日立と日本経済の改革に挑んだ中西宏明氏が死去 新風吹き込み「貴重な一歩」を刻む

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日本経済団体連合会の前会長で日立製作所の社長や会長を歴任した中西宏明氏が2021年6月27日、東京都内の病院で亡くなった。75歳だった。

経団連では久しぶりの「大物会長」として注目され、日本経済の再興に向けて改革を相次いで打ち出していた矢先にリンパ腫を発症。2年間にわたって治療をしながら執務に当たっていたが、治療に専念しようと6月1日付で経団連会長を任期途中で退任し、日立の会長も5月に退いたばかりだった。

日立の救世主、巨額赤字からV字回復

中西宏明氏は、東京大学工学部電気工学科を1970年に卒業し、日立に入社したコンピューターのエンジニアだった。山陽新幹線の運行管理システムにも携わったことがあるという。副社長まで登り詰めたが、2007年1月からは米国で子会社の会長兼最高経営責任者(CEO)に専念。日立の本体の役員ではなくなった。

通常ならば出世レースから脱落したのも同然だったが、未曾有の事態が歯車を動かした。2008年9月に起きたリーマン・ショックだ。

世界経済の急減速で、日立は2009年3月期に巨額の最終赤字を計上せざるをえなくなった。そこで白羽の矢が立ったのが、子会社の立て直しを果たした中西氏だった。2009年4月に日立本体の副社長に復帰し、2010年4月には満を持して社長に就任した。

巨額赤字からの回復と成長路線への転換のため、日立グループの柱を「社会イノベーション事業」と定め、それまでのハードウェアの販売から、デジタル事業を活用したソリューション事業に転換。2012年3月期には業績のV字回復を果たした。

2014年4月に会長兼CEOに就任した後も事業の入れ替えを進め、かつて日立の「御三家」と呼ばれた日立化成、日立金属、日立電線との関係を整理する一方、スイス企業の電力システム事業や米国のIT大手を買収。業績は好調に推移し、日立は「勝ち組企業」の代表格に挙げられるようになった。

病室からオンライン会見にインタビューの日々

こうした手腕は財界からも注目され、2018年5月に榊原定征氏(元東レ会長)の後任として経団連会長に就くと、着手したのは日本経済の雇用改革だった。

経団連が示してきた大学生の新卒採用日程の指針について、記者会見で突然「もう何月解禁とは言わない」と切り出したのだ。この時点では経団連内部の意思決定や政府や大学界との根回しを済ませておらず、慌てる経団連の事務方を尻目に主張を通した。これが多様な人材を受け入れやすい通年採用の導入を後押しした。

終身雇用を前提にした日本企業の制度についても「限界に来ている」と危機感をあらわにした。米国のグーグルやアマゾンなどGAFAと呼ばれる巨大IT企業がリードする世界経済の中で、勢いを失った日本経済の立て直しに目を配り、重厚長大型企業が目立つ経団連の加盟基準を緩和することで新興IT企業も入りやすくして議論の活性化を図った。

改革を相次いで打ち出して「中西経団連」の評価は高まったが、2019年5月にリンパ腫が発症。経団連会長だった3年のうち2年近くは闘病を余儀なくされた。

それでも病室から経団連や日立のスタッフに電子メールで指示を出して執務にあたり、メディアのオンライン会見やインタビューに応じることもあった。

2021年4月の記者会見では回復した様子にも見えたが、その後に再び体調が悪化。後任の経団連会長を十倉雅和・住友化学会長に委ね、就任を見届けるようにこの世を去った。改革は道半ばだったかもしれないが、のちに振り返ると、それは貴重な一歩だったと認められるに違いない。(ジャーナリスト 済田経夫)

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