予約済みで1桁の番号は完売状態? 超名門チームの背番号と永久欠番の不思議!

 ヤンキースの田中将大が、MLB初登板初勝利を挙げた。試合後のインタビューで「嬉しいのはもちろんですけど、ホッとしました」と語った田中。それもそのはず、ヤンキースという世界最高峰のチームに、巨額の契約金で入団した田中のプレッシャーは相当なものがあったはず。まずは結果を出したことで、安堵したのだろう。

 そのヤンキースはMLBのワールドシリーズ27度の優勝を誇る超名門球団。創設は日本でいうと明治時代の1901(明治34)年で、1903年にニューヨークに本拠地を移した。その歴史と伝統は他の球団と比べても群を抜いており、例えば背番号ひとつをとっても、多くのエピソードがあるという。高校野球のほか日本のプロ野球、さらにはメジャーリーグまで精通している『週刊野球太郎』編集部に聞いてみた。

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◎背番号の元祖はヤンキース?

 現在では野球のユニフォームに当たり前のように付いている背番号も、その起源はヤンキースが元祖であるといわれている。スタンドから試合を見るファンが、誰がどの選手かわかるようにと始められたファンサービスだったという。

 アメリカの場合、打順と同じ番号が背番号に割り当てられた。1929(昭和4)年、初めて背番号を採用したヤンキースの場合は、3番打者のベーブ・ルースは背番号3、4番打者のルー・ゲーリックは背番号4といった具合だ。そして投手陣には年齢順に番号が割り当てられたという。

 ここで面白いのが、日米で背番号の割り当て方に差があることだ。日本で最初に背番号を採用したのは1931(昭和6)年の第8回選抜中等学校野球大会(※現在のセンバツ高校野球)で、投手は1番、捕手は2番と現在の高校野球と同じように選手の守備位置によって背番号が振られていた。また、同年に行われた第1回日米野球では投手が5人いたので、守備位置番号2の捕手が背番号6になったというエピソードもある。

 ユニフォームに背番号を付けることは当初、選手たちにとっては不評だった。背番号を付けられるということは、「刑務所にいる囚人みたいだ」と選手は反発していたという。また、背番号よりも先に袖に番号を付けたチームもあった。1916(大正4)年にインディアンズが、1923(大正11)年にもカージナルスが一時的に袖に番号を付けた。しかし、これは定着しなかった。その後にヤンキースが採用した背番号が1933(昭和8)年にはメジャー全球団に採用されるようになった。

◎多すぎる永久欠番……残りの1桁番号は予約済み

 永久欠番についても、やはりヤンキースが初めて採用したという歴史がある。メジャーでの永久欠番第1号は、ヤンキースのルー・ゲーリックが付けていた背番号4だ。

 そんな歴史を持つヤンキース。なんと永久欠番が多すぎて、1桁の番号が付けられないという状態に陥っている。1番のビリー・マーチン、3番のベーブ・ルース、5番のジョー・ディマジオ、7番のミッキー・マントル、9番のロジャー・マリス。8番については1930年代の正捕手ビル・ディッキーと、その後に正捕手を務めたヨギ・ベラの2人に与えられている永久欠番だ。

 また、6番は長く低迷していたヤンキースを監督として復活させたジョー・トーリの、2番は今シーズン限りでの現役引退を表明しているデレク・ジーターの永久欠番として採用される予定があるという。これぞ超名門球団がなせる業だ。

 ちなみに田中将大の背番号は19番。ヤンキースの背番号10番台では10番フィル・リズート、15番サーマン・マンソン、16番ホワイティ・フォードと、3人も永久欠番となっている。


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