どこまでも追いかけてくる、狂気的な上司。逃げ場を失った女の、最後の賭け

東京の平凡な女は、夢見ている。

誰かが、自分の隠された才能を見抜き、抜擢してくれる。

誰かが、自分の価値に気がついて、贅沢をさせてくれる。

でも考えてみよう。

どうして男は、あえて「彼女」を選んだのだろう?

やがて男の闇に、女の人生はじわじわと侵食されていく。

欲にまみれた男の闇に、ご用心。

◆これまでのあらすじ

秋帆の言葉で、悩み始めた黒川。人事部長をつれて、向かった先は…?

▶前回:「許さない…」24歳の女に見捨てられた社長が、深夜2時までやっていたコト


「ごめんね、心配かけちゃって。でも大丈夫だから」

秋帆は、電話越しの母親に努めて明るく答えた。

会社から実家に連絡がいったらしく、驚いた母親から電話がかかってきたのは、2日前のこと。

「詳しいことは後で話すね、とりあえず元気にしている」

そう伝えたのだが、母親はひどく心配なようで、一日に何度も連絡してくるようになった。

「本当に大丈夫なの?」

何度も尋ねる母親に「大丈夫」と繰り返して、ようやく電話を切ったところで、ひかりが帰ってきた。

「ただいまぁ」

黒川に退職願を突きつけた後、秋帆は、ひかりの家に飛び込んだ。事情を話し、少しの間かくまってもらうことにしたのだ。

「体調はどう?今日は何か食べられそう?」

今日は、仕事を少し早く切り上げて帰ってきてくれたらしい。ひかりが、スーパーで買ってきた食材を取り出しながら、尋ねる。

「うん。ずいぶん落ち着いたかな」

あの時、秋帆は人生で一番緊張していた。その結果、心身ともに疲れ切ってしまい、一昨日から食事もろくに取らず、寝込んでいたのだ。

その時、インターホンが鳴った。

「あ、私が頼んだ荷物かも~。出てもらってもいい?」

「了解…」と言いながらモニターをのぞきこんだ秋帆は、絶句した。

「…!」

そこには、黒川と人事部長が立っていたのだ。

モニター越しに固まる秋帆。彼らの目的は一体…?

恐怖のインターホン


「どうしたの?」

固まった秋帆を見て、ひかりは怪訝な顔をした。だがその様子から、すぐに状況を理解したらしい。

秋帆の隣からモニターを覗きこみ、「うわ、ここまで来たんだ…」と、頭を抱えた。

「1人は黒川さんだよね。もう1人も、会社の人?」

「そ、そう…。人事部長」

振り絞るように答えながら、秋帆は恐怖に慄いていた。カタカタと身体が震え、指先がどんどん冷たくなっていく。

― どうして…。

そうしている間も、インターホンは、ピンポーン、ピンポーンと、鳴り続ける。

何度も繰り返すということは黒川と人事部長は、秋帆がここにいると確信しているのだろう。

秋帆は思わず、耳を塞ぎたくなった。

黒川と人事部長は、一体何しにきたのだろう。自分をこの場所から強制的に連れ出すつもりだろうか。

他の社員にそうしていたように、物を捨てるかのように見捨てられると思っていた。まさか、ひかりの家まで調べ上げてくるとは。

彼らの目的がわからず、秋帆は恐怖で言葉を発することができない。呆然と立ち尽くしていると、ひかりが静かに尋ねた。

「どうする?」

「…」

そうこうしているうちに、再びインターホンが鳴る。

「とりあえず、私出ちゃうね」

そう言って、ひかりは応答ボタンを押した。


「そちらに、白田さんはいらっしゃいますか?」

インターホン越しに、人事部長の声が聞こえてくる。

「さあ、何をおっしゃっているのか…」

ひかりは適当にかわそうとするが、彼らはなかなか引き下がらない。秋帆は、自分が出るべきなのか、このまま居留守を決めこむのか判断できずにいた。

ただ、ひかりに迷惑をかけてしまったことが申し訳ない。

すると、これまでずっと黙り込んでいた黒川が口を開いた。

「白田さん、君とどうしても話がしたいんだ。駅前のカフェで待ってます」

それだけ言い残した黒川は、インターホン越しに一礼して立ち去った。

誰もいなくなったモニターを眺めながら、秋帆はその場に呆然と立ち尽くす。

「どうしよう…」

今、黒川や人事部長と話したくはない。だが、ここまで追いかけてまで来た理由は何だろう。

秋帆が決めきれずにいると、ひかりが諫めるようにこう言った。

「嫌かもしれないけど、こういうのは早く終わらせといたほうがいいよ。辞めるにしても、結局は何かしらのやりとりはしなくちゃいけないんだから」

それに、とひかりは続ける。

「ずっと逃げてたら、ずっと追いかけられるかもしれない。一度話して、カタをつけたらどう?

カフェだったら、周囲の目もあるから変なことにはならないでしょう。大丈夫よ」

その言葉に、秋帆はようやく覚悟を決めた。

「わかった」

そして、カーディガンを羽織りながら、ひかりに尋ねる。

「これ以上迷惑かけるのも悪いとは思ってるんだけど…。ひかり、一緒についてきてくれる?」

振り返ると、ひかりはすでに出かける準備を終え、玄関に立っていた。

「そのつもりだったよ。黒川さんには、私も同席しますって言っておいたから。安心して」

そう言ってひかりは、ドアノブに手をかける。

― 良かった…。

秋帆は、彼女の優しさに思わず涙ぐんでしまう。

鼻をすすっていると、ひかりが呆れた顔で、「なに泣いてんの。ほら行くよ!」と、秋帆の手を引っ張った。

ついに黒川たちと対峙する秋帆。そこで黒川が口にした驚きのこととは…?

見つめ直すチャンス


カフェに到着すると、黒川と人事部長は並んで座っていた。秋帆たちを見つけると、小さく会釈した。

「この度は、申し訳ありませんでした」

秋帆は、まず2人に頭を下げた。

「いえ。元気そうで何よりです。とりあえず座ってください」

黒川は、丁寧に答えた。

秋帆とひかりが席につこうとすると、人事部長がひかりに向かってこう言った。

「あ、お友達もご一緒ですか…」

すると彼女は、真正面から彼を見据えて言った。

「先ほども黒川さんに申し上げた通り、私もお話を聞かせていただくのが条件ですが?それが認められないのでしたら、考え直します」

すると黒川は、「問題ありません。おいっ」と、人事部長を一喝した。

「失礼しました」

すごすごと引き下がる人事部長を見て、こんなにも頼もしい友人がいて自分は幸せだと秋帆は心の底から思った。

その姿に勇気づけられて、秋帆はしっかりと黒川を見ることができた。

― あれ、黒川さん…?

いざ目の前にすると、黒川が意外と小さく見えることに驚いた。普段の、相手を委縮させるような高圧的なオーラが全く感じられない。

これまでは、黒川を前にすると委縮してばかりだったが、今日は落ち着いて話せそうな気がする。

そんなことを考えていると、黒川が秋帆の目をじっと見つめた。その視線は、射るような鋭いものではなく、何かを訴える必死さがあった。

「白田さん。率直に言う」

そして黒川は、テーブルに手をつけて頭を下げた。

「会社に戻って来てほしいんだ」


「えっ?」

そう漏らしたのは秋帆でもひかりでもない、人事部長だった。おそらく彼は、黒川がここにやって来た真意を知らなかったのだろう。

すぐさま「失礼しました」と、頭を下げたものの、不思議そうな顔で黒川を見つめる。

一方の秋帆は、突然の申し出に言葉を返すことができない。

ピリピリとした空気が、その場を覆う。すると黒川は、コーヒーを一口飲んだ後、こう続けた。

「白田さんに言われたことを思い出して、考え直したんだ」

「はい」

秋帆は、先日のことを思い出しながら頷く。感情に任せて言ったところもあるので、細かい部分まではよく覚えていない。

それでも、黒川に対して放った言葉はすぐに思い出された。

ふぅっと大きく深呼吸した黒川は、言葉を選びながら慎重に口を開いた。いつものまくしたてるような口調とは大違いだった。

「私の方針が間違っていた、とは思っていない。めまぐるしく時代が変化する中、生き残るためには必要だったと思う。そこは変わらないんだ。ただ…」

秋帆は、黒川をじっと見つめて、次の言葉を待つ。

「白田さんは、“肯定をするのにも理由があるし、否定をするのにも理由がある。相手の意見を聞くこともできないのか?”と言ったね。

この言葉もまた、真実だと思うんだ。色々考えたんだが…。

今こそ、会社や自分のやり方を見直す機会だと思っている」

秋帆は、自分が言った言葉が黒川に変化を与えていたことに驚く。

そして黒川は、もう一度頭を下げて言った。

「会社や自分を見つめ直す時、必要なのは白田さんだ。無知だろうが経験がなかろうが、直感的にでも私に進言してくれる、そんな人材だ。

だから、会社に戻ってきてくれないか?」

「えっ…」

何度も頭を下げて、反省の言葉を口にする黒川の変貌ぶりに、秋帆は混乱する。

あれだけ高圧的に人を怒鳴りつけていた彼が、本当に改心したのだろうか。

「この通りだ。悪かった」

秋帆が釈然としない気持ちを抱えている間も、黒川はテーブルに額をつけながら、これでもかと謝ってくる。

「頭を上げてください」

そう告げた瞬間。黒川の口元が、少しだけ緩んだ。

それを見た秋帆は、彼の本心を確かめようと、あることを申し出る。

「すぐにお答えすることはできません。ですが…。会社に戻るとしたら、条件があります」


▶前回:「許さない…」24歳の女に見捨てられた社長が、深夜2時までやっていたコト

▶︎Next:7月13日 火曜更新予定
次週、最終回。秋帆が黒川につきつけた条件とは?そして2人はどうなる…?

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