<ブラック・ウィドウ総括>改めて振り返るナターシャ・ロマノフの功績

 昨年5月の封切り予定が伸びに伸び、このほどようやく劇場と配信で大公開された『ブラック・ウィドウ』。マーベル・シネマティック・ユニバースを舞台にした24本目の作品は、映画フランチャイズとスーパーヒーロー・チーム、アベンジャーズをその黎明(れいめい)期から支えてきた苦労人、ナターシャ・ロマノフ(スカーレット・ヨハンソン)初の単独主演作品だ。アベンジャーズが大分裂した『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(2016)と、全世界がどえらいことになってしまった『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』(2018)の間に起きた出来事を描く本作。映画について触れる前に、まずはここまでのブラック・ウィドウの激闘を振り返っておきたい。

■初登場は『アイアンマン2』

 ロシアのスーパースパイから米国の国防組織S.H.I.E.L.D.に転向、そしてアベンジャーズの創立メンバーに名を連ねるという輝かしいキャリアを誇るナターシャ・ロマノフ。映画シリーズには2010年の『アイアンマン2』で初登場した。アベンジャーズが結成される少し前、彼女はアイアンマンことトニー・スターク(ロバート・ダウニー・Jr.)に接近。この男がチームにふさわしいか否かを見極める任務を課せられていた。まだスーパーヒーローとしての自覚が若干欠けていたスタークのサポートに徹するという役回りで、ナターシャは考えてみればこの時から地道に頑張っていたのである。

 キャプテン・アメリカ(クリス・エヴァンス)や雷神ソー(クリス・ヘムズワース)の単独主演作を経て、満を持して公開となった2012年の『アベンジャーズ』。エゴとエゴとがぶつかり合い、なかなかまとまらないチームを尻目に、ナターシャはやはり黙って仕事をしていた。超人ハルクことブルース・バナー博士(マーク・ラファロ)のリクルート、映画が始まるなり洗脳されて敵方に回ってしまった相棒ホークアイの心のケア、および邪神ロキを向こうに回してロシア仕込みの尋問テクニックを見せるなど、この人がいなければアベンジャーズはなかったとさえ言える。実に偉い。そういえば今回の映画は、この時ロキにネチネチ掘り返されていたナターシャの過去を掘り下げている。詳しくは語られなかった苦悩の正体が9年越しで明らかにされるわけで、できれば彼女を中心にもう一度『アベンジャーズ』を観返しておくことをお勧めしたい。

■仲間たちのために尽くしていたナターシャ

 というブラック・ウィドウ、3度目の登場となったのが『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』(2014)。キャップの相棒といえばバッキー(セバスチャン・スタン)およびファルコン(アンソニー・マッキー)がその二大巨頭ではあるが、実は本作におけるナターシャも主人公との見事なコンビネーションを見せている。常に理想を信じて突き進む、表裏のないキャップに対して、諸々後ろ暗いものを抱えながら正しく生きたいと願うウィドウというコントラストが物語に深みを与えてもいた。同作の最後でナターシャは自身の過去が公になってしまうことも厭(いと)わず、古巣S.H.I.E.L.D.の腐敗に関する全ての情報公開に踏み切ってさえいる。実はこの人もキャプテン・アメリカと同じか、あるいはそれ以上に厳しい選択をしており、『ウィンター・ソルジャー』のもうひとりの主役と言っても過言ではないのではないかと思う。こちらの作品もウィドウ視点で再見しておきたい。

 その翌年、地球最強のチームが再度結集した『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』(2015)。ここでもナターシャはチームの細々とした面倒を見たり、超人ハルクのお世話係を任されたりと忙しい。そんなバナー博士といい仲になりつつ結局うまく行かないなどさまざまな苦労がありつつ、それでも誰よりチームを思って行動する彼女の動機が描かれたのが『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(2016)だった。一枚岩と思われたアベンジャーズの大分裂を描いた同作。男たちが自分自身の理屈や理想をぶつけ合う中でナターシャだけはチームの存続を願い、ひとり最後まで解決策を模索していた。幼い時分に実の家族と引き離され、その後孤独に冥府魔道を歩んできた彼女にとって、アベンジャーズはかけがえのない仲間たちだった。ようやく見つけた自分の居場所が木っ端微塵(みじん)になることの耐えがたさ。そんなナターシャの心中を思いながら今『シビル・ウォー』を観てみると、思わずキャプテン・アメリカにもアイアンマンにも一度座らせて説教をかまし、彼女に土下座させたくなる。

■そして、『アベンジャーズ/エンドゲーム』へ

 かくして空中分解したマーベル・ヒーローたちが空前の危機を迎える『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』(2018)と『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019)の二部作。チームが瓦解(がかい)したあと地下に潜って戦いを続けていたナターシャだが、地球上の人口が半分になり、そして名だたるヒーローたちが消滅してから5年が経過しても、なお自分の仕事をするためにアベンジャーズ本部に残っている。守るはずだった世界の半分が消え、さらにどうやら生き残った旧友ホークアイがいろいろあって正気を失ったらしいと聞かされて、思わず涙をこぼしながらパンを食うしかないあたりにはもらい泣きを禁じえない(ここで見せるヨハンソンの演技の巧さよ)。心に後ろ暗いものを抱えながらヒーローとして生きることを選択した彼女にとって、アベンジャーズは唯一の心の拠(よ)り所だった。あるいはこのチームの活躍をいつまでも見ていたいと思う観客の心情に最も近いところにナターシャはいたのかもしれない。だからこそ思わずこの人に感情移入せずにはいられないし、劇中で最終的に彼女がたどった運命についても(相当な時間はかかったが)納得せざるを得なかったのである。


■ついに彼女が主役となる『ブラック・ウィドウ』

 足かけ11年、実に7作品を通じて描かれてきたブラック・ウィドウの物語。彼女個人にフォーカスを絞った映画がついにやってきた。本作についてまず言っておきたいのは、これが1年以上待たされた甲斐(かい)のあるものであったということ、そしてなぜもっと早くこの映画を作って公開できなかったのか、ということだ。

 『エンドゲーム』で愛するチームと、そして世界を救うために自らの生命を投げ出し、帰らぬ人となったナターシャ・ロマノフ。同作はもちろん見事な映画だったが、ナターシャに対して劇中で葬式のひとつも出してやらなかったことに対してはいまでも文句を言いたい。同じように自己犠牲を払ったアイアンマンことトニー・スタークのことはあれだけ丁寧に葬ったにもかかわらず、この扱いの差は何なのか…と公開当時からいまに至るまでブツブツ文句を言っている。

 MCUの過去作、特に『シビル・ウォー』と『インフィニティ・ウォー』の2作品、それに『エンドゲーム』を踏まえたうえで今回の『ブラック・ウィドウ』に触れると、あのとき何気なく見ていたものに実はどえらい意味があったことが分かってくる。詳しくは書かないが『インフィニティ・ウォー』でナターシャの着ていた衣装についての描写などにはたいへんグッと来たものである。もう帰らない人の、ありし日の活躍には恐ろしく胸に迫るものがあるけれども、今回の映画のように魅力的なサブキャラクターをそろえ、ここまでナターシャという女性の物語を掘り下げることができたのであれば、これをもっと早く、あともう何本か見せてくれてもよかったではないかと言わずにはいられない。

 自分自身人に言えない苦悩を抱え、メンバーそれぞれが概(おおむ)ね勝手なことをするなかで何とかチームの存続に心を砕き、仕事は仕事だからと真面目にやってきたブラック・ウィドウ。スカーレット・ヨハンソン本人は11年付き合ったMCUともこれでひと区切りと言っているが、今後マーベル・スタジオは現在進行系の物語にこだわらないらしいので、ぜひかつてのナターシャの大暴れを描く映画をもう何本かやっていただきたいと思うのである。(文・てらさわホーク)

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