「なぜ僕は“モラハラ夫”の烙印を押されたのか」東大卒男性の壮絶な生い立ち

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ぼくたちの離婚 Vol.21 いつか南の島で #1】

 コロナ禍で在宅時間が増え、DVやモラハラの問題に対する関心が高まっている。そんななか、妻から“モラハラ”を理由に離婚を迫られている男性に話を聞くことができた。モラハラ(モラルハラスメント)とは、言動や態度で相手に精神的な苦痛を与えるDV(ドメスティックバイオレンス)の一種。ただ、彼のケースはいわゆる「モラハラ問題」とは一線を画すものだった。

◆“モラハラ夫”の衝撃の生い立ち

 東大卒のフリーランス編集者、小林徹さん(仮名/36歳)は、別居中の妻・初美さん(仮名/36歳)から離婚裁判を起こされている。二人の間に子供はいない。離婚を希望しているのは初美さん。その理由は「夫に“モラハラ”を働かれた」から。しかし小林さんは、離婚に応じる気はないという。

 最初にそう聞いて、戸惑った。妻にDVを働いた夫の弁解に協力するルポなど、書きたくはない。ボツにする可能性を頭の片隅に置きながら、半ば諦めの気持ちで話を聞き始めた。

「僕と初美の関係を理解していただくには、僕の生い立ちからお話ししたほうがいいと思います。ちょっと長くなるんですが、いいですか?」

 小林さんは、北陸のY県に生まれた。兄弟は8つ離れた兄と、3つ下でダウン症の弟。

「僕が10歳のとき、父親が家を出ていきました。母からは単身赴任だと聞かされていたのですが、父はいっこうに帰ってこない。母にいくら聞いてもはぐらかされました」

 小学校の卒業式の日、真相が判明する。

「学区の公立中学へ普通に進学すると思っていたので、同級生と中学の制服を買いに行きたいと母に言いました。すると母は、引っ越すからお前は皆と同じ学校には行けない、と。しかも、母は父とは2年前に離婚しており、自分は再婚まで済ませてあると告げられました

 驚き、混乱する小林さん。大好きだった父親とまた一緒に暮らしたい、引っ越したくないと母親に抗議すると、叩かれた。小林さんはトイレに籠城。すると、ドアの外から恐ろしい脅迫が飛んできた。

「『お前のせいで離婚したんだ!』『一緒に引っ越さなかったら、お前を警察に突き出す。一生牢屋だぞ!』って。まだ子供だったので信じました。ただもう、恐怖でしたね」

 既に大学生だった兄だけは地元に残り、小林さん、母親、ダウン症の弟と3人で、関東地方のZ県郊外に引っ越すことになった。

◆「父親の浮気で離婚」はウソだった

 小林さんの母親は、離婚の理由を「父親の浮気」と子供たちに説明していたが、小林さんが本当の理由を知ったのは、それから15年後のこと。自力で父親を探し出し、直接聞いたという。

「母は地元旧家の出、いわゆる“いいとこの家系”だったのですが、父は母の親戚一同から『ダウン症の子が生まれたのはお前のせいだ』と、ずっと責められていたそうです。父はそれで肩身が狭くなり、別れざるをえなくなったと僕に謝罪しました。実はうちの兄も、地元で結婚寸前に、兄弟にダウン症がいるからという理由で婚約を破棄されています。そういう地域なんです」

 ただもう、ひどい。

「父を一番責めていたのは、母方の祖母です。祖母は親族の中でもっとも権力が強くて、実の娘である母も、祖母には言い返せませんでした。しかも僕ら一家は、祖母が所有する土地に住まわせてもらっていたので、その点でも強く出られない。一軒家が2つ並んで建っていて、一軒に祖母、もう一軒に僕たち家族が暮らしていました」

 小林さんの母親の結婚生活は、総じて幸福ではなかった。

◆ダウン症の弟に対する、ひどい差別

「父と母は結婚後、父の仕事の関係で南米のペルーに行きました。僕はペルー生まれなんです。ただ、父と兄はスペイン語をしゃべれましたが、母はまったく話せず、孤立していました。僕も小さくて母の会話相手にはならない。かなりストレスをためていたと思います」

 弟さんが生まれるタイミングで帰国。しかし、母親の実家は冷たかった。

「Y県の田舎からすると、あるいは祖母世代の感覚としても、ペルーは“未開の地”呼ばわり。よくわかんない国に行って、障害のある子供をこさえて、お前の旦那の遺伝子は汚れてるんじゃないか? という扱いを、祖母や親族から受けたようです」

 醜悪極まりない偏見と差別意識だ。虫酸(むしず)が走る。

「母は若い頃ピアノ教師でしたが、ダウン症の弟が小さい頃は、つきっきりで面倒を見なければならない事情もあり、結婚後はもちろん離婚してからも、一切働いていませんでした。父親から養育費はもらっていましたが、基本的に僕たち一家は祖母に養ってもらっていたんです」

 小林さんの祖母は、生保レディとして当時まだバリバリの現役だったという。

◆新たな地獄のはじまり

 Z県で待っていた母親の再婚相手は、母親がとあるボランティア団体で知り合った男性だった。

「実態は宗教団体です。父親がいなくなって以降、自宅で早朝4時くらいから毎日集会が行われていました。その団体のZ県支部に所属していたのが、再婚相手である継父です。交流会か何かで知り合ったのでしょう。彼もバツイチで、大学生の息子と10代後半の娘がいたんですが、ふたりとも引きこもりで、娘のほうはダウン症。ダウン症の子を持つ親同士、母と悩みをわかりあえる部分が多かったんだと思います」

 しかし、新生活はたった3か月で破綻する。

「母と継父が、毎日激しく喧嘩するようになりました。喧嘩の理由はおもにお金。母は働いておらず、継父の収入に頼りきっていましたが、『これっぽっちのお金で養えるわけがない』と文句。継父は『お前らなんかに払える金はない』と言い返す。母は最初からお金目当てで結婚したので、継父の収入が思ったより低かったことに落胆したんだと思います」

 喧嘩の仲裁役は、いつも小林さんだった。

「手も出るし、食器も飛ぶ。僕は、なんとかふたりを別々の部屋に引き離し、双方の言いぶんを聞いて相手に伝える伝言役でした」

 当時の小林さんは中学1年生、たった12歳である。

「喧嘩が始まると、弟が恐怖で耳を塞いで震えてるんです。ダウン症の子は心がきれいだから、すごくおびえてしまう。なんとかしなきゃと必死でした。継父の連れ子の二人は部屋から出てこないので、いっさい頼れませんし」

◆近所に響く母の「助けてー」

 小林さんが友達と学校から帰ってくると、家の前の道で早くも母親の「助けてー」と叫ぶ声が聞こえる。急いで家に入り、仲裁する。そして隣近所に、「うるさくてすみませんでした」と謝りに行く。そんな毎日が続いた。

「いちいち自分の感情をもっていたら、やっていけない。だから自分の感情は一時脇に置いて、とりあえずこの問題を解決する。そういう思考のクセがつきました。そうしないと、生きていけなかったので」

 名実ともに、12歳の少年が一家を回していた。

「連れ子の娘さんのダウン症は僕の弟より深刻で、家に誰もいないと、とにかく暴れる。冷蔵庫の中のものを、ぐちゃぐちゃに食べ荒らしちゃうんです。だから学校から帰ったら、まず家の中を片付けるのが日課でした」

◆「主に感謝」の右手で殴ってくる継父

 母親の再婚相手は、小林さんに暴力をふるった。

「継父はクリスチャンでしたが、夕食時、両手を組んで『主(しゅ)に感謝します、アーメン』と言ってるそばから、その右手で僕を殴るんです。なぜ殴られるのか、わけがわかりませんでした。社会っておかしなことが起こるんだな、と……」

 Z県にやってきて間もなく1年という頃。いよいよ両親の喧嘩が苛烈を極める。ある日曜の朝、継父が教会に行っている間に、母親は小林さんを叩き起こす。

「目の血走った母が、ダンボール箱に好きなものを詰めろと言うんです。わけもわからず詰めて持っていったら、これを実家に送る、もうこの家には戻らないからね、と。夜逃げならぬ、昼逃げです

 しかし小林さんは抵抗する。学校でせっかく友達もできたし、まだ1年生の途中。せめて終業式まではいさせてくれと懇願すると、母親はしぶしぶ承諾した。

「ただ、母はヒステリー状態になっていて、継父に見つかる可能性のある最寄り駅には近づきたくないと言って聞きません。そこで、電車で数駅離れた駅の周辺にあるいくつかの安宿を、終業式までの2か月くらい点々としました。1間で、3畳か4畳みたいなところです。中学までものすごく遠くなってしまったので、毎朝、始発電車とバスを乗り継いで、部活の朝練に行っていました」

 小林さん曰く、当時の母親は明らかに何らかの精神疾患を抱えていたが、通院はしていなかった。いずれにしろ、中1の子供にはどうすることもできない。

◆祖母になじり倒される日々

 終業式後、小林さんが中学2年になるタイミングで、親子3人はY県に戻った。祖母の土地に建つ家に出戻ったのだ。

「旧家だけあって、祖母をはじめ母方の親族は、結婚や離婚にはかなりうるさいんです。Y県を出ていくとき、既に親戚から縁を切られるくらいの勢いだったので、戻ってきてからの風当たりは相当なものでしたね。祖母は『それみたことか』と母をなじり倒しました

 実の娘に「大変だったね」の一言もない。小林さんの母親と祖母は、同じ敷地内で毎日のように大喧嘩した。しかし親族は全員、祖母の味方。小林さん一家は孤立し、母親の精神状態は悪化の一途をたどっていく。

◆現実を直視できない母

 驚くべきことに、小林さんの母親は現在に至るも、再婚相手と離婚していないという。

現実と向き合えない人なんです。離婚手続きすらできないし、やりたくない。婚姻関係があるままで別居していて無収入ですから、本来なら再婚相手の継父に婚費請求ができたはずなんですが、それもしなかった」

 小林さんは現在、大好きだった実の父親の姓を名乗っている。戸籍上は再婚相手の姓のままだが、絶対に名乗りたくなかったという。

「中学の卒業証書には継父の姓が書いてあったので、もらってすぐ破り捨てました」

◆高2まで「大学」があることすら知らなかった

 家計収入はゼロのまま。祖母に養われ、ほそぼそと暮らす日々が続いた。小林さんは勉学に励み、高校は県下きっての公立進学校へ。そして一浪ののち、なんと東大に合格する。

「ずっと、高校を出たら働くものだと思っていました。実は僕、高校2年まで大学というものがあることすら、知らなかったんです。兄が大学に通っていたとき僕は小学生だったので、よくわかっておらず……。あとで知ったんですが、家の収入がゼロだったため、兄は奨学金制度で大学の授業料が免除されていました」

 外資系の一流企業で働いていた兄は、高2の小林さんに大学の存在を教え、あたたかい手をさしのべてくれた。

「会社の遠隔地手当てをうまく使うと、国公立大学の授業料くらいならまかなえることが判明したんです。何を勉強したい? と聞いてきた兄に、僕は心理学がやりたいと答えました

 心の病や障害を持つ家族に囲まれて育った小林さんが、もっとも探求したかったこと。それは「人の心のしくみ」だった。

「すると兄は、じゃあ東大に行けって言うんです。兄は心理学科の知識などなかったので、良くも悪くも適当に言っただけだったのですが」

 しかし塾に行くような金はない。小林さんは自力で猛勉強した。学校の図書室が閉まったあとは予備校の自習室に潜り込み、そこも閉まると24時間開いているオフィスビルの非常階段で、深夜2時、3時まで参考書とノートを広げる日々。深夜に帰宅しても、母親は何も言わなかった。息子に無関心だったのだ。

 現役合格は叶わなかったが、浪人中に通った予備校では特待生だったので授業料は全額免除。一浪して、見事合格する。東大では心理学や精神医学を心ゆくまで学んだ。

「普通の大学の心理学科は精神疾患について学べませんが、東大はちゃんと学べる貴重な場所だったと、東大に入ってから知りました」

 学科内ではトップクラスの成績だった。

◆統合失調症の本でつながった二人

 東大を卒業した小林さんは、都内にあるビジネス書の出版社に就職。2年目に、のちの妻・初美さんと出会う。

「初美との出会いは、出版スクールの懇親会です。出版スクールというのは、著者としてビジネス書や啓発書などを出したい人が通う学校のこと。彼女は仕事をしながらそこに通っていて、当時まだ出版社の新人編集者だった僕は、その学校で講師を勤める会社の先輩のお供として、パーティーに出席していました」

 パーティーの席で初美さんは、たまたま読んでいた統合失調症(精神疾患のひとつ)に関する本が、小林さんが企画・編集を担当したものだと知る。小林さんが大学で学んだ心理学や精神疾患の知識をフルに生かした本だ。

「こんな素晴らしい本を作ってくださり、ありがとうございました! と、お礼を言われました。実は、初美の弟さんも統合失調症を患っていたんです」

 それをきっかけに、小林さんと初美さんは同世代のライター、ブロガー、編集者による勉強会サークルで、定期的に顔を合わせるようになる。

 友人関係のまま数年が経過するうち、徐々に距離が縮まり、やがてふたりは交際に至る。しかし、心理学や精神疾患に通じていた小林さんは、早々に気づいた。初美さんもまた、精神疾患を抱えていることに。

(次回につづく)

ぼくたちの離婚 Vol.21 いつか南の島で #1】

<文/稲田豊史 イラスト/大橋裕之 取材協力/バツイチ会>

【稲田豊史】
編集者/ライター。1974年生まれ。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年よりフリーランス。著書に『ぼくたちの離婚』(角川新書)、コミック『ぼくたちの離婚1』(漫画:雨群、集英社)、『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』(PLANETS)、『セーラームーン世代の社会論』(すばる舎リンケージ)。「SPA!」「サイゾー」などで執筆。 【WEB】inadatoyoshi.com 【Twitter】@Yutaka_Kasuga

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