監督代行の代行も? こんなにあったプロ野球監督交代劇~「いい機会だ。みんな一度は経験してみろ!」~

拡大画像を見る

 交流戦真っ只中の6月4日、西武の伊原春樹監督の休養が発表された。パ・リーグ最下位に低迷する、チームの不振の責任を取る形となり、後任は田辺徳雄打撃コーチが監督代行として残り試合の指揮を執ることになった。

 プロ野球界では過去、数えきれないほどの監督交代劇が発生している。プロ野球情報を毎日発信しているスマホサイト『週刊野球太郎』編集部に、これまでの監督交代劇でも特に印象に残るエピソードを聞いてみた。

     *   *   *

◎紙切れ一枚……非情な監督交代劇

 最近の例では2012(平成24)年の9月下旬、当時オリックスの岡田彰布監督の解任劇が印象深い。2010(平成22)年に就任したものの、それ以来Bクラスが続き、この年も最下位に低迷。シーズン終了後に辞任する事が決まっていた。

 「(シーズン終了の)最後まで逃げずに戦う」とファンにも公言していた岡田監督。しかし、球団側にはその想いが届かず、なんと当日の試合のために球場入りしてから「休養」の通達を受けたという。しかも「2、3分よ。紙を見せられて、これを(報道陣に)リリースするからと……」紙切れ1枚で通告されたという話である。

 結局、その日の試合は現監督となる森脇浩司コーチが急遽監督代行を務める異例の事態となった。しかし、チームは敗れ、球団ワーストの12連敗を喫してしまった。

◎監督休養後の代理監督も休養!?

 監督が成績不振を理由に休養を発表した後、監督代行を務めるケースはよくある。しかし、過去にはその監督代行もチームを立て直す事ができずに休養してしまい、2人目の監督代行が就任する異常事態が発生したこともあった。

 1984(昭和59)年のシーズン、ヤクルトは開幕連勝を飾ったものの、4月18日の巨人戦から8連敗を喫して、あっという間に最下位に転落。当時の武上四郎監督が休養を発表し、後任には中西太ヘッドコーチが監督代行を務めた。しかし、5月5日から引き分けを挟んで再び8連敗。ついに中西監督代行も辞意を表明してしまう。

 このピンチを救ったのが、土橋正幸投手コーチだった。代理監督代行という聞き慣れない肩書き(後に代理監督を経て、6月15日に監督に正式に就任)を与えられ、チーム再建を託された。まずは投手陣の整備に尽力。7月18日からオールスター戦を挟んでシーズン初の5連勝を達成し、8月末にはついに最下位から脱出。なんとかチームを立て直したのだった。

◎いい機会だからみんな監督をやってみろ!

 最後は豪快な監督交代話を。1976(昭和51)年、前年の中西太監督に代わり、日本ハムの新監督に“大沢親分”こと大沢啓二氏が就任した。そして、6月17日、相手投手が自軍の選手に2回も死球を与えたことに激高。マウンドに駆け寄ってパンチをお見舞いした。

 これが原因で10日間の出場停止処分が科せられた大沢監督。自身が不在となる試合の監督はどうするのか、という問いに「いい機会だ。みんな一度は経験してみろ!」と、1試合ごとに各コーチを監督代行として、監督業を経験させたというから恐れ入る。気っ風(きっぷ)のいい新監督に引っ張られ、日本ハムとして初めて最下位を脱出したシーズンとなった。

※『週刊野球太郎』は、新シーズンを楽しむネタが満載。auスマートパス、Yahoo!プレミアム、ドコモSPモードでサービス中です。
『週刊野球太郎』はマニアックな記録やありとあらゆる野球情報をわかりやすくお伝えします! 飲み会やちょっとした会話で使える豆知識が豊富です!

関連リンク

  • 6/12 12:59
  • Scoopie News

スポンサーリンク

この記事のみんなのコメント

1

記事の無断転載を禁じます