Vol.19-1 “東京の病んだ子”に憧れて結婚した男性が見た、想像以上の地獄
【ぼくたちの離婚 Vol.19 嘘つきと酔いどれ #1】
日本では、離婚後に「共同親権」が認められていない。そのため、時として、離婚の際に親権を巡って壮絶な争いが繰り広げられる。都内の光学機器製造会社に勤める岩間俊次さん(仮名/44歳)も、そうした事態に陥った一人だ。ただ、彼の場合はある“ややこしい事情”があった。
◆東京の“病んだ子”にどハマりした
岩間さんは、俳優の大森南朋にメガネをかけたような見た目、小柄で物静かな雰囲気の男性だ。西日本の山間部に生まれ育ち、高校卒業後に某県の県庁所在地で2年ほど働いたあと、20歳で上京。26歳のとき、都内のライブハウスで当時22歳の結衣さん(仮名/現在40歳)と出会う。
「大正モダンって言うんですかね。レトロなワンピースに釣鐘型の帽子、黒髪のボブ。ちょっとコスプレが入っていて、かなり周囲の目を引いていました。誰もが振り返る目鼻立ちの整った美人で、過去には青文字系雑誌に読者モデルとしてちょくちょく出ていたようです。ブレスレットの隙間からはリストカットの痕が見えていました」
典型的な“危ういタイプ”の結衣さんに、岩間さんは惹かれていった。
「自分もまだ20代で若かったので、東京の“病んだ子”の危うさに、どハマりしてしまったんです。あのなりで、太宰治や坂口安吾が愛読書で、とんがった音楽が好きだとか言われちゃったら、僕みたいなコンプレックスまみれの田舎者なんて瞬殺ですよ」
結衣さんは不安定だった。
「結衣はパニック障害に悩まされていて、3級の障害者手帳(精神障害者保健福祉手帳)を持っていました。しかも10代の頃に親から勘当されていて、20歳の時、つまり僕と出会った2年前に結婚してました」
◆引っ越しの手伝いで感じた、違和感
既婚者ゆえ、岩間さんは結衣さんと男女の仲になろうとは微塵も考えなかった。共通の友人を交えてたまに飲むという関係のまま、月日が経つ。しかし約8年後、突然転機が訪れた。岩間さん34歳、結衣さん30歳の時だ。
「結衣から夫のDVが激しくなったと相談を受けました。それで僕と友人が『そんなに大変なら離婚したほうがいい』とアドバイスして、離婚の後押しをしたんです。当時の僕は彼女もいなかったので、正直、下心ありありで、あわよくば僕の手に……と思っていました」
数カ月後、結衣さんの離婚は無事成立。離婚届の証人欄には岩間さんと友人が署名した。しかし離婚に伴う引っ越しの手伝いを買って出た岩間さんは、引越し当日、結衣さん夫婦が住んでいたというマンションに到着すると、即座に「おかしい」と感じる。
「彼女のマンションに行ったのは初めてだったんですが、元夫と住んでいた形跡がまるでないんです。ずっと彼女がひとりで暮らしていたように見えました。しかも部屋は荒れ放題。それで思ったんです。もしかすると彼女の夫が彼女にDVを働いたのではなく、彼女の精神不安定に疲弊した夫が、ずっと前に出ていっただけなのではないか?って」
◆「誰でも良かった」が招いた後悔
しかし疑念を抱いたにもかかわらず、なんと岩間さんは、引っ越し後しばらくしてから結衣さんに交際を申し込む。
「当時の僕は、仕事でひどいプロジェクトにアサインされて、プレッシャーとストレスで心身がめちゃめちゃでした。同時期に親しい友人が亡くなったり、その後に東日本大震災があったりして、精神がかなり不安定になっていたんです。毎日浴びるように酒を飲んで、生活が荒れまくって……。とにかく誰かと寄り添いたかったんです。その誰かは、はっきり言って、誰でも良かった」
交際後すぐに同棲を開始。岩間さん36歳、結衣さん32歳。しかし同棲をはじめた直後に岩間さんは大きく後悔した。結衣さんは、ちょっとしたことでものすごい癇癪(かんしゃく)を起こす人間だったのだ。
「わかってはいたんですが、これほどのメンヘラだとは思いませんでした。たとえば、新居のカーテンを買いに専門店に行った時のこと。僕はこだわりがないのでなんでもよかったんですが、結衣は店内をしらみつぶしに回っても、全然気に入る柄がありませんでした。それで店員さんにカタログを何冊も出してもらったんですが、布のサンプルだけだといまいちイメージがわかなくて、やっぱり決められない。20分も30分もカタログとにらめっこしてる。今日はもう決まらないなと思って、『決められないんだったら、また今度にしよう』って言ったんですよ」
すると結衣さんはカタログを勢いよく閉じ、「はぁ?」と言って岩間さんを睨みつけた。
「『カーテンないままじゃ暮らせないじゃない!』と大声で怒鳴り、自分の携帯電話を机に叩きつけました。店員も客もびっくりしてこっちを見ているのに、構うことなくわめき立て、僕のことを執拗になじるんです。第三者がいる前で大声を出すことで、自分を被害者だと印象づけたいんでしょう。仕方なく謝り倒しましたが、日々そんな感じでした」
公衆の面前で、頻繁に激怒する結衣さん。しかもその地雷は、「その程度のことで……」ということばかりだった。
◆別れたくても別れられない…
「地下鉄内の轟音で結衣の声が聞き取りにくかったので、大きめの声で『えっ?』って言ったらキレる。レストランでワイン選びにあまりにも長時間悩んでいて、15分たっても20分たっても乾杯できないので、彼女がトイレに立った隙にとりあえずグラスを頼んでおいたらキレる。しかも、わざわざ周りに人がいるタイミングを狙って、僕がいかに悪い人間かを訴えるようにまくし立てるんです」
岩間さんは別れたいという意思を伝えるが、聞き入れてもらえない。
「結衣は決まって『外に女がいるんだろう』と疑い、台所からこれ見よがしに包丁を持ち出してきて、わめくんです。エキサイトすれば容赦なく物を投げてきました。ワインの空き瓶を投げられたこともあります」
1年ほどは食い下がったが、やがて岩間さんは諦めてしまう。
「会社は相変わらずストレスフルで、心身ともに限界まで疲弊していましたから、家での修羅場に立ち向かうことができないんですよ。結衣は強い言葉と強い態度で僕を押し込めてきますから、押し返すのにものすごくエネルギーが要る。でも、そんなエネルギーなんて、一粒たりとも残っていませんでした。なんというか、エンジンがかからない」
◆いい時は一瞬もなかったが、子供は作った
岩間さんは諦めた。結衣さんを刺激しないことだけに全神経を集中させる人生へと、シフトをチェンジしたのだ。
「とにかく……毎日疲れきっていました。結衣と暮らしてから、いい時なんて一瞬たりともなかったです」
絶望的な人生から目をそらすため、岩間さんは連日深夜まで酒を飲んで帰宅するようになる。
「夜11時までヘトヘトになるまで働いて、その後3時まで飲み、フラフラになって帰るような毎日でした。依存症に片足を突っ込んでるような状態でしたが、そうでもしないと、とてもやっていられない」
言うまでもなく夫婦関係は最悪。ところが、同棲をはじめて2年目に子供ができてしまう。
「酔っ払って寝ていると、よく結衣がおっかぶさってきたんですよ。それで、そのまま……」
なぜ拒まなかったのか?
「ぶっちゃけ、そっちは僕も嫌いなほうじゃないので、まあいいかと。毎度、流れに身を任せてました」
少しバツが悪そうに、岩間さんは言う。しかしその代償はあまりに大きかった。結衣さんは女の子を宿し、それを機に入籍、ふたりは夫婦となる。もう簡単には別れられなくなった。
◆「普通の家庭」の実感がない
「子供どころか、結婚して家庭を作るなんて、自分の人生ではまったく想定していませんでした。結衣以前に付き合った人からも、結婚を迫られるごとにその都度お断りしては、破局していましたし」
その理由を、岩間さんは自らの生い立ちに求めた。
「僕、5歳のときに両親が離婚しているので、『普通の家庭』がどういうものか、わからないまま大人になったんです。家庭というものに実感が湧かないというか」
岩間さんは両親の離婚後、父方の祖父母の家で妹さんと共に育てられた。母親とは連絡が途絶え、父親は作った借金を返すため、出稼ぎで働きに出ていたという。
「祖父母は昔の人間ですから、子供は労働力扱いなんですよ。ネグレクトがあったわけじゃないけど、子供との関わり方が、やっぱり、旧世代的というかね……」
岩間さんは言葉を濁す。それ以上、聞けない雰囲気が漂った。
「僕に『普通の家庭』の実感が欠如していたことと、結衣みたいな『やばいとわかってる案件』に手を伸ばしたことが、無関係だとは言い切れないですね。要は、僕に人を見る目がなかったんですけど、じゃあ人を見る目ってどこで養われるんだろう? って考えるとね、やっぱり家庭環境じゃないですか」
心なしか、その語りは他人事のように聞こえた。
◆父も母も、祖父も祖母も飲む人
「一緒に引き取られた僕の妹なんですけどね、数年前にまだ30代の若さで亡くなったんですよ。肝臓がん、酒の飲みすぎです。ほとんど孤独死でした」
ふと筆者は、「アルコール依存の発症に遺伝的要因が占める割合」について書かれた記事のことを思い出したので、おそるおそる聞いてみた。
「うーん……。たしかに父も母も、祖父も祖母も飲む人でした。僕の地元では、祖母の世代で女性が飲むのは珍しかったんですけど、隠れて飲んでたみたいです。いわゆるキッチンドランカー。いま思うと、祖母は常に酒臭かった。当時はそれが飲酒した人の息の匂いだと、わかりませんでしたが」
子供が生まれても、岩間さんの酒癖は変わらなかった。
「深夜に帰宅しても、結衣は娘に会わせてくれないんですよ。『酒に酔っている人に子供は会わせられない』って。別室にこもって鍵をかけられる」
◆ある日、警察沙汰に…
娘が生まれて2年近くが経った、ある日のこと。
「仕事後にファミレスでご飯を食べて、いつものように酒を飲んで、深夜に帰宅しました。そのまま明日の朝食の支度をしていたら、結衣が起き出してきて、『うるさい!』とつっかかってきたんです。それで口論になり、激しい取っ組み合いになりました」
ひとしきりもみ合った後、なんと結衣さんは警察へ電話を入れた。間もなく警官が到着。親子3人でパトカーに乗り、警察署に移送される。そこでの結衣さんの主張は、岩間さんにとって驚くべきものだった。
「結衣は警官に、僕に殴られたと言いました」(次回につづく)
<文/稲田豊史 イラスト/大橋裕之 取材協力/バツイチ会>
【稲田豊史】
編集者/ライター。1974年生まれ。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年よりフリーランス。著書に『ぼくたちの離婚』(角川新書)、コミック『ぼくたちの離婚1』(漫画:雨群、集英社)、『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』(PLANETS)、『セーラームーン世代の社会論』(すばる舎リンケージ)。「SPA!」「サイゾー」などで執筆。
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