今こそ振り返る、ナゴヤ球場火災事故

 今年、80周年をむかえた日本プロ野球。その長い歴史のなかでは、忘れてはならない悲劇的な事故が起きたこともある。そんな事故の1つが、63年前の今日8月19日に起きたナゴヤ球場火災事故だ。野球界の歴史に詳しいスマホサイト『週刊野球太郎』編集部に、火災事故の原因や背景について教えてもらった。

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 1997(平成9)年にナゴヤドームができるまで、中日ドラゴンズの本拠地は「ナゴヤ球場」だった。だが、プロ野球公式戦がスタートした1936(昭和11)年当時、名古屋軍が試合を行ったのはもっぱら東京の後楽園球場、そして関西の甲子園球場と西宮球場ばかり。名古屋在住の野球ファンにとっては、「地元に球場がある」ということは悲願だった。

 そんなファンの願いを受け、1948(昭和23)年に遂に「ナゴヤ球場」が完成。開場当時は「中日スタヂアム」と呼ばれ、ファンには「中日球場」の愛称で親しまれた。収容人数は2万5000人。全て木造でつくられ、完成までわずか1カ月半しかかからなかった。

 ようやく自分たちのチームを地元で応援できる! と、ナゴヤ球場は連日のように満員の観客で溢れかえっていた。しかし、完成から3年後の1951(昭和26)年8月19日、遂に悲劇は起きてしまう。対巨人戦の3回裏、中日の4番・西沢道夫が打席に入ったとき、バックネット裏の指定席上段あたりから火の手があがったのだ。強風によってあっという間に火は燃え上がり、木造スタンドは全焼。死者4人、負傷者318人という大惨事に。もっとも、手当を受けずに帰宅した人も大勢いたと見られ、実際の負傷者はもっと多かったといわれている。出火原因は、観客によるタバコの火の不始末だった。

 だが、ここからの再建が実に早かった。同じ年の11月15日には早くも再建工事が始まり、1952(昭和27)年3月中旬には完成してしまう。さらに、タバコで火災など起きないよう、今度は鉄骨・鉄筋コンクリート製で、収容人数も3万人に増設された。

 ちなみに、再建されたナゴヤ球場でも1990(平成2)年に一度ボヤ騒ぎがあり、試合開始が23分遅れるというハプニングが起こっている。その後、1997(平成9)年にナゴヤドームが完成したことで「中日ドラゴンズの本拠地」としての役目は終えたが、今でも中日の2軍の試合が行われるなど、ナゴヤ球場の歴史は続いている。当時は小さい球場の代名詞的存在だったが、現在はナゴヤドームと同じフェアグラウンドの広さ、フェンスの高さになり、1軍のレギュラーを目指して、日夜、若手選手が練習に励んでいる。

 まだまだ現役の球場だからこそ、過去にはどんな歴史と痛みがあったのかを知ることもファンの務めではないだろうか。

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  • 8/19 11:57
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