甲子園実況アナウンサーはつらいよ!? 初めての放送は想定外だらけ...

 今夏の甲子園大会は前橋育英が初出場初優勝という結果で幕を閉じた。連日の猛暑のなかでプレーする選手たちはもちろん、連日に渡って試合を実況中継するテレビやラジオのアナウンサーたちにも、改めて敬意を表したい。

 そもそも日本のスポーツ界で初めて実況中継が行われたのは夏の甲子園大会であり、ここから日本のスポーツ実況の歴史が始まったといっても過言ではないのだ。その辺りのいきさつを、高校野球の周辺情報に詳しいスマホ版「週刊野球太郎」編集部に聞いてみた。

【ラガーさんもビックリ!? ひとりで8日間ぶっ通し、全試合を実況!!】

 今から86年も前の1927(昭和2)年8月13日、第13回大会より始まったラジオ中継だが、この実況を担当したのが現在のNHK大阪放送局の魚谷忠という人物。1916(大正5)年の第2回大会で市岡中の三塁手として出場した元球児で、上司から「野球経験者は魚谷だけだから、ひとりで全部やれ」と命令されたそうだ。結局、8日間に渡る全試合をひとりで実況中継したという。

【野球放送のノウハウはまるで無し...手探り状態での放送開始】

「それまでは5分くらいのニュースしか読んだことがなかった」という魚谷アナ。何にしても手探り状態での実況放送が始まった。「バッター打ちました! 大きい、大きい!」だけで、何処に打球が飛んだかサッパリわからず、放送は試行錯誤の連続。当時、郵便や通信を管轄する中央官庁であった逓信省の役人からは「外野の塀に書かれた商品などの広告にボールが当たった時は、宣伝になるからその商品を言ってはならない」といった細かい注文がつくなど、野球のプレーを実況する以外でも苦労が多かったようだ。

【役人が横に座り、放送中止と隣り合わせの放送が続くも、放送は大好評!】

 炎天下のなか、魚谷アナは蝶ネクタイに背広姿でネット裏の放送席に座り、横には後輩の市岡中の野球部員がスコア係として一緒に座っていたという。さらに逓信省の役人が「不確実なことを公表したら即刻、放送中止」という理由で左右を取り囲むように6人も座っており、宣伝とみなされたり不確実な発言をした場合には、直ちに放送を中止する準備をしているなかでの実況放送だった。

 こうした悪戦苦闘が実を結んだのか、野球中継放送の評判は予想以上で、魚谷アナにはファンレターも届いたそうだ。「経済市況放送なんか止めて、野球放送をしろ」というリスナーの要望が届くなど、野球中継の反響は大きく、1週間後の8月20日にはNHK東京放送局でも放送を開始。

 放送エリアが広がるにつれて、出場校を応援する各地方の高校野球ファンは地元高校の中継を楽しみにしていたそうだ。ラジオの放送局が全国各地に広がりをみせていた時代の流れにちょうどマッチした、甲子園の実況中継だったといえるのではないだろうか。

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