8年ぶりに日米野球開催決定! プロ野球が生まれるきっかけとなった80年前の日米野球に迫る!!

 日本野球代表「侍ジャパン」と、メジャーリーグ(MLB)選抜チームが今秋、試合を行うことが発表された。日米野球は2006年以来、8年ぶりの開催となる。

 かつて日米野球はほぼ隔年で行われてきた。しかし、WBCが始まった2006(平成18)年を最後に開かれておらず、2008(平成20)年と2012(平成24)年はMLB公式戦が日本で開催されたものの、日米野球は復活しなかった。

 実はこの日米野球がきっかけとなり、今日まで続く日本のプロ野球が誕生していたのである。今から80年前の1934(昭和9)年、ベーブ・ルースやルー・ゲーリッグら一流選手がMLB選抜チームとして来日し、日本で試合をしたことが、日本プロ野球の歴史の始まりといえるのだ。今回はその80年前の日米野球について、野球の歴史にも詳しいスマホサイト『週刊野球太郎』編集部に聞いてみた。

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◎日米野球をきっかけに誕生したプロ球団

 1934(昭和9)年6月11日、日本で初めて野球を職業にする選手を集めた「プロ野球団」を作るため、職業野球団創立事務所が開設された。これは当時の読売新聞運動部長の市岡忠男氏が、その年の11月に開催する日米野球のために来日する米国チームと対戦する、全日本チームの編成に着手するための事務所だった。

 そして同時に、米国チームとの試合が終了した後、日本に職業野球団を創立するため、この事務所では「大日本東京野球倶楽部」という名の野球チームの編成も始めたという。

 そして、日米野球終了後の12月26日に株式会社大日本東京野球倶楽部の創立総会が開かれ、役員と選手らが発表された。日本初の職業野球組織が誕生した瞬間である。

◎日本行きをためらっていたベーブ・ルース

 実は1931年(昭和6年)にも日米野球は日本で開催していた。だがその時は、あのベーブ・ルースは来日しなかった。実は長い船旅を理由に、日本遠征をためらっていたのだ。

 しかし、1934(昭和9年)年の日米野球開催に奔走していた交渉役の鈴木惣太郎氏が、アポなしでアメリカまで出向き、ベーブ・ルースのもとへ電撃訪問。その時、ベーブ・ルースの似顔絵が描かれた日米野球のポスターを見せて、「日本のファンは、あなたを待っています!」と説得した。熱意とそのポスターを見て、ベーブ・ルースは日本行きを快諾したというエピソードもある。

◎80年後も色褪せない沢村の快投!

 こうして1934(昭和9年)年に来日したメジャーリーグの選抜メンバーは、11月から日本各地を転戦。全日本チームと戦い圧倒的な力の差を見せつけた。日本とメジャーの合同チームで行った2試合を除く16試合で、日本は0勝16敗と残念な結果に終わった。

 しかし、その日米野球では今でも語り草になっている試合がある。当時17歳だった沢村栄治が9奪三振、被安打5に抑える好投をみせた。7回にゲーリックに本塁打を打たれた1点により負け投手になってしまったのだが、17歳の少年が現役メジャーリーガーを相手にここまでの投球ができた、ということは歴史的な快挙だったといえる。この試合が行われた静岡県の草薙球場には、この好投を称えて、沢村の銅像が建てられている。


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