今年もありがとう甲子園球場!その誕生秘話に迫る!!実は完成するのに要したのはたった5カ月!

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 今年も様々なドラマをみせてくれた第95回夏の甲子園大会。あと5年で大台の第100回大会が開催される予定で、その長きに渡る歴史や伝統には驚かされるばかりだ。

 第1回大会から第9回大会までは豊中球場、鳴尾球場で開催されていた大会は、今から89年前の1924(大正13)年、甲子園球場の完成を契機に使用されるようになった。現在の全国高等学校野球選手権大会が「夏の甲子園」と呼ばれるようになったのは、この甲子園球場が完成した第10回大会からである。その甲子園球場が建設された当時の話を、スマホサイト『週刊野球太郎』編集部に聞いてみた。

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【高まる野球熱! 収容しきれないファンのために建設されたマンモス球場】

 第9回大会まで使用していた鳴尾球場では押し寄せるファンを収容できなくなり、観客がグラウンドに雪崩れ込んで試合を中断することもあった。そこで阪神電鉄の三崎省三専務(当時)がアメリカ式の大球場の建設を発案。収容人員約6万人の超巨大球場を1924年3月1日に起工し、わずか5カ月のハイスピード工事で大会開幕直前の7月31日に完工したという。

 完成直後は「外野スタンドまで満員になるのは5年、いや10年くらいはかかるのでは」と当事者たちを心配させたという。しかしながら、第10回大会の4日目には早くも満員となり「来場お断り」の掲示板が掲げられたという。

【頭を悩ませたのは"土"!? 阪神電鉄社員がスライディングしてチェック】

 球場建設時、最も頭を悩ませたのがグラウンドの土だった。もともと甲子園球場付近の土は白いので太陽の光に反射してプレーに影響が出て、観衆も目が疲れるという理由で却下され、淡路島の赤土と神戸の熊内の黒土を混ぜ合わせた"ブレンド土"を使用することになった。

 この土代だけで当時の金額で5~6万円も掛かったそうで、甲子園付近の土が1.8平方メートルあたり2円だったが、淡路島の赤土などは運搬料含めて25倍の50円も掛かったという。さらにその土を混ぜ合わせる調合の研究も行われ、阪神電鉄の石川真良という人物は毎日、ユニフォームに着替えて実際にグラウンドに滑り込むなどして、調合率を調整したという話も残っている。

【これは有名? 名前の由来に迫る】

 こうして完成した甲子園球場。野球以外でも陸上競技やサッカーでも使用できるように建設され、8月1日には阪神沿線の約150校、2,500名近くの少年少女を集めて陸上競技を行い、甲子園球場の幕開きとなった。

 有名なのは甲子園球場という名前の由来。建設時の1924年は甲子(きのえね)の年だった。甲子とは十支、十二支の各々の初めである「甲(きのえ)」と「子(ね)」で、60年ごとに巡ってくる年の中でも縁起がいいものとされ、それにあやかり阪神電鉄の重役会で決定したそうだ。

 オープンした甲子園球場の開幕戦を飾った静岡中vs北海中の試合に出場した静岡中ナインは緊張で思ったようにプレーできなかったという。山のようなスタンド、空を遮る大きな屋根、緑の絨毯のような外野など......全てが初めて見る情景だったから無理はないだろう。東洋一の規模を誇る「大甲子園」の雄大さに選手も観客も、酔いしれたのだった。

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