元「銀杏BOYZ」中村明珍さん ギターを鍬に「スローライフじゃない」島暮らし

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 人気パンクバンド「銀杏BOYZ」のギタリストだったチン中村こと中村明珍さん(42)が脱退後、山口県の周防大島に移住し、農業と僧侶などを兼務しながら送る日々をつづった著書「ダンス・イン・ザ・ファーム」(ミシマ社)が、発売3カ月で増刷と反響を呼んでいる。コロナ禍でリモートワークが進み移住への関心が高まる中、ギターを鍬(くわ)に持ち替えた中村さんの「スローライフじゃない」島暮らしについて、オンラインで聞いた。

 リモート画面の向こうから、中村さんのゆったりとした口調に合わせるように鳥のさえずりが聞こえてくる。住まいは使われなくなった元幼稚園。画面を窓の外に向けると、風にそよぐ緑、飼っているヤギの小屋も見える。遠くには瀬戸内海が広がっている。

 のどかに流れる島時間-。そんな、こちらの思いを見透かしたかのように中村さんは笑みを浮かべて口を開いた。「スローライフではないというところは声を大にして言いたいです。ある種の忙しさはいっぱいあるので」

 34歳で東京から島内の70~80代が主体の過疎集落に移住して丸8年、妻と2人の子供の4人で暮らす。農家として無農薬で梅や米、野菜を育て、僧侶のお勤めにも出る。さらに農産物の販売や島での落語会、ライブイベントの開催、ラジオ番組制作にも取り組む。確かに、その日常はかなり忙しそうだ。

 ただし、その忙しさは中村さんにとって心地良い時間であるようだ。「やることがいっぱいあるのは、自分が役に立ってるって感じられる。生きてていいんだよって。追い立てられ方が東京にいる時と違う。こっちは、梅は早く収穫しないとどんどん悪くなっていっちゃう、そういう追い立てられ方です」

 6月はまさに梅の収穫に追い立てられた。作り始めて6、7年になるというが「今年は天気のリズムと自分の想定とがズレて全然うまくできなくて。本も書いていて、どれも一生懸命やってたら梅にしわ寄せがいってしまった」と申し訳なさそうな顔に。それでも「難しいことと魅力的なことは表裏一体で楽しいところ」と、肩に力は入っていない。

 精神的に追い立てられた過去がある。人気パンクバンドのギタリストとして10年を過ごした中村さんは、2013年に脱退を発表。当時公表されたコメントにある「力を使い果たしました」の文言からは、切迫した状況がにじみ出ている。救いを求めて教会や寺を訪ねるうちに仏道にひかれ、お坊さんになると決意。出家得度して僧侶になった。時を同じくして妻の実家のある島での暮らしに身をゆだね、農業も始めた。

 都会の混とんを象徴するようなパンクの世界と島での暮らし。はた目には真逆の世界に身を置いているかに思えるが、通じるものも感じているという。「いいものを届けて喜んでもらって、それで自分が救われる。そこは同じような気がして」とポツリ。「ギターは木でできていて、今、触ってるのも木。鍬も木でできてる」。無意識に同じものを手にしている不思議に思いを巡らせる。

 本の中で、自身の今を「人間らしい暮らしをしている」と記した中村さん。「偉そうに余り言えないんですけど」と前置きして「僕にとっては、今、田舎に住んでるのがつじつまが合ってる。腹の中で納得できる風に戻った感じです」と補足した。

 近年、地方への移住や就農への関心が高まっている。先輩としての助言を求めると「農業に関しては、いつからでも始められるって集落の80歳くらいのおっちゃんが言ってて。『始める時はみな初心者じゃけえ』って。心配、不安だとは聞きます。気持ちがあれば、何でもできるじゃないですけど、何とかなると思います」。そう実感を込めた。

 ◆中村明珍(なかむら・みょうちん)1978年生まれ、東京出身。峯田和伸が2003年に結成したパンクロックバンド「銀杏BOYZ」のギタリスト、チン中村として03年から13年まで活動。06年、峯田らと別ユニット「敏感少年隊」を結成。09年、銀杏BOYZのメンバーと共に宮藤官九郎脚本・監督の映画「少年メリケンサック」に出演。13年3月末、山口県周防大島に移住。「中村農園」で農業に取り組み、僧侶として暮らす。

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  • 7/12 5:59
  • デイリースポーツ

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