もっとも2人の出逢いは、まだ美月が世に出る前のことだった。

「僕がロフトプラスワンのプロデューサーをやっていた時にひょっこり現れたんです。まだ美月凛音を名乗っていない、本名の清水一星としてね。話を聞くと『僕、仮面ライダーになりたいんです』という。それでまずは、僕がトークイベントを担当していた読売新聞の記者をやっている鈴木美潮さんを紹介したんです。

 鈴木さんはその過剰なヒーロー愛で記事を書いたり俳優さんたちのインタビューをしたりしていて、イベントも開いていたんです。各戦隊の赤の俳優だけを集めた『赤祭り』みたいなマニアックなものをね。それで、イベントになると一星は声を枯らして物販を手伝っていた。ああ、こいつは本気だなって思ったんです」

 仮面ライダーとともに、プロレスラーにもなりたいと思っていた美月はある日、酒井にこう切り出した。「ホストをやって、そこでナンバーワンになったらその話題性でプロレスラーにステップアップできると思いました。なので、いったん就職しようと思います」

 そして美月は本当に店で一番の指名を取るようになり、ナンバーワンホストの触れ込みでDDTプロレスリングにも上がるようになる。その頃には酒井も「マッスル」へ出ていたが、周囲に自分たちの関係性は言わないでいた。

「そういう話をしたら、プロレスラー・美月凛音にとって邪魔になるんじゃないかと思ったんです。相当な覚悟を持ってチャレンジしているのに、よけいなことはしたくなかった。ホスト上がりということで、なかなか認めてもらえなかったですから。でも、地道に頑張ってきた姿を見ていた分、デビューした時は本当に嬉しかったですよね」

◆「ホストだろうがプロレスラーになろうが、純烈のメンバーにもなってもらいたかった」

 ナンバーワンホストとして崇められるようになっても、美月はヒーローモノのイベント会場に来てTシャツ姿の清水一星に戻り、グッズを売った。そこから「すいません、同伴があるんでお先に失礼させていただきます」と頭を下げて出勤していった。

 俳優出身者は一途すぎるところがあり、セルフプロデュースがうまくできないケースを酒井は見てきた。美月は、自分がなりたいと思うものを達成させるために何をすべきかを見極めるプロデュース力と、行動力を備えていた。

「根性あるなと思いました。ホストになるのって、やっぱりちゅうちょするものじゃないですか。でも一星はそこにも突っ込んでいった。明治大学を卒業して、宅建(宅地建物取引士)の資格も取得しているような男ですよ。ホント、ノドから手が出るほど欲しかったですね。ホストだろうがプロレスラーになろうが、純烈のメンバーにもなってもらいたかった」

 純烈のスタート地点である三軒茶屋のスタジオにおけるボイストレーニングの場までは、美月もいたという。しかし、やはり三足の草鞋を履くのは難しかった。彼と西岡、そして『未来戦隊タイムレンジャー』のタイムイエロー役・和泉宗兵の3人が“三茶メンバー”である。

「あいつもキッチリとした形で俳優を続けたいというのでシェイクハンドしました。バイク屋、ナンバーワンホスト、そして俳優として成功した3人は誇りだし、自分の目に狂いはなかったんだと思えます。純烈として何もいい結果を出せていなかった時期に、彼らの活躍を見て俺も頑張らなきゃ!と刺激を与えもらえました」

 幻のメンバーたちも、純烈が成功する上で外すことのできぬ存在なのだろう。昨年結成40周年を迎えたイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)も細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏以外に横尾忠則が演奏をしないメンバーになるというプランがあった。

 結成会見に遅れたことでそれは流れたのだが、ファンの間では「もし本当に入っていたら……」という妄想は今もなされている。美月の話は、プロレスの現場にいた一人としても聞かされていなかった。

 この取材後のステージを眺めた時、頭の中で美月の姿を加えてみた。確かに、なんら違和感はなかった――。

撮影/ヤナガワゴーッ!

―[白と黒とハッピー~純烈物語]―

【鈴木健.txt】
(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxt、facebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」

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