えっ? タテジマのない阪神のユニフォームがあった!? 中日も巨人も来年は心機一転! プロ野球ユニフォームの秘密に迫る!!

 来年、日本のプロ野球は80周年を迎える。1934(昭和9)年に日本で最初のプロ野球選手が誕生し、12月には大日本東京野球倶楽部(今の巨人軍)が設立された。日本プロ野球が産声をあげ、その歴史が始まったのだ。

 その巨人は先日、来年の球団創設80周年を記念して着用する「新ユニフォーム」をお披露目した。ホーム用は左袖に22度の日本一を表した星マークを入れ、ビジター用は不滅のV9達成時に着用していた、水色のユニフォームを意識したカラーに変更。

 来シーズンは中日も、球団初の日本一に輝いた1954年時代モデルへのユニフォーム変更を発表済みだ。各球団の歴史や伝統が反映されるユニフォームについて、オフシーズンもプロ野球情報が満載のスマホサイト『週刊野球太郎』編集部に聞いてみた。

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【監督はユニフォームを着なくてもOK?】

 公認野球規則には、監督にユニフォームの着用を義務付ける規定はない(ただし、協会・大会の特別規則により義務付けられていることもある)。実際にはメジャーリーグでは、スーツ姿で指揮を執る監督も存在した。

 サッカーやラグビーなど他のスポーツは、監督は選手と異なる服装で指揮している。

【意外と細かい...ユニフォームの規則】

 また公認野球規則では「同じ色や形のユニフォームを着て、そのユニフォームには6インチ以上の大きさの背番号をつける」、「アンダーシャツの外から見える部分は、チームのプレイヤー全員が同じ色でなければならない」、「チームの他の選手と異なるユニフォームを着たプレイヤーは試合には参加できない」など、意外と細かな規定が記されている。

 新庄剛志は日本ハム時代、襟付きのアンダーシャツや色違いのユニフォームを着用し、規則違反として注意されたことがある。

【各球団ユニフォームのさまざまなエピソード】

 阪神といえば「タテジマ」のユニフォームが当たり前。しかし過去に4枚だけ、タテジマのないユニフォームが存在したそうだ。また、中日は1968(昭和43)年と1998(平成10)年の過去に2度、ノースリーブのユニフォームを採用。しかしどちらも成績が上がらず、結局定着しなかった。

 ちなみにユニフォームに初めて広告を入れたのは広島。市民球団で資金難に苦しんでいた広島は、ユニフォームに殺虫剤メーカーの「フマキラー」のスポンサーロゴを入れていた。

【まるで虹色? 7色のユニフォームって?】

 極めつきは日拓ホームフライヤーズ(日本ハムの前身)は1973(昭和48)年の数カ月のみ、話題作りとして7色のユニフォームを着用していた。7色といっても実際には水色、黒、黄色、オレンジ、紫がメインの6色。最初はローテーションで着回していく予定も、当時の土橋正幸監督が勝ったときのゲンをかついで同じ色を着回したため、かなりの偏りが出てしまったという。

 気になるチームの成績は芳しくなかった。その年は5位に終わり、さらにシーズン終了後、親会社の日拓ホーム株式会社は球団経営から撤退。日本ハムに売却した。日拓ホームフライヤーズはわずか11カ月、7色のユニフォームに至ってはたった3カ月という短い歴史の幕を下ろした。まさに「幻のユニフォーム」となってしまった。


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