【沖縄で発見、保護!】球界マスコット第1号が辿った数奇な運命とは?【なんちゃってつば九郎】
8月末に実施された日本ハムの「レジェンドシリーズ」。大谷翔平ら現代のハム戦士たちがまとった往年のオレンジユニフォーム姿は実に新鮮だった。そしてこの「レジェンドシリーズ」ではユニフォーム以外にも球団初代マスコット「ギョロタン」と、2代目「ファイティー」も復活し、ファンの話題を集めた。ギョロタンが活躍したのは1980年前半。一体、プロ野球のマスコットはいつ頃から存在したのだろうか? 球界のうんちくに詳しい『週刊野球太郎』編集部に話を聞いた。
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日本ハムファイターズの初代マスコットである「ギョロタン」が登場したのは1980年のこと。そして、この「ギョロタン」こそが球界初のマスコットだ、という説がある。球界のさまざまな「第1号」を取り上げた本『その時、プロ野球が動いた』(東京書店)でも、1980年に生まれたギョロタンが球団マスコットの第1号だと記されている
しかし、これに異を唱えたのがヤクルトスワローズ。それ以前年から燕をモチーフにしたマスコットがいた、と自ら名乗り出たのだ。といっても、もちろん「つば九郎」ではない(つば九郎の登場は1994年)。
『スポーツ・マスコット図鑑』(PHP研究所)によると、ヤクルトでは1979年頃から「ヤー坊」と「スーちゃん」という燕のマスコット(と着ぐるみ)を採用。さらにその前年の1978 年、スワローズが初優勝を飾った時の写真に、「ヤー坊」、「スーちゃん」に似た着ぐるみが写っていたのだ。名前こそ不明だが、これこそ、のちの「ヤー坊」、「スーちゃん」の原型だといわれている。
整理すると、1978年には何らかの燕の着ぐるみが存在していた。だが、名前もついたマスコットとしては1979年の「ヤー坊」、「スーちゃん」が球界初。「ギョロタン」はパ・リーグ初のマスコット、ということになる。
ちなみに、球界初の名前つき着ぐるみマスコットである「ヤー坊」、「スーちゃん」、長らく行方不明だったのが、今年発見されたことでも一時期ニュースになった。発見場所は沖縄県浦添市。浦添市から浦添署に貸し出され、今年2月に飲酒運転の根絶を呼び掛ける際に使用したツバメの着ぐるみがつば九郎に似ていたことから「なんちゃってつば九郎」と名乗って交通安全活動を開始。するとこれがネットで話題になり、球団が気付いて市に問い合わせたところ、長らく行方不明だった「ヤー坊」、「スーちゃん」の「ヤー坊」であることが判明したのだ。
実は2003年3月に、浦添キャンプの記念としてヤクルト側から「ヤー坊」と「スーちゃん」の着ぐるみを浦添市に寄贈。しかし、担当職員が交代したことで寄贈の経緯や正式な名前がわからなくなり、“謎の鳥”として市役所の倉庫でずっと眠っていたという。
球界を賑わす「つば九郎」のお騒がせぶりは、先代から引き継がれたものだった、ということか。
※画像は本物の「つば九郎」です。
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