熱すぎるマイク! 飛び出す大阪弁! 日本初のスポーツ生中継はハプニング続出!

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 熱戦が続く夏の甲子園大会。球場に響き渡る金属バットの音とともに、耳に届くのはアナウンサーの声だ。

「打ちました!」
「入るか、入るか...? 入ったホームラーン!」

 と、テレビやラジオで高校野球観戦をするときには切っても切れない"実況中継"だが、その歴史を紐解いてみると意外や意外。我が国で初めて実況中継したスポーツはズバリ、夏の甲子園だったのだ!

 スマホサイト『週刊野球太郎』によると、今から遡ること86年前の1927(昭和2)年。当時は全国中等野球大会と称された第13回の夏の甲子園大会で、JOBK(NHK大阪放送局)がラジオの実況放送を開始したのが最初だ。それまでは試合経過をスポーツニュースのような形式で放送していたが、野球熱の高まりとともに「ラジオで実況放送してくれ!」というファンの声が高まった。そこでNHK大阪放送局は主催者側の朝日新聞へと交渉を行ったが、話は簡単に進まなかったようで...。

【実況中継したら、球場にお客さんが来なくなる?】

 NHK側が交渉を開始するも、当初は朝日新聞社側は渋い顔だったらしい。というのも「ラジオで放送されたら球場に来る人が減るのではないか?」「高まる野球熱に水を差す恐れがある」と反対する者もいたようで、交渉はなかなか進まなかったという。

 ちなみに、翌年の1928(昭和3)年の春場所から、大相撲の実況放送も始まるのだが、このときも相撲協会内部で客の入りを心配して猛烈な反対運動が起こったそうで、初めての試みに不安を持つ関係者も多かったようだ。

【無事に交渉成立! も、次から次へとハプニング続出の実況中継...】

 結局、「野球に関心を持つ人が増えるなら」ということで交渉はまとまり、実況中継が行われる運びとなった。

「JOBK、こちらは甲子園臨時放送所であります!」

 という第一声が、記念すべき甲子園の実況中継の始まりだった。しかしながら初めての試みだけあって、ハプニングの連続。ネット裏に座った放送関係者たちは炎天下のなか、悪戦苦闘しながら放送を続けたという。

【灼熱の甲子園! マイクが熱すぎて持てない!!】

 なんと言っても真夏の甲子園球場。粗末な机の上に置かれたマイクは太陽に照らされて手で触れられないほどの熱さになってしまった。"ゴザ"のようなモノを屋根代わりにして熱さを防ごうとするも全く役に立たなかったそうだ。

 日本初のスポーツ中継だったので、アナウンサーもしどろもどろ。実況中にときどき「打ちました。大きなフライ! あっ、センター捕りよった。エライやっちゃ~」と大阪弁が飛び出したという伝説も残っている。

【今では考えられない!? 番組表も摩訶不思議】

 当時は「野球実況」という言葉すらなく"甲子園無線連絡放送"と呼ばれていたそうだ。放送が開始された1927年8月の番組表をみると、

・午前06時35分:起床ラッパ吹奏
・午前09時05分:甲子園無線放送開始
・午前10時10分:季節料理
・午前11時15分:天気予報

 といった具合に、野球中継は各番組の合間をぬって放送されていたそうで、今のような試合開始から終了までの"完全中継"ではなかったようだ。

 この記念すべき野球中継の第1号アナウンサーは魚谷忠という人物。1916(大正5)年の第2回夏の甲子園大会に市岡中の三塁手として出場した甲子園球児で、大の野球ファン。もちろんルールにも詳しかったから、実況アナウンサーとしては適任だったに違いない。その魚谷アナはなんと、全8日間の全試合をひとりで実況したとのこと。全試合をバックネット裏で観戦しているラガーさんにも負けず劣らずの野球狂だったのだ!

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