祝・2000奪三振! 若気の至りもあった杉内俊哉は日本で唯一の偉業を成し遂げた男でもあった

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 7月12日、東京ドームで行われた巨人vs阪神で、偉大な記録が生まれた。巨人の杉内俊哉投手がプロ野球史上最速で、通算2000奪三振を達成したのだ。
 1930回2/3イニングでの達成は、かつてヤクルトやドジャースでも活躍した石井一久の1967回2/3イニングを抜き、最速で2000奪三振に到達したことになる。

 記録を残した杉内俊哉について、連日、プロアマ問わず野球情報を発信しているスマホサイト『週刊野球太郎』編集部に、そのエピソードを含めて聞いてみた。

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◎松坂世代のドクターK

 杉内俊哉は1980(昭和55)年10月30日、福岡県生まれのいわゆる「松坂世代」の1人だ。鹿児島実高時代は2年連続で甲子園出場を果たし、3年夏の1回戦では八戸工大一高(青森)を相手にノーヒットノーランを記録している。

 2回戦では松坂大輔(メッツ)や後藤武敏(DeNA)らを擁する横浜高(神奈川)と対戦。8回に松坂に本塁打を浴びるなど、6失点で敗れた。

 高校卒業後は社会人野球・三菱重工長崎でプレーし、2000(平成12)年に都市対抗野球大会出場、シドニーオリンピックの日本代表にも選ばれた。翌年のドラフト3巡目でダイエー入団を果たす。

 高校時代から定評のあるタテのカーブは落差が大きく、かつ独特な球筋で当てることすらままならないボールだった。これを武器に、高校3年時の甲子園出場を決めた鹿児島大会では47回2/3イニングで64奪三振を記録するなど、当時から奪三振はとても多かった。
◎プロ入り後の“悲劇”

 社会人出身の投手らしく、プロ入り後は即戦力として大活躍。2年目の2003(平成15)年に10勝をマークし、チームのリーグ優勝、日本一に大きく貢献した。

 しかし、事件は2004(平成16)年に起きた。6月1日のロッテ戦で2回7失点とピッチングは大乱調。杉内は悔しさのあまりベンチで大暴れし、帽子とグラブを投げつけ、さらにはベンチを殴りつけてしまった。バッテリーを組んでいた城島健司に「利き手(でベンチを殴るの)は止めろ!」と抑止されるも、時すでに遅し。右手、左手の順番にベンチを殴った結果、自身の両手の小指を骨折してしまったのだ。この行為と骨折でシーズンを棒に振ることになったソフトバンクは罰金600万円と10日間の謹慎処分を受けることとなった。

◎悔しさをバネに……

 だがしかし、ここから杉内は一流投手の仲間入りを果たしていく。2005(平成17)年のシーズンには18勝、防御率2.11をマークして、最多勝、最優秀防御率を獲得。MVPにも輝き、パ・リーグの左腕投手として初となる沢村賞も受賞した。

 2008年、2009年、2012年には最多奪三振を記録するなど、「ドクターK」ぶりはさらに磨きがかかり、2011年オフには、いろいろあってソフトバンクから巨人にFA移籍。2012年の5月30日、東京ドームの楽天戦で史上75人目となるノーヒットノーランを記録し、唯一、甲子園でもプロ野球でもノーヒットノーランを達成した投手となった。

 ちなみにこのノーヒットノーランは、あの田中将大(現ヤンキース)と投げ合った試合だった。9回2死まで1人も走者を許さず、その田中の代打・中島俊哉に与えた四球で、完全試合はならなかったのは記憶に新しいところだ。

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スマートフォンマガジン『週刊野球太郎』(http://yakyutaro.jp)はプロ野球やMLBはもちろん、高校野球をはじめアマチュア野球&ドラフト情報も網羅。現在、同編集部が発行する雑誌『野球太郎No.009 夏の高校野球大特集号』が好評発売中。将来、ポスト杉内になりそうな投手がここから出てくる! はず。

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