芸能界引退!乃木坂46大園桃子が「涙」と共に歩んだアイドル人生と成長

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なぜ彼女たちは「センター」に立ったのか⁉
アイドルセンター論
乃木坂46大園桃子 中編

 大園は2016年12月10日に開催された「お見立て会」で『命は美しい』のセンターに抜擢されると、初めての3期生楽曲で大園にとっても3期生にとっても大切な曲『三番目の風』『思い出ファースト』と期別の楽曲でもセンターに、同年8月には乃木坂46の表題曲『逃げ水』において与田祐希とともにWセンターに抜擢と、同時期に加入した3期生のなかでもセンターを任されることが多かった。

 乃木坂46では1期生の生駒を抜いて語れば、2期生の堀未央奈、後に抜擢される4期生の遠藤さくらと、フレッシュなメンバーをセンターに組み込んで新陳代謝を図るということは珍しくはない。しかし、Wセンターという形でそれも当時から握手会などでも人気メンバーの与田祐希と組ませたことは、3期生の存在を幅広く認知させるという意図もあっただろうが、当時はまだ心身的にも脆弱さを見せていた大園の負担を軽減するという運営側の配慮も大いにしてあったのだろう。

 結果として、久保史緒里、山下美月、岩本蓮加、梅澤美波ら3期生メンバーの選抜入り(山下に関してはセンターも経験)を始めとした今現在の乃木坂46の中核へと成長した3期生の活躍を見れば、大園と与田の功績は大きいと言える。

 これに関して、『BRODY 2021年2月号』(白夜書房)において3期生メンバーが当時を振り返っているのだが、その言葉で共通しているのは2人のセンター抜擢が3期生の意識を変えるターニングポイントであったということ。与田、そして大園が先人を切って引き受けたことは3期生を良い方向へ動かしたことは紛れもない事実だ。

 大園は冠番組『乃木坂工事中』(テレビ東京系)初登場時や、グループの登竜門とされる舞台『3人のプリンシパル』の囲み取材では自信のなさから多くの涙を流し、周囲の人間が心配してしまいそうなほど、不安定なメンバーだった。ファンの側からしても「この子は本当にアイドルとしてやっていけるのだろうか」と心配の声が挙がるほどで、当時の大園は涙とは無縁では語れない。

 大園と比較しうる存在として、まず真っ先に名前が上がるのは初代センターの生駒里奈だろう。彼女もまた秋田県からひとり上京し、まだ先行きが不安定なグループの、それもAKB48のライバルという当時のコンセプトをただ一身に従えながら、センターに抜擢された自分自身と戦い、グループの基調を作ってきた。

 その過程では生駒は「涙」を流しながら葛藤している姿がよく映し出されていたが、センターの交代とAKB48との兼任を経て、アイドルとして何より人間として大きく成長を見せてくれたのも彼女だった。

 生駒はセンターにいることについて『パピルス 2015年08月号』(幻冬舎)で「わたしにとってのセンターは怖い場所でした」と回顧しているが、大園もまた「逃げ水」でセンターに抜擢された際に「私は、全部が怖かったです。同期の目、先輩方の目、そしてファンの方の目も」(『BRODY 2021年2月号』)と同様の趣旨の発言を残しており、生駒と大園にはセンターに対して共通の認識をしていた。しかし、センターを経て4期生という後輩メンバーも加入し、場数を多く踏んだことで心にも余裕が出てきた現在では、インタビューでの発言やパフォーマンスからは昔のような弱さは微塵も感じさせない。

 『乃木坂46 9th YEAR BIRTHDAY LIVE ~3期生ライブ~』で彼女の「3期生、行くぞ〜!」の力強い掛け声とセンターとしてのパフォーマンスは間違いなく乃木坂46のセンター経験者としての自信と覚悟が表れていたように思う。「アイドル」と「本当の自分」との間で揺れ動いていたその不安定さが大園のこれまでの魅力を形成していたのならば、バスラにおけるパフォーマンスには大園の成長譚としての集大成が感じられるものだった。

(文=川崎龍也)

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  • 7/21 18:00
  • 日刊大衆

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