センバツ大会の出場校はどうやって選抜されていたのか?~はじめは日本最強チームとの成績で決まっていった~

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 春の訪れとともに開幕する、第86回選抜高等学校野球大会。この大会には、昨秋の地方大会で好成績を収めたチームを対象にした選考委員会による検討作業を経て、文字どおり“選抜”されて出場校が決まる仕組みになっている。

 長い歴史を誇るセンバツ大会だが、そもそもこの“選抜”方法はどのようにして決まったのか。その経緯を、プロ野球のみならず高校野球情報も詳しいスマホサイト『週刊野球太郎』編集部に聞いてみた。

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◎「もう一つの全国大会」発足の動き

 夏の甲子園大会で、おなじみの選手権大会が始まってから数年後、野球熱の高まりとともに「もう一つ全国的な大会を開催しよう」という声が各地からあがっていた。

 当時、中等学校野球界で無類の強さを誇っていたのが和歌山中学。夏の選手権大会を連覇するなど、その名は全国に知れ渡っていた。打倒・和歌山中を目指す各地の野球関係者からすると、もう一つの全国的な大会を開催されれば、その和歌山中を倒すチャンスが広がるだろう、といった思惑もあったのだろう。

◎日本最強の大毎野球団

 プロ野球チームなどない当時、日本最強の野球チームとして存在していたのが大毎野球団だ。毎日新聞社が親会社となって1920(大正9)年に発足したこのチームは、当時の中等学校の野球界と密接な関係を持っていた。各地の中等学校を訪れて野球部を巡回コーチしたり、試合をしたりすることで中等学校球界のレベルアップに大きく貢献していたのだ。

◎選考委員会の誕生

 和歌山中と大毎野球団はしばしば試合を行っていた関係もあり、「もう一つの全国大会は毎日新聞社でやってくれ」という機運が高まった。これを受けて毎日新聞社では、全国大会を新設する計画を立ち上げて実行に移す。夏の選手権大会とは異なる趣向を考え、日本中から戦績優秀な強豪チームを選抜して最強チームを決めよう、という大会趣旨が決まり、現在のセンバツの基礎となったのだった。

 毎日新聞社はその選抜方法として、大毎野球団が各地で対戦した中学の成績を基本とし、さらに毎日新聞社が、全国各地の支社から送られる1年間の戦績表をまとめるなどして、詳細なデータを作成。こうしてセンバツが開催され、その後、選抜方法は洗練されていき現在の方式に確立されていったのである。

(参考文献/高校野球の事典・神田順治編著)

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