名投手でも屈してしまったニューヨークのプレッシャー……田中将大はどうなる!?

 日本時間の4月5日、田中将大(ヤンキース)がMLB初登板初勝利を飾った。順調な滑り出しを見せた田中に襲いかかるのが、魔都・ニューヨークの巨大なプレッシャーだ。なにしろ活躍すれば手放しで褒めちぎり、反対にダメなら「これでもか」といわんばかりにこき下ろすのが、ニューヨークのメディアであり、ファンである。

 高校野球のほか日本のプロ野球、さらにはメジャーリーグまで精通している『週刊野球太郎』編集部によると、地方都市の球団で大活躍した投手が、大都市・ニューヨークを本拠地にするヤンキースやメッツに移籍した途端、不調に陥るケースは過去にあったという。今回はそんなニューヨークのプレッシャーに潰された投手を紹介しよう。

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◎エド・ウィットソンの場合

 1985(昭和60)年、ヤンキースに5年450万ドルで入団したエド・ウィットソンも、ニューヨークのプレッシャーに負けた投手のひとり。相手打者のインコースをつく積極的なピッチングが売り物だったウィットソン。しかし、1試合でも調子が悪いとファンからのブーイングに悩んで、そのスタイルは影を潜めてしまった。

 「ピッチングの8割から9割は心理的なもの。ニューヨークではまともな心理状態になれなかった」と述べており、ブーイングを浴びる度に、自身の家族に危害が加わるのではと心配していたそうだ。

 1986(昭和61)年途中で古巣のパドレスに戻ったウィットソンは、1987(昭和62)年から4年連続2ケタ勝利を挙げるなど完全復調。ニューヨークに振り回された暗黒時代から脱出した。

◎ケニー・ロジャースの場合

 MLB通算219勝を挙げたケニー・ロジャースもニューヨークとは水の合わない選手として有名だ。1995(平成7)年にテキサス・レンジャーズで17勝したロジャースは翌年、FAでヤンキースに入団。2年間で18勝15敗とパッとした成績を収めることができず、1998年にはオークランド・アスレチックスに移籍。するとこのシーズンは16勝と復活した。

 そこで今度は、1999(平成11)年シーズン途中にニューヨーク・メッツがトレードを打診。再びニューヨークに舞い戻ってきたロジャースはプレーオフに登板した。しかし、そのプレーオフでは短期決戦にもかかわらず0勝3敗と散々な成績で、優勝を逃すきっかけとなった押し出し四球を与えてしまった。

 さらに2000(平成12)年にレンジャーズに戻ったロジャースは、2004(平成16)年には自己最多の18勝をマークするなど完全復活。誰が見てもニューヨークとは合わない、ロジャースだった。

 あのノーラン・ライアンでさえ、メッツ時代はニューヨークと肌が合わず、引退も考えたという。ライアンといえば米国・テキサス出身であることが有名だ。地方出身者ほどニューヨークに馴染むのが難しいようだ。果たして、東北楽天ゴールデンイーグルスという地方球団から、ニューヨーク・ヤンキースでの活躍を目指す田中将大の運命やいかに…。

参考文献/大雑学6ザ・メジャーリーグ(日本雑学研究会著)

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