前橋育英の髙橋くんもビックリ!!沢村栄治も参考にしたフォームで甲子園には8回も出場した"伝説的"エース!

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 第95回夏の甲子園大会は前橋育英(群馬)の初出場、初優勝で幕を閉じた。印象深かったのは2年生ながら胴上げ投手となったエース・髙橋光成(こうな)投手(写真の投手)。全6試合で5完投と大活躍したが、その髙橋投手もビックリの甲子園で"伝説"となった好投手がいた。

 その名は和歌山中(現和歌山県立桐蔭高等学校)の小川正太郎投手。どれだけ凄かったのか、高校野球に詳しいスマホサイト『週刊野球太郎』編集部に聞いてみた。

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【なんと合計8度の甲子園出場! まさに甲子園の巨星!】

 小川正太郎投手が活躍したのは大正時代末期から昭和初期にかけて。当時としては珍しい180センチ近い長身で「2階から投げおろす」ようなカーブとストレートが武器の左腕投手だった。

 名門・和歌山中野球部に入部した彼は1924(大正13)年の夏、1年生ながら右翼手として甲子園デビュー。当時の中等学校の教育期間は5年間で、春のセンバツも含めると合計8度も甲子園に出場しており、そのほとんど全ての大会で和歌山中のエースとして活躍。1926(大正15)年の第12回大会では8者連続奪三振を記録するなど、まさに"甲子園の巨星"と呼ぶに相応しい投手だった。

【海外遠征でも大活躍! アメリカ人をキリキリ舞いさせるピッチングを披露】

 4年生時の夏は海外遠征でアメリカへ旅立ち、その夏の大会は甲子園には出場しなかった。小川投手はそのアメリカ遠征でも大活躍をみせる。ハイスクール相手のケント高戦で1試合で17奪三振、被安打わずか3で完封勝利をあげるなど素晴らしい投球を披露。現地でも話題になったそうだ。こうした活躍もあり、小川投手は「中学野球界の麒麟児」ともよばれていたという。

【華麗なる投球フォーム! その驚愕の練習方法とは?】

 左腕から繰り出されるストレートとカーブはどちらも一級品で、その投球フォームは流れるような美しさで「芸術品」と呼ばれていたという。あの沢村栄治も小川投手の投球フォームを参考にしたといい、当時、全国の中等球児にとっては小川投手の投球を打つことが大きな夢だったそうだ。

 またその投球練習も"伝説"が残っている。学校の校庭に生えている松の木めがけてボールを投げ、真っ直ぐに跳ね返ってくるように練習を重ねたそうだ。ちょっとでもずれると自分のところに跳ね返ってこないので、精密なコントロールが身につくように鍛えられたという。

 和歌山中を卒業した小川投手はその後。早稲田大学に入学。野球部では1年生時から大活躍した。しかしながらその全盛期は短く、胸に病を患うなどして試合を欠場するようになり、表舞台から姿を消してしまった。

 理由としてあげられているのは中学時代の登板過多や猛練習の疲労、または学生結婚したから......という噂もあったが、真相は今でも謎である。


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