甲子園大会歌「栄冠は君に輝く」には、こんな泣ける話があった!

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 "雲はわき、光あふれて..."と、高校野球ファンならずとも聞き覚えのあるこの曲は、ご存じ「栄冠は君に輝く」である。副題は「全国高等学校野球大会の歌」といい、熱戦の真っ最中の甲子園大会では5回裏終了時のグラウンド整備中にこの大会歌が流れている。この歌が使用されるようになったのは今から65年前の1948(昭和23)年の第30回大会からで、実は興味深い誕生秘話があるのだ。スマホサイト『週刊野球太郎』で連載中の「高校野球ジャーナル」では詳しく書かれているが、そんな大会歌の秘話について紹介しよう。

「高校野球ジャーナル」では高校野球にまつわる話が盛りだくさん!
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【作曲者は当時の売れっ子が担当!? あの曲も作った人物だった!】

 この曲を作曲したのは古閑裕而(こが・ゆうじ)氏という人物で、早稲田大の「紺碧の空」や慶應義塾大の「我ぞ覇者」の歴史ある両大学の応援歌も作曲した日本スポーツ音楽家の大家である。野球以外でも、東京オリンピックの入場行進曲を作曲するなど、実は知る人ぞ知る有名作曲者なのだ。

【作詞は5,000通を超える応募総数! そのなかで選ばれたのは...】

 1948(昭和23)年、主催者の朝日新聞社は「全国高等学校野球大会の歌」を全国的に募集。石川県で文筆活動をしていた加賀大介(かが・だいすけ)という人物が作詞を完成させると、当時の婚約者だった道子さんへのプレゼントということで、作者を「加賀道子」として応募した。するとその作品が応募総数5,252通のなかから最優秀作品として見事に当選。それから長い間ずっと作詞者は「加賀道子」として、そのままになっていたのだった。

【悩み続ける加賀大介氏...20年ぶりに真実が明らかに!】

 しかしながら夏の甲子園が空前の盛り上がりをみせ、大会歌も有名になるにつれて加賀大介氏の悩みは一層深くなっていったという。本当の作詞者は自分であること、婚約者の名前で応募してしまったことがずっと気になっていたそうで「いつかは本当のことを...」と20年間も悩み続けていたそうだ。そして1968(昭和43)年の第50回大会の時に、加賀氏は事情を全て明らかにして、その後の作詞者は正式に「加賀大介」となったのだった。

※画像は「全国高等学校野球選手権大会史(第71回〜80回)」より

【意外な使用方法!? 大会歌はこんな使われ方もしている】

 ちなみにこの大会歌は意外なところでも使用されている。地方大会、甲子園大会問わずに、何らかの事情があって校歌が無い高校が勝利した場合は「栄冠は君に輝く」が校歌の代わりに演奏される規則になっているのだ。

 前出の加賀大介氏は、17歳の時に野球のプレー中に右足に擦り傷を負ったのが原因でその部分が化膿し、やむなくヒザから下を切断。野球のできない身体になってしまったが、白球を追いかけた自らの少年時代の想い出、そして断念せざるを得なかった甲子園への憧れ...そういった想いが、この大会歌になったそうだ。

 全国的に猛暑どころか"酷暑"といえる今夏。厳しい暑さのなかで戦っている甲子園の球児たちは、この大会歌に秘められた想いを知り、そして「野球のできる喜び」を感じて、悔いの残らないようにプレーして欲しい。

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